上の立場の人へ「部下ほど難しい存在はない」By真田幸村

どうもりかちゅうです!

まず初めに真田幸村という人物を知っていますか?知らない人もいるので簡単に言いますと大坂の陣で豊臣方として活躍した人です。実積としては家康の陣まで追い詰めてました。その際家康はダッシュで避難したそうです。それ故に「日本一の兵」と言われている戦国武将です!この方に関しては別記事にて詳しく話しますね。

で、そいつがどうしたんだよ?ってなりますよね?今回この方の話をしたのはとある名言を言ったからです。おそらく私の心に響く名言です。それは「部下ほど難しい存在はない」という名言です。一体どういことか分かる人もいればなんとなくしか分からない人もいるかと思います。ですのでこの記事で「部下ほど難しい存在はない」の意味について詳しく話したいと思います。

 

なぜ真田幸村はその名言を言ったのか?

なぜ幸村さんが「部下ほど難しい存在はない」と言った背景を知らない限りはピンと来ないと思われます。人の発言って様々な背景があって言葉にしているからこそ。ですので、まずはその発言を言った理由について話しますね。

1.上の人間との距離が近かった

これは重要かと思います。幸村さんは自分の父親でもあり一家の主人こと真田昌幸以外の上の人間とも距離が近かったです。理由は次男でもあり人質にさせる機会があったからです。ちなみに上杉景勝と豊臣秀吉の人質とさせられていました。この話は長くなるのでまたの機会にしますね。この2人に人質にさせられていたということは明らかに上との距離が近かったのは事実です。また、幸村さんは若い頃からポテンシャルがあると思われていたのでこの2人には慕われていました。そのため、他の家の人間なのにもかかわらず、人一倍景勝と秀吉の距離が近かったはずです。このように上の人の距離が近いということは上の人間の悩みや在り方、部下との接し方について学習がしやすいです。それ故に「部下ほど難しい存在はない」と言ったと思われます。

 

2.真田家の跡継ぎだった。

実は幸村さん次男なのに跡継ぎだったんですよ。理由は簡単に言うと真田家の長男こと真田信之は徳川方の大名という肩書きがあったからです。また関ヶ原の際お家存続のために二手に別れたからです。ですので、幸村さんは次男でもお父さんの昌幸さんの跡継ぎとしての使命があったのです。跡継ぎになるということはそれ相当の覚悟はあったと思いますし実際に跡継ぎとなったらみんなをまとめないといけない義務感もあります。それもあって部下は難しいという考えになったのかと思われます。

 

3.戦場でリーダーとして活躍した

幸村さんの伝説は大阪の陣です!あの時は戦場のリーダーとして活躍していました。もちろん他の武将よりも豊臣の人間に評価を得ていたので現場内で偉いステータスともなってました。そりゃ幸村さんは秀吉にも愛されていたからこそ。それもあって他の武将には妬まれてはいましたけどね。ただそれくらいの実力はあったのは事実です。おそらく、大阪の陣までは上の人達を観察して「部下ほど難しい存在はない」と思っていたと思われます。ですが、いざ自分がリーダーとなった時は実体験として難しさを知ることになります。大阪の陣では豊臣方なんて不利でしかなかったからプレッシャーは大きいです。ですが、そのプレッシャーのおかげで今でも伝えられる名言が出来たのかと思われます。

 

なぜ部下って難しいの?

今のでなぜ幸村さんが部下は難しいと感じていたかは分かったと思います。ですがなんで部下は難しいのかというのかはまだよく分からないかと思われます。そこで、次に深掘りとしてなぜ部下は難しいのかについて話したいと思います!

