伊藤博文が初代内閣総理大臣になれた理由:黒歴史

どうも、りかちゅうです!日本の初代内閣総理大臣は誰でしょう?伊藤博文です。そんなの常識レベルですよね。とか言って分からない人いそうですが…。まあ、そんなことはさておき、伊藤博文が初代内閣総理大臣になったのは理由があります。その理由とはとある黒歴史があるからです。個人的にはその黒歴史がなかったら初代内閣総理大臣になっていなかったと言っても過言ではないです。その黒歴史知りたいですよね?ですので、この記事にてたくさん話したいと思います。

※私がどうしても書きたかった話でもあります。

伊藤博文のプロフィール

名前 伊藤博文

ひろふみではなくひろぶみです

生年月日 1841年10月16日

出身地 

周防国熊毛郡←今でいう山口県光市です

没年 1909年10月26日←68歳

本題に入る前に知るべきデータ

本題はもちろん伊藤博文が内閣総理大臣になった理由です。ただ、その前に知っておかないといけない内容があります。ですので、今から話しますね!

1.昔は身分が低かった

伊藤博文は林十蔵という農民の長男として生まれました。幼名は俊輔です。ちなみにお父さんは萩藩の中間(ちゅうげん)である伊藤家に奉公をしていました。中間とは門番などの雑用を行う武家の奉公人です。それで、お父さんが伊藤家の養子になったことから伊藤博文も下級武士の身分を得ました。足軽よりも身分が低いです。役職名は下忍です。仕事内容は暗殺などです。今の段階ではそれだけ分かってくれればいいです。

2.松下村塾の塾生だった

伊藤博文は松下村塾の塾生できた。松下村塾とは吉田松陰が開いた塾です。どんな塾かというと表向きは尊王攘夷の急進派の塾でした。まあ、それも事実ですが本当に教えていたことは違います。それは後ほど話します。まあ、とにかく彼がその塾に通っていたことを分かってください!また、余談ではありますが吉田松陰ってすごい人みたいなイメージあるじゃないですか?現実は違います。なのに有名になったのはあることを仕組んだからです。

3.千円札の人だった

実は千円札の人だったそうです。発行されていたのは1963年から1986年の約24年間です。私は生まれていませんね。それがどうしたんだよって?実はお札に乗る人って裏組織の人間との絡みが濃いんです!

伊藤博文が内閣総理大臣になれた理由

先ほどの話はあくまで表向きと思ってください。ここからが本題です。なぜ、内閣総理大臣になれたのか?それは幕末の天皇こと孝明天皇を殺したからです。孝明天皇は外国人が嫌いでした。なぜなら、彼らが日本を乗っ取ることを知っていたからです(日本にやってきた外国人のほとんどは裏組織の人間ですからね)。これは外国人側と伊藤博文を含め権力にすがりたい人からしたら不都合です。それ故に暗殺計画を立てました。そして、後ほど話しますが天皇家の血筋をしれっと変えました。

孝明天皇を殺した際の経緯

孝明天皇を殺したのは事実です。証拠に関しては後から話します。それで、どうして伊藤博文が選ばれたのか?どうやって殺したのか気になりますよね?ですので、今から話しますね!

1.選ばれた理由

選ばれた理由は暗殺などの仕事をしていたからです。しかも、彼は人殺しが上手いだけでなく刀剣収集癖まであったそうです。ちなみに、伊藤公資料館に遺品があります。その中に忍者刀といって長い刀の根元を短く切ったものがあります。なんで短いのか?それは自在に扱えるからです。それで、その刀には脂がべっとりとついているそうです。もちろん、人間の脂ですよ。ちなみに、多くの人の血を吸っていることから刀はどす黒く錆びてるそうです。これはかなりの人を斬ったんでしょうね。

2.どうやって殺したか

人を斬るのが上手かった伊藤博文がどうやって孝明天皇を殺したのか?まず、伊藤博文が堀河屋という宿泊場所の中二階にある厠を飛び込み手洗いしていた孝明天皇を床下から刺したようです。そして、小川の水で血刀と血まみれの腕を丁寧に洗ったらしいです。でも、一人でそんなことできるの?天皇の宿泊場所を侵入することが大変ではないのかと。そこに関してはあらかじめ岩倉具視が厠の番人を買収しておいたそうです。

このように、孝明天皇の暗殺が成功したことで伊藤博文は初代内閣総理大臣になりました。でも、なんで殺したことで総理大臣になれたのって?それはとある計画があったからです。

そんな証拠あるの?

