プロ忍者!大鼠(神谷権六)と女大鼠とはどんな人か?

どうも、りかちゅうです!服部半蔵の家は忍者であることは分かりますよね?実際に2代目服部半蔵こと服部正成のお父さんは忍者だったそうです。ですが、2代目以降は武将として活躍するようになりました。とは言えども服部家の周りには忍者だらけでした。実際に伊賀越えが成功できたのは服部半蔵が忍者とのコネがあったからできた話です。このように、服部家は忍者との絡みはあります。まあ、初代服部半蔵が忍者なんですから当然ですよね。それで、2代目服部半蔵(みんなが言う服部半蔵です)に仕えた有名な忍者がいます。それは大鼠(神谷権六)と女大鼠です。忍者の頭と思えばいいです。では、一体何者なのか?この記事にて話しますね!

※「どうする家康」では女大鼠も出るので女大鼠の話もしますね。

なんで鼠なの?

忍者と言えばいいのになんで鼠という表現をするのと思いますよね?実は鼠(ねずみ)のように這(いつくばって、素早い動きをするから神谷権六は大鼠と呼ばれていたそうです。特徴は冷静沈着かつプロな老忍者で普段は農業をしながら身を隠しているそうです。

服部家の忍者事情

神谷権六は普段は農業をしていると言いましたがこれは神谷権六以外の忍者もそうです。実は伊賀忍者・甲賀忍者は半農半士でした。どういうことだよって?どうやら毎日忍者の仕事をしたり、特訓していた訳でもなかったそうです。普段は農業をしながら生活していたそうです。農民に見せかけた忍者だと思えばいいですね。ただ、伊賀も甲賀も小さな豪族が大変多く、それぞれの領地も狭いので武士だけではやっていけなかったそうでうす。そこで、農業をしながら有事の際には合戦に武士として出陣していたそうです。

その際に伊賀衆の戦術は、夜襲するか、密かに忍び込んで火を放つのが中心だったそうです。それ故に「忍び」と呼ばれるようになりました。また、忍び込むのが上手く諜報活動を行う能力に長けていたためスパイ活動や情報収集の任務を期待されていたそうです。

神谷権六とはどんな人?

以上が服部家の忍者事情です。それで、「どうする家康」では大鼠という忍者がメインとなるかと思われます。なぜなら、大鼠と言われていた神谷権六という人物は歴史の資料に載っているからです。ですので、今から神谷権六について話したいと思います!

1.高天神城の陥落

1574年5月に遠江国の高天神城が武田勝頼に攻められました。その際にピンチが起きます。なんと、城主の小笠原氏助が内通したため陥落しました。ただ、大須賀康高は解放され、反攻の足がかりとして馬伏塚城の守りを固めます。この時、大村高重が近くに住んでいたため、家康は大村高重を康高の元へ合流させました。

2.高天神城を奪還する

家康が高天神城の奪還に取り組む時に「大鼠」こと神谷権六や、林藤内ら36名の忍びを率いて先手を務めます。南紀徳川史にこのように書かれています。

高天神落城之時弥兵衛家来神谷権六林藤内ヲ初三十六人忍之者ヲ召連御先手ニテ相働申候……

34名については名前がないです。ですが、服部半蔵らが加勢していた忍者かと思われます。

 

女大鼠とは何者?

「どうする家康」では松本まりかが演じている女鼠って何者なのと思いますよね?女大鼠とは服部家の女忍者(通称くのいち)を束ねる頭だそうです。親子揃って頭ということですね。女大鼠の特徴は自信の身体の柔らかさを生かし、どんな場所にも忍び込むそうです。その際に町娘から遊女、武士までどんな人物も変装するそうです。また、服部半蔵をフォローする良きパートナーとなるそうです。服部半蔵のパートナーが女大鼠かどうかは史実上分かりませんが(どうする家康はフィクションが多いので)服部半蔵の支えとなる役ではあります。

忍者は他の家にもいたらしい!

忍者って本当にあるのかなと思いますよね?戦略の質は斬新で高いものの、武将のようにこと細かいことなんてわからないですし。服部家の忍者だって強かったものの、そんなもんです。それもあって、明確なことは分かっていない感じではあります。ただ、他の家にも忍者はいたそうです。ネットで調べてみたところ真田丸の真田家には忍者がいたそうです。真田忍軍と言います。だから、真田家は家は小さかったものの、強いのかなと思われます。

まとめ

個人的にびっくりしたのが服部の忍者は普段農民だったことです。てっきり武士の一環だと思っていました。ただ、武士の一環でないからメリットはあるなと感じました。それは諜報活動がしやすいことです。農民の方が武士ではないのでしれっと紛れ込むことができます。それもあるから諜報活動にも抜擢されたのかと思われます。以上です。最後まで読んでいただきありがとうございました。

りかちゅう