大阪の陣のきっかけ!方広寺鐘名事件とは何か?

どうも、りかちゅうです!関ヶ原の戦いでは三成だけが処刑でした。となると、茶々と秀頼は生きていたのって?そうですよ!領地は減ったものの大名扱いではありました。しかも、豊臣と徳川が一緒になって色々やっていこうみたいな感じもありましたからね。そうじゃなきゃ秀頼と千姫は結婚しません。それもあってなのか、豊臣の力はまだ強かったです。となると、豊臣方は内心はまた権力を持ちたいとなるはずです。茶々の性格からしてもそうなるでしょうね?それで、その心を煽るような事件が起きました。それは方広寺鐘名事件です。簡単の言えば鐘名の文字がきっかけで豊臣と徳川が対立した感じです。では一体どんな事件だったのか?この記事にて話したいと思います!

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