聞いて驚いた人もいるかもしれませんね。そんなことあるのかよって。そして、証拠もあるのかよと。もちろんあります。ですので、証拠となるような内容を今から話しますね。

1.安重根による発言

安重根とは伊藤博文を暗殺した人と言われている人です。なぜ殺したのか?韓国側からしたら伊藤博文は国を奪った大悪人だからです。そして、その人が伊藤博文が孝明天皇を殺したと言いました。もちろん、安重根は捕まり、裁判にかけられたよ?ただ、その際にも同じことを言いました。

2.宮崎鉄雄さんの発言

今回この記事を書く際に船瀬さんが書いた「維新の悪人たち」という本を参考にしました。その本に宮崎鉄雄さんのタレコミが書かれていました。それは彼のお父さんが幕末の時に小大名で徳川慶喜から孝明天皇は誰が殺したのかを捜査しろと言われたそうです。それで、操作したところ岩倉具視と伊藤博文であったことが発覚したそうです。そして、彼のお父さんはそれは捜査していることが長州側に察知され伊藤博文から命を狙われました。そして重傷を負ったそうです。これはもう黒ですね。もし、詳細を知りたかったらその本を読んでください。

天皇すり替え事件

孝明天皇の息子が後継になります。ですが、息子だと孝明天皇の血筋があるため息子も殺し、孝明天皇との血筋はない人がなりました。だけど、その人を孝明天皇の息子ってことにしました。要は、後継ぎをすり替えたってことです。ちなみにその立案者は吉田松陰であります。じゃあ松下村塾ってなんだったのかって?孝明天皇暗殺と天皇をすり替えるためのスパイ養成学校です。そして、すり替えの人が明治天皇となりました。すり替えの人の名は大室虎之裕です。彼は長州藩で匿われていた南朝末裔の人間です。伊藤博文がめんどうを見ました。

すり替えたって証拠はどこにあるのって?まず本当の息子さんは色白で虚弱でした。ですが、大室虎之裕は巨人です。また、本物の息子さんは馬には乗れなかったのに大室虎之裕は馬に乗れました。要は見かけからもう違うということです。これは黒ですね。まあ、この話は長くなるので詳しいことはまたいつか話します。

幕末を学習する際に注意すべき点

余談なんですが幕末の学習をする際に注意するべき点が2つあります。それは何か?

1.過去の経歴

明治時代の有名人やお偉いさんって子供の頃は身分が低いってパターン多いんですよ。もちろんみんながみんなしてではないです。具体例としては岩崎弥太郎や岩倉具視です。なんでそのことが重要なのか?それは偉くなりたいという欲が強い故に日本が乗っ取られてもいいから権力にすがりたいと思っているからです。実際に名前が出てる3人なんて裏組織の人間と繋がって利権を得てますからね?要するに、出世には裏があると思ってください。

2.出身地が山口(長州)は要注意!

山口には田布施という小さな町があります。これは鹿児島にも同じ名前の町があるそうです。それで、田布施出身の人たちが明治維新で日本を乗っ取りました。大室寅之裕も田布施の人です。また、田布施には朝鮮系の血も流れています。要するに、朝鮮人系の人間が裏組織の家来として明治時代の権力者となったということです。しかもそれは現代でも通じます。安倍さん、岸信介、佐藤栄作、小泉ファミリーなど。彼らは悪人ですからね。この話をすると長くなるので今回はここまでにしときます。

まとめ

本当に書きたかったんですよね。この内容。なんというのか、この事実を知った時、色んな意味で笑いが止まりませんでした。まさか、伊藤博文にこんな黒歴史があったとはそして、その黒歴史があるから内閣総理大臣になれたなんてどんだけ真っ黒黒すけな世の中だったんだよということを思い知りました。そして、山口は警戒エリアということも思い知りました。まあ、他の人物も黒歴史はあります。ですので、なんかあったらまた書きますね!以上です!最後まで読んでいただきありがとうございました。

りかちゅう