地下鉄サリン事件とは?:日本のテロ事件

どうもりかちゅうです。皆さん3月20日はなんの日かご存知ですか?そう3月20日は地下鉄サリン事件の日です。1995年に起きた事件ですので若い人ほど知らなかったってことは多いでしょう。私もギリギリ生まれていないですが←。私が生まれたことは置いといて、この事件は日本で起きたテロ事件です。ちなみに宗教関係のテロです。それでなぜこの話題をしたかというとたくさんの人が無差別でいなくなってしまいました。被害者もかなりの数です。それ故に有名な事件として今も伝えられています。果たしてどんな事件か?この記事で話したいと思います!

地下鉄サリン事件って何?

まず地下鉄サリン事件のことを詳しく知らない方もいるかと思います。ということでまず初めに地下鉄サリン事件とはどんな時間かについて話しますね。

オウム真理教による犯行

地下鉄サリン事件は1995年3月20日に起きました。誰がやったのか?それはオウム真理教という宗教団体です。オウム真理教については後ほど話したいと思います。それでどんな犯行をしたかというとその当時の午前8時に東京の地下鉄(丸ノ内線・日比谷線・千代田線)の車内に猛毒の神経ガスのサリンが撒かれた事件です。サリンとはナチス・ドイツで開発した化学兵器のために使われる毒です。そのため、非常に毒性が強いです。どれくらいかというと青酸カリの500倍です。青酸カリでも人が死ぬのだからサリンはもう想像付きますよね?

被害者の数

非常に毒性のあるサリンが撒かれたということなるとかなりの人が被害になったんでは考えるかと思われます。もちろんです。13人が死亡約6300人が重軽傷を負いました。被害者には乗客及び乗務員、係員、さらには被害者の救助にあたった人など多岐に渡っていました。さすがラッシュアワーの時に撒かれた過去は被害は大きいものですね。

オウム真理教ってどんな宗教?

地下鉄サリン事件は分かったものの、事件を起こした犯人ことオウム真理教というものはどういうものなのかをまだ説明していないので今から説明しますね。

元はヨガ教室だった

オウム真理教の原点は1984年です。オウム真理教のトップこと麻原彰晃はオウム真理教のになる前の団体「オウムの会」というヨーガ(≒ヨガ)のサークルを東京都世田谷区で立ち上げました。ヨガだけあって健康を維持・回復したい人が参加しました。教室はアットホームだったそうです。

あるきっかけで宗教に

それなのに、宗教団体になったのはとあるきっかけに宗教感が増してしまいました。それはオカルト系の雑誌「月刊ムー」が日本のヨガ団体として取材したからです。それで、麻原彰晃はこれらオカルト雑誌に空中浮揚都称する写真を載せたり、オカルト関係の本を執筆するように宣伝しました。このような活動の影響で1987年にはヨガ団体から「オウム真理教」と宗教団体となりました。それで麻原彰晃は自分のことを超能力を身につけた霊的指導者と称し、若者を中心に信者を増やしました。彼の布教活動の影響で地下鉄サリン事件の時点では、信者が1万人以上いたそうです。

※どういう教えかに関してはリスクがあるので載せません。

事件が起きた理由

オウム真理教はどういう宗教かは分かったかと思うのでなぜ地下鉄サリン事件という事件をオウム真理教が犯したのかについて話したいと思います!

衆議院選挙で惨敗

オウム真理教は1990年に真理党を結成しました。おそらく、自分達の教えを伝えたかったからでしょう。それで、真理党は衆議院選挙に麻原彰晃を含む25名が出馬すると、テレビや新聞で報道され知名度は上がっていきました。ですが、衆議院選挙では全員落選と惨敗してしまいました。そのため、供託金も没収されると、オウム真理教を脱退する人が続出しました。これはトップの麻原彰晃は危機感を感じ布教活動は過激化しました。

日本を脅かすという欲

その際に日本を転覆させようという考えを麻原彰晃は企みました。いわゆるボイコットですね。そこで、サリンを製造し事件を引き起こしました。実は大きな事件は1995年の地下鉄サリン事件ですが1993年からサリンを使った犯行は行っていました。1993年のは未遂で終わったんですけどね。ですが、1994年6月の松本サリン事件は成功してしまいました。事件の内容は割愛いたします。要は選挙に惨敗してからが崩れ始めたということです。

追い込まれてサリン事件を犯す

選挙に惨敗してからオウム真理教が起こす過激な行動は止まりませんでした。そして、地下鉄サリン事件を犯す決定打となったのは1995年2月の公証人役場事務長逮捕監禁致死事件です。目撃者の話から踏まえて容疑者はオウム真理教ではないんじゃないかという流れになりました。そこで、警察は教団本部に強制捜査に入ろうとしていた矢先、地下鉄サリン事件を実行しました。捜査の前にボイコットということですね。だからってこのやり方は倫理に反していると思います。

加害者側の末路

事件から2日後の3月22日に、警察はオウム真理教を強制捜査しました。その際に事件に関与していた幹部たちが逮捕され、逮捕者の1人でもある林郁夫の供述で事件の全貌が明らかになりました。そして、5月16日にトップの麻原彰晃が主犯者として逮捕されました。逮捕者は40人近くに及んだ。

そこから裁判を開始。東京地方裁判所は首謀者の麻原彰晃を始め、林郁夫を除く地下鉄サリン事件の実行犯全員と、送迎役のうち新実智光に死刑を言い渡しました。ただ裁判は終わらず加害者側は東京高等裁判所に控訴しました。裁判の結果、東京地方裁判所では無期懲役だった井上嘉浩は東京高等裁判所では死刑判決が言い渡されました。

ただ他にも逮捕されるべき人材はいました。2012年6月15日この事件に関与したとして特別指名手配犯として目をつけられていた高橋克也が逮捕されました。他にも地下鉄サリン事件で特別指名手配されていた容疑者は全員逮捕されました。他にも求刑されていた人はいますが割愛いたします。

事件に携わった人は判決は出たものの死刑判決の人達はすぐに死刑判決にはなりませんでした。おそらく、色々な事情があるからかと思いますが。それで、死刑執行したのは2018年7月です。法的な処理はこの時に終わりました。

被害者の声

被害に遭って生き残った人もいます。ですが後遺症を持つなど元の生活に戻れない人もいます。または、自分の親戚や身内が地下鉄サリン事件故にいなくなった方もいます。このような人達は今でも苦しんでいます。このような方達はたとえ加害者側は罰を下されたとしても未だに苦しい人生は続いているなり、人生を奪われたなどの声があります。このように思って当然ですね。実際に地下鉄サリン事件に関する裁判の時期に「オウム、馬鹿」と叫んだ人もいます。

まとめ

この事件は宗教テロなため、宗教の教えがどうこうに関しては言及ことはしません。宗教関係は怖いので。ですが、思う事としてはどんな教えを唱えてようと何も悪くない人を殺してはいけないということです。当たり前の話ですがなぜこのように何も悪いことをしてない人をも巻き込むのは罪です。被害者はこの事件によって大いに苦しんでいます。いや、苦しむどころの領域ではないですね。言葉にできないくらい人生を狂わせているわけですから。ですので、加害者側に関しては罪を償うことは一生涯するべきだと思っています。まあ、事件が事件なのでこれで締めにします。最後まで読んでいただきありがとうございました。

りかちゅう