信長が裏切られた理由:人気だが敵も多し

どうも、りかちゅうです。皆さん信長こと織田信長ってどう思いますか?おそらく、大好きって思う方もいれば、斬新な考えしてる、戦国武将の中でもカッコいいってイメージを抱いている人はいることでしょう。戦国時代の時から信長は評価されていた人材でしたしね。ですが、その反対で信長には嫌われ者も多かったです。特に部下にはかなり嫌われていました。(今の時代でも嫌いな戦国武将ランキングには載ってはいます)。一体、なんでカリスマ的存在なのに嫌われてしまうのか?この記事にて話したいと思います!

信長ってどんな人?

信長とは紛れもなく天下統一を目指したものの本能寺の変でその夢は話せなかった人というのは誰もが知っているはずです。ですが、生い立ち等は分からない方もいると思うのでまず信長とはどんな人なのかについて簡単に話しますね。1534年に現在の愛知県こと尾張で織田信秀の子として生まれました。信長の若い時代は奇行が多く現在でいうバカ者こと「うつけ者」扱いをされていました。ですが、父が急死して18歳の時に後継ぎとして家督を継ぎました。ただ織田家はその当時他の家よりかは力がありませんでした。そんな時のチャンスが桶狭間の戦いです。夜襲で今川義元を負かしたことから信長は軌道に乗ることができ有名になりました。

※詳しいことに関しては別記事にて書きます。

信長の人気ランキングって?

信長の人気ランキングってどうなのって所ですよね?人気とは言えども統計的には分からないと。そういう方もいるかと思って調べてみました!こちらです!

なんと1位ですね!さすがカリスマ的存在やら、戦国武将としてカッコいいって言われているだけあって1位をゲットしていますね!あとは歴史の教科書でも載るくらいの存在だからこそ知名度もあって1位になり得るのかもしれませんね。

※過激で残虐な一面もあって嫌いな戦国武将ランキングでは7位です。参考リンクはこちらです!

https://rank1-media.com/I0003961

信長が人気な理由

戦国時代の時から評価されていたのはもちろんのことこと、現在でも人気ランキング1位にいる信長。一体どうしてここまで人気だったのか?今から人気の理由を話しますね!

1.戦はとりあえず強い!

信長は家臣に相談するというよりかは我が道をいくタイプでした。これが後で痛手とはなるんですけどね。ただ信長が尊敬されるのは戦が強いからです。強い要因としては情報収集を徹底的にしていたからだそうです。桶狭間の戦いの時も相手が休んでいるということを把握したから勝ててますもんね。ちなみに勝率は90%です。家臣にとっては振り回されているものの実績はあるからこそ一目は置かれていたはずです。武士は戦で実績を残す世界ですから。

2.実力主義スタイル故に組織が有能

戦国時代の給料基準はその人の家柄や血筋、先祖代々からの家臣であるかなどが基準にはありました。実力ももちろんなんですけどね。ですが、信長は家柄は関係ないです!完全実力主義でした。秀吉も農民からデビュー出来たのも信長のスタンスだったからでしょうね。実力のある人には出世の道は与えるのはもちろんのこと、それに見合った恩賞を与えてました。これは革命的な話です。今までは家柄とか加味されていたからこそ。だか、この制度だったからこそ信長界隈には有能な人材だらけで戦力として活躍していました。

3.商売上手

武士のトップでいるのは戦が強くないといけないのはもちろんです。ただ信長はそれだけではないんです。実は商売上手でもありました。それを示すのが楽市楽座です。このおかげで安土の城下町は豊かになりました。

楽市楽座とは何か?その当時、商人達には座という組合があり、その組合が仕切っていたのもあって商人は自由に商売なんて出来ませんでした。それで、信長は座をなくして自由に商売ができるようにしました。また、税金も廃止したのでみんなして大歓喜!この政策のおかげで商売が盛んになりました。戦国時代は武士が政治や経済を統治すること感じでしたか、武力だけでは生き残れないのが目に見えてますね。

 

4.異文化を取り入れる

ぶっちゃけた話、日本って海外よりかは遅れている点は多いんですよ。具体的にどうこうって話をするとキリがないので割愛しますが。それもあって日本を発達させるには海外は今どうなっているかを把握しない限りは始まらないちゃ始まらないです。それを行ったのが信長です。キリスト教の推奨。ポルトガルからの鉄砲を武器として取り入れる(長篠の戦いでは鉄砲が活躍したように)。このような取り組みがあったからこそ実績もあるのはもちろんのこと先駆者として人気がありました。ちなみに信長の城でもある安土城はヨーロッパのデザインであります。

信長に敵が多かった理由

確かに上記のような要素があったからこそ信長は人気であるのは事実です。ですが敵も多かったです。一体その理由はなんなのか?

1.自分の言いなりになると思ってた

確かに信長には実力があります。ですが、聞く耳はありませんでした。正直な話をすると自分の言いなりになると思っていました。おそらく、実力があるから自信があったのかもしれませんが。それもあって明智光秀に裏切られましたからね。だからって、信長は不満があるなら言って欲しいというスタンスはあることにはありました。ですが、部下はそういう気持ちになるになりませんでした。信長は部下に厳しく弱不満が音を吐いたら部下を咎めます。だから部下は不満が募るばかりでいずれ信長を嫌うようになりました。

2.過激な一面もあった

信長といえば冷静で落ち着いついているイメージはないですよね?むしろ、なんか過激ですぐに怒りそうみたいなイメージの方が強いですよね?その通りです!信長は過激であります。特に敵に回したら容赦しません。確か、誰かの指を全部切って燃やしたみたいなことを噂で聞いたことあります。おそらく、普通の場合でしたら過激なことをしたら人が嫌うということを考えるからそこまでの行為はしなくても、信長は性格が過激であるため何か不満なことがあったらすぐに切れて行動に移してしまいます。このような態度は何がどうあれされた側は不快でしかないですよね。

3.実力主義過ぎた

先ほどのように信長が地位を得たのは実力主義なスタイルだったのは事実です。ですが、あまりに実力主義の色が濃過ぎて部下は疲弊することが多かったちゃ多かったです。先ほどの弱音が吐けないもその理由ですね。これは今の組織でも同じことが言えるのですがあまりに実力主義なスタンスでやると人間ですから疲れてしまいます。そのように考えると信長は飴とムチの飴を与えずにゴリゴリの実力主義なスタンスだったのは間違いないですね。

まとめ

私は戦国武将として信長は好きですよ。実力もありますし。ですが、信長にはリーダーとして足りない点としては聞き耳のなさとは思っています。確かに、実力もあるからこそ自分には自信があったのでしょう。実力があるから誰かしらついてくると。ですが、その気持ちが一方的で人の個人差を見ることもしないで進んでしまった。だから、明智光秀に打たれたという最期を迎えたのは事実です。

それを見て思ったのがトップになると独りよがりになりやすいということですね。上の人間なんだから自分は正しいんだと。ただこの態度はいずれ不幸になるからこそ、やってはいけない行為なんだと信長見て痛感しました。おそらく、皆さんもそうなはずです。ですので、たとえ上の立場になろうとも独りやがりな態度は控えるように心がけましょう!以上です。最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

りかちゅう

※信長の人気ランキングを調べる際に参考にしたサイトはこちらです!

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