1.距離感が掴みにくい

上司や部下、先輩や後輩って友達関係ではないので距離感ってのが難しいんですよ。よくよく考えてみてください。部下との距離感を近くして接しやすいようにしたら組織としての上下関係が崩れてしまい注意することが出来なくなってしまったり上司としての貫禄を見せることが出来なくなったりしてしまう。ではだからって厳しく、たかぶつになったら部下は近寄りがたいと思ってしまい、心を開かなくなってしまいまってお互い仕事をするにも気をつかうことが多くなってしまいます。このように上司はちょうどいい距離感を作っていくのが難しいため部下という存在の扱い方に困難を感じるのです。

 

2.飴と鞭を調節しにくい

上司の役目は部下を褒める、叱るというものがあります。ただこの2つの調節を上手くやらないと部下は成長しないだけでなく、部下に舐められてしまいます。まずは褒め過ぎては部下はどこが盲点なのかを分からずに欠点を改善する機会を失ってしまいます。だからって叱ってばかりでは部下のモチベーションを上げることは出来ません。もちろん、欠点だけは自覚はするでしょうけど。要するに調節しないといけないということです。褒める時は褒め、叱る時は叱る。その割合がそれぞれの部下に見合った形で行わないといけないんです。ただし、考えるのは割合だけではないんです。褒め方、叱り方も人それぞれに合わせないといけないんです。それ故に上司は頭を悩ますのです。

3.嫌われたら人生おしまい

これは戦国時代に関して重要な項目であります。今の時代にも通じるものはありますが。なんでかと言いますとあの時代は戦いの時代でもあり謀反なんて殺されるなんてことはおかしくはないからです。本能寺の変が典型的な例ですけど。あれだって信長は部下の明智光秀に追い詰められた感じですからね。要するに戦国時代だと部下に嫌われたら死のリスクも迫るということです。ただ今の時代も教訓にはなる項目です。今の時代でも嫌われたら変な噂や陥れなんてあるあるじゃないですか?このように上司も部下に嫌われたら人生おしまいと言っても過言ではないということです。

4.育てないといけない

仕事が出来ることが上司ではありません。部下を育てて初めて上司の役目を果たしたとみなされるのです。しかも育てるって大変なんですよ。人には適正や個人差があるのでその人に合わせた指導方法というものをしないと上手く成長をすることは出来ません。要するに人それぞれに合ったカリキュラムが必要とということから同じもの教えるにもやり方は変えないということです。ですから、自分のペースで押し付けたりキツく叱るなんてナンセンスなんです。その時点で部下は育たないです。むしろ、部下は成長意欲を失うでしょう。このようにそれぞれの部下に合わせて育てないといけないから難しいです。

余談ですが私の居場所ことからげんきにとある人がいたんですがその人は自分のペースに押し付ける人でした。ですので辞めてせいせいしました

私がこの名言が心に響く理由

前書きにも私はこの名言が心に響くと書きましたがまだ理由を言ってないですよね?理由は私自身トップになりたいからです。何度も言いますがこのブログは起業準備のためです。そしてそれと同時に起業するということはトップになるということです。まだ道のりは程遠くてもトップになるという使命からしたら「部下ほど難しい存在はない」という言葉はものすごく心に響きます。もし自分がトップになったら部下との接し方や扱い方に気を付けないといけない。もし、ぞんざいに扱ったら会社は終わってしまうとついつい感じてしまいます。だから、この名言が心に響きます。

 

部下をぞんざいにあしらう者へ

今すぐにでも辞めてください。部下は悲しみます。そして部下達は悲しみの後には憎しみとなります。もし憎しみとならなければ「部下ほど難しい存在はない」と幸村さんは言いません。現にあなたのことが憎いと言っている部下達はいると思います。

世間的な悪口でも「うちの上司は何もしないで偉そうにしている」「部下を駒扱いしている」「パワハラ、セクハラ激しい」といった発言があります。その発言がある時点で憎しみに変わってます。ましては今の時代ネット社会なのですぐにネットでネタにされますよ?その時点でステータス終わりですからね。だからこそ、部下を大事にして下さい。

まとめ

いかがでしたか?おそらく上司という立場だと部下の難しさというものが分かるかと思います。一方でまだ部下という立場だけどいずれは上司になるような人間にとっては今後部下との接し方ってこんなに難しいんだと実感したはずです。それ故の名言なんですけどね。ですので、上司の立場というものを少しは考えてみてください。そうすれば良き上司にもなりますし、部下の人も将来良い上司になりますよ。幸村さんだって若い時は上の人距離が近かったからこそカリスマ武将になれたのですから。以上です。最後まで読んでいただきありがとうございました。

りかちゅう