多数派が正しいとは限らない理由:少数派の辛さ

どうも、りかちゅうです!その中って多数派の人が正しいみたいな雰囲気ってありませんか?みんながしていることは基本的に正しいみたいな感覚とかまさにそうですよね。具体的には集団で○×クイズをした時に多数派に流れやすいのがまさにそうなのかなと思われます。でも、たまに少数派が正解なんてこともありますけどね。このような具体例を見てもたとえ少数派が正しかったとしても多数派のところに流れたり、多数派の言動が正義みたいになったりしているのが明らかではあるとは思います。なんか不条理ではありすよね。ですので、この記事では多数派が正しいとは限らない理由について話しますね。

多数派が正しいみたいになる事例

先ほども述べたように世の中って多数派が正しいみたいなノリがあるのが現実です。では具体的にはどのような具体例があるのか?

1.学校の出し物

まあ、これは正しい、間違っているという概念よりかは薄い面はありますが基本的に多数決ではありますよね?文化祭で何をやるのか?合唱コンで何を歌うのかなどこれらは多数派の意見が通るのが現実です。それもあってもし、多数派の意見とは違うことを言いたいみたいな気持ちが失せてしまい、結局合わせてしまうなんてことはあるのかなと思われます。実際に私もそういう経験したことはあります。このようなことを踏まえても結局学校の行事って多数決で決まっちゃいますよね。

2.マスク文化

これはコロナ禍ならではの話ではありますが多くの人がマスクしてるからするみたいになっているのかなと思われます。また、マスクしていれば怒られずに済むからマスクするみたいな感覚もあるかもしれませんね。それで、もしマスクをしていなかったらあれこれ言われる世界線です。それもおそらく、みんながしているから効果があるんだろみたいな感じなのかなと思われます。なんか精神論なんじゃないのとしか思えません。まあ、コロナ禍でなくてもそういうのはあるかもしれませんね。

3.名前の呼び方

これって案外多数派だったりするんですよね。私を具体例にするならば大半の人がりかちゅうと言っているから言おうみたいな感じですね。まあ、私に関してはそうやって呼べよみたいに言っている点もありますけどwwwwww。ですが、この私だって苗字で呼ばれる環境にいたら苗字呼びになります。これは私に限ったことではないはずです。このようなことを踏まえても名前の呼び方は多数派によって決まると言っても過言ではありません。私の場合は苗字呼びは嫌ですね←。

要は多数派の呼び方が当事者が呼んでほしい呼び方とは限らないということです。

多数派が正しいとなってしまう理由

このような具体例から多数派が正しいとなってしまうのが分かったかと思われます。てか、具体例の内容ポンコツだって?すいません。多数派が正義という概念がないためこんなのになりました。

にしても、なんでそういう理屈になるのとなりますよね?それは多数派同調バイアスが発生するからです。多数派同調バイアスとは自分の考えはたとえ違っていたとしても多数派の考え方に合わせようとする心理が走るということです。まあ、そういう心理になるのはわかります。だって、集団の中で自分一人だけ言っていることが違かったら貫き通せるに倒せないですのね?むしろ、不安に思って周りの人たちと同じ意見に合わせてしまうかと思われます。要は集団の一員という安心感を得たい故に起きてしまう心理現象です。

多数派が正しいとは限らない理由

このように、心理的にも多数派に合わせてしまうのが現実です。ただ、多数派が正しいとは限らないこともあります。ではどうしてなのか?

1.根拠がないから

まだ、多数派の意見に根拠があるならばまだいいんですよ。合理的な発想ではありますからね。ですが、根拠というものもないのにもかかわらずみんなが言っているからやらみんながしているからするみたいな発想でしたらそれはそれでアウトです。自分で何かを考えることなく周りに合わせとけばなんとかなるみたいなノリは思考力が低下します。このようなことを踏まえても多数派同調バイアスってなかなか厄介なものですね。

2.みんなで渡れば怖くない思考だから

赤信号、みんなで渡れば怖くないという文言がありますよね?これって悪いことであってもみんながしているからなんとかなるという意味でもあります。逆に、たとえどんなにいい行いをしていたとしても浸透していなかったら浮いた行動をしているという風にみなされてしまいます。となれば大袈裟なことを言いますが殺し合いみあいなのが始まればそれが良しみたいになるのかと思われます。

合わせられる子ばかり幸せを手に

私が思っていることです。どんなことであれ合わせられる子ばかり幸せを手にしている気がします(元ネタはJuice=Juiceの「ひとりで生きられそう」ってそれってねえ、褒めているの?です)。基本的に合わせていれば何も文句は言われることはないです。会社で言うならば理不尽なことであっても飲み込んでやれる人ほど何も困難なく生きれる感じですね。ですが、反対にたとえ正しくても少数派だったら揉み消されるのが事実です。きっと少数派の人ならば日々苦労しているはずです。

だから、私は合わせられる子ばかり幸せを手に手にしていくのかなと思われます。ただ、そんな人生って楽しくもなにもないとは思いますけどね?無難に合わせていけばなんでもいいなんて量産型にもほどがあります。それなのにそれが正義となる一面はありますよね。

まとめ

この記事書いていたらドラゴン桜を思い出しました。なんでだよって実はドラゴン桜にこのような発言がありました(ドラマでの発言です)。

ルールはすべて頭のいいやつの
都合の良いように
作られている

まさにその通りなのかなと思いました。しかも、なによりもうざいのは都合のいいように作られているのもが正しいとは限らないということです。むしろ、自己都合で作られたルールでしかないです。それなのに、みんなして従わないと省かれてしまいます。また、もしそのようなことが嫌ならば這い上がるしかないのが現実でもあります。理不尽な感じしかしません。

ただ、嘆いていても無駄なにも始まらないです。ですので、少なくとも周りがどう思うかは置いといて自分はどうしたいかは考えた方がいいと思います。そうすれば多数派が正しいみたいなノリは少なくなるとは思います。以上です!最後まで読んでいただきありがとうございました。

りかちゅう