作ったのは日本人!北朝鮮の建国経緯

どうも、りかちゅうです!北朝鮮って世間的に見たらいいイメージはないですね。そりゃ、メディアがたたいていますから!あとその影響で北朝鮮に旅行も難しかったそうですね?一時期ツアーじゃないと無理とかあった気がします。とにかく、世間的な言われようからしてもいいような国というイメージがないのは事実です。ただ、これはあくまで印象操作の影響でこんな評価になっています。本当の姿は違うと思います。なぜなら、北朝鮮なんですが元は日本人が建国したものです。何事と思いますよね?そんなの一般的には知られてないぞと。ですので、この記事にて話したいと思います!

北朝鮮は悪の国ではないぞ!

まずはここです。後ほど詳しく話しますが北朝鮮はまず日本人が作った国なため日本に悪いようにするような国ではないです。むしろ、日本人のフリした在日政治家の方が日本を悪いようにしているのではと思いますけどね?本当は日本人でないんだからこそ。また、世間的には言う悪の国でもないです。むしろ、ホワイトハットの国の1つとして活躍しています。プーチンの顔を見ればそこら辺は分かりますね。とにかく、このようなことを踏まえても何度も言っていますが北朝鮮は印象操作されている国ってことになりますね。

北朝鮮ができるまでの経緯

先ほども述べたように北朝鮮は日本人が作った国です。なんだそりゃと思いますよね?だからこそ、経緯から話しますね!

1.第二次世界大戦までの朝鮮半島

1910年から2次大戦の終戦まで朝鮮半島は日本の領土でした。なんでそうなったのか?

日本は朝鮮を欧米諸国のように植民地として扱うことをせず日本国内と同等の扱いをしたかったからです。もちろんその考えは叶ったことから日本は朝鮮半島に対して資本を投資し、産業を育成し、教育を整備しました。ちなみにこの時の投資先、工場や生産設備はほとんどが平壌を中心とする現在の北朝鮮の地域にあります。このような状況だったことから朝鮮半島内では日本人と朝鮮人や中国人がともに居住し助け合っていたそうです。ですが、1945年8月15日の玉音放送以降から動きは変わります。

 

一応この後もまだ朝鮮半島内では陸軍の残留部隊が戦闘を続けていました。ですが、1945年9月9日に平壌にあった日本の朝鮮総督府がソ連軍に降伏し朝鮮残留陸軍が武装解除されてからは今まだ通りにいかなくなります。

2.南北分断

第2次世界大戦以降は相手国が降伏した時点でその場所を制圧している国がそのまま戦後も統治するという体制をとっていました。そのため、終戦の時点では38度線を境に北部をソ連軍、南部をアメリカ軍が占領しました。分断統治ってやつですね。それで、南部のほうは草々にアメリカの完全統治が実現しました。ですが、北部においては朝鮮半島時代の投資先でもあったので残留日本軍によるソ連への抵抗活動がありました。

3.ソ連に対抗する人たち

ソ連軍は日本軍の残党を見つけ次第逮捕しシベリアへ送って強制労働をさせていました。シベリア出兵はそこから来ますね。ただ、それでもしぶとく抵抗を続けている者たちも存在しました。そのような人達は残置諜者と呼ばれました。どんな人たちだったのか?スパイ活動の訓練を受けていた陸軍中野学校の人たちがメインだそうです。この学校は一般の士官学校とは違って生徒は武器を持たず平服で長髪の格好で行動します。そんな服装で何するのって?戦闘ではなく主にスパイ活動についての訓練を受けていました。その訓練では潜入対象国の言葉や思想、文化、歴史などを徹底的に学んでいたそうです。そうすることで、日本人であることを隠してその国の人間として潜入しそこで工作・破壊活動を行うことができました。具体的には終戦前から朝鮮人に成りすまして朝鮮に潜入し朝鮮半島内で工作活動を行っていました。

このように、諜報員達が終戦後も日本人であることを隠しソ連の目を欺きながら北朝鮮内で工作活動を行いました。また、その人達さアメリカに占領されている日本本国に代わってアメリカをけん制する役割を担ったのです。

4.残置諜者の頭

残置諜者たちを取りまとめ活動を指揮していたのが畑中理という人物です。彼は現地では金策という朝鮮名を名乗り朝鮮人の対日独立運動の闘士としてソ連の目を欺いて活動していました。ちなみに金策という名前の由来はもともと残置諜者の中で金策を担当していたからだそうです。

建国の試みと建国した時の体制

このように、北朝鮮エリアではソ連に対抗するメンバーがいたことから植民地化にはなるになれませんでした。むしろ、北朝鮮という国を建国します。ですので、その試みと建国した当時の体制を話しますね!

試み

残置諜者達は日本国内の日本軍の残党たちと連絡を取りながら北朝鮮に新たな国家の建国を試みます。その最初の試みが朝鮮人民共和国の建国でした。これは北朝鮮各地に人民委員会を設置しこの委員会がソ連の意志を受けて間接統治をおこなうという企画です。もちろん人民委員会の主要メンバー日本の残置諜者です。ですが、しかし、この試みはソ連にばれてしまい、たくさんの残留軍人や残置諜者が逮捕され、シベリアに送られています。とは言えども、しかしソ連は直接統治がめんどくさかったのか、この人民委員会のシステムをそのまま残しソビエト民生庁が人民委員会に指示を出す形での間接統治形態をとります。これはラッキーなことです。理由は畑中などのソ連にばれていない多くの残置諜者たちはこの人民委員会に残ることができるからです。

体制

間接統治ができるからこそ朗報がきました。それは1946年の時です。アメリカが李承晩を擁立し、南朝鮮こと韓国を独立させようとしているという情報が入ってきたのです。畑中は平壌の人民委員会議長になりソ連民生局に交渉し北朝鮮を国家として独立させる運動を行います。ですが、北朝鮮に代表となる人がまだいないためソ連は独立国家建国を渋ります。そこで、畑中はかつての日本軍諜報機関で培った技術新国家の旗印として適切な人物を見つけ出します。それが、金日成でした。金日成は2次大戦中に日本軍を相手のパルチザン活動で名を挙げたことから知名度がそこそこありました。畑中は金日成に日本軍の諜報機関が後ろ盾になることを告げ金日成を新たな国家の指導者としてソ連に推薦します。ソ連はこれを承認し北朝鮮臨時人民委員会」を設立します。その際に金日成はその初代委員長に就任します。

その後1948年には南朝鮮における大韓民国の成立とともに北朝鮮でもソ連軍が撤退しました。それから朝鮮民主主義人民共和国が成立し金日成はその初代首相に就任します。一方畑中は金策として金日成につぐナンバーツーの副首相に就任し北朝鮮労働党中央委員会常務委員を兼任し北朝鮮の実権を握ります。その後、

 

まとめ

陰謀論など分からない時は北朝鮮は悪の国だと思っていましたね。小学校の時の方がそのような気持ちが強かったというのか。ちょうどその時が横田めぐみさんくだりがありましたからね。それからは北朝鮮のことはそれほどって感じでした。ですが、陰謀論を知ってからまさかの展開でしたね。北朝鮮はホワイトハット側だったんですね。そうじゃなかったら横田めぐみさんの拉致事件が茶番ありきになりませんからね?あれ横田めぐみさんは結婚しに行っただけで拉致はされてませんから!またまたメディアが騙してきましたね。悪からしたら北朝鮮は不都合だから騙してきたと思えばいいのか。とにかく、北朝鮮は日本のために色々してきています。だからこそ、本当の姿の方が知られて欲しいと思います。以上です!最後まで読んでいただきありがとうございました。

りかちゅう