資本主義の父!渋沢栄一の幼少期!

どうも、りかちゅうです!渋沢栄一という人物の名前は聞いたことはある人はいるかと思われます。なぜなら、2021年の大河ドラマの主役は渋沢栄一だからです。それはTVを見れば分かるけど一体どんな人かって?彼のことを簡単に言いますと色々な事業を明治時代に立ち上げたことから資本主義の父とも言われています。実際に今でも有名な大手企業も渋沢栄一が携わっています。にしてもなんでそんな偉業を作れるのかよって思いますよね?それは渋沢栄一の幼少期が影響しています。ですので、この記事では渋沢栄一の幼少期について話したいと思います!

渋沢栄一の人生とは?

まず、渋沢栄一の幼少期に関していきなり語ったとしてもどんな奴かも分からないですしどんな人生を歩んでいたのかも分からないですよね?ですので、渋沢栄一の人生について軽く話しますね。

1840年に現在でいう埼玉県深谷市で三男坊として生まれました。まあ、三男坊とは言えども上の2人はすぐにいなくなったので渋沢栄一は長男扱いされていました。ちなみに家は農商家です。それもあって小さい時から商売に関して学んでいました。大きくなってから尊王攘夷に目覚め、尊王攘夷運動を来ていたら徳川慶喜に仕えることになりました。そして、明治維新はヨーロッパに留学してから事業家としてたくさんの会社を立ち上げました。

※詳細に関してはこちらの記事に書かれています!

資本主義の父!渋沢栄一の人生!

渋沢栄一の生家

なんか軽い説明でも家は農業と商業の両方やってるところでなかなかいい環境じゃん?渋沢家ってどうなってるのとなりますよね?ということで渋沢栄一の生家について話したいと思います!

渋沢栄一の生家は血洗島に十数軒ある渋沢家の宗家の1つで、お父さんは市郎右衛門というひとでした。ちなみに、渋沢栄一のお父さんは宗家に婿養子に 来た人で、真面目であったのもあり些細なことでも几帳面だったそうです。また、勤勉家でもあり農業をはじめ、養蚕、藍の製造・販売、村人に金の 融通もするなど農・工・商・金融をしていたそうです。

どんな幼少期だったの?

以上が渋沢栄一の生家です。お父さんのステータスを見てもなんかすごいなと思いますよね。こんな家に住んでいたらこそいい教育を受けているんだなとなりますよね?もちろんそうですね。だからってどんな感じかまではわからないと思われます。ですので、今から説明したいと思います!

1.6歳から8歳

調べましたが5歳までのことまでは分かりません。ただ、少なくともお父さんから色々教えてもらったことでしょう。それで、渋沢栄一は6歳の時から『大学』『中庸』『論語』をお父さんから父について学んでいたそうです。え?6歳でってなりますよね?6歳らしくないってなりますよね?私もここに関してはビビりました。また、7、8歳になってからは

7、8町離れた手許村(てばかむら)の10歳年上の従兄尾高と新五郎に入門しました。そこでは『小学』『蒙求(もうぎゅう)』『文選』『左伝』『史記』『漢書』『十八史略』『天明史略』『国史略、『日本外史』などを読んでいたそうです。なんだこりゃって感じですよね?どれも漢書だと思っておけばいいです。私自身入試問題で解いたことあるってくらいにしか思ってないです。

 

2.11歳から12歳

9歳から10歳に関してもどんな感じかは見つかりませんでした。ただ、11、12歳の頃からは『通俗三国志』、『里見八犬伝』、『俊寛島物語』のなど娯楽的読物にも親しんだそうです。なんか昔の方が漢書ばかりで堅いなぁって感じでしたが娯楽物を読み出すってなったらなんか丸みを帯びましたね。私は里見八犬伝なら知っています。読んだことはないですが受験勉強で触れました。ちなみに里見八犬伝は江戸の文学です。

3.14歳から15歳

今までは学習していることの方がメインでした。ですが、14歳から15歳になると近村を回り、家業の藍の製造に欠かせない藍葉の買い付けをおこなっていたそうです。なんか、藍を作って売るなんて農商家らしいですね。にしてもいきなり商売やんって思いますよね?理由はお父さんから読書三昧では困ると言われたからそうです。要するに、これが渋沢栄一にとってはじめての商売ということでもあります。てか、今で言う中学生で商売って相当頭良くなる気しかしませんね。

4.16歳から17歳

商売デビューが14歳でその2年後。経験がものを言うからなのか渋沢栄一は功績を残しました。なんと藍の選定がうまくなったことから都合21軒の藍を全部買ってしまう、という大胆な決定をしました!もちろんこの件に関してはお父さんは褒めたそうです。さすがですね。ここまで才能あるとなるとこれまたお父さん譲りですね。

幼少期時代の性格

渋沢栄一の幼少期時代の性格は勤勉で真面目だったそうです。この性格はお父さん譲りかもしれませんね。エピソードとしては12歳の正月、年始廻りに出掛けたときには、本を読みながら歩いてドブに落ちたそうです。それくらい勉強に夢中ってことでもありますね。ただ、晴着で出かけていたのでお母さんに叱られたそうです。

ただ、真面目だけど大胆な一面があったりおしゃべりな一面はあったそうです。それもあってお父さんに叱られることもありました。大胆な一面のエピソードとしては1854年に叔父と江戸へ出た栄一は、代金1両2分を支払って桐製の書籍箱と硯箱を買い求めて帰宅しました。こんなにお金使っていいのかよってなりますよね。もちろん、お父さんは怒りました。理由は買った物が華美であったことから、やがては今の居宅も書斎も気に入らないとお父さんは感じたからです。やはり、農商家となると華美なものは好まれないのかもしれませんね。

商売は学んで損はない!

渋沢栄一の人生を見ても分かると思いますが商売に関して学んで損はないです。むしろ、得です。まず、日常生活的に考えてもお金の使い道というものが分かります。ただ、それだけではありません。やはり、仕事面でも役に立ちます。今の用語でいうならばマーケティング能力が身につくのは当然ですね。それもあって、どうやって自分稼ぐ能力が身についていくのは当然かと思われます。詳しくはこちらを見てください!

商売をした方がいい理由:商売で学べること

まとめ

渋沢栄一が大河ドラマの主演となるとなった時渋沢栄一の人生についてコラムを書きました(上の方に載せています)。その際に思ったこととしては昔から商業に携わっている家だなぁということです。やはり、事業家として活躍できたのは生い立ちの影響もあるんだなと。それ故に今回渋沢栄一の幼少期について書きました。

書いてみた感想としては子供の頃からやはり商売はしていたんだなと。しかも14歳からなんてまさかのまさかってなりましたね。だって今の時代ならば実際に商売やビジネスなどを自由にできるのは大学生くらいからです。それなのに渋沢栄一は中学でやれちゃってますからね。しかも、小さい頃から功績を出してます。これはもう事業家として活躍できること間違いなしですよね。

ただ、彼が成功したのは環境だけではないです。真面目で勤勉だったからこそ成功したのではないのかなと思われます。多分この精神に関しては大人になっても変わってないかと思われます。ですので、まじめにコツコツとやっていく渋沢栄一の姿を今後とも見ていきたいなと思っています!以上です!最後まで読んでいただきありがとうございました。

りかちゅう