戦国の英雄!織田信長の凄いところ特集!

どうも、りかちゅうです。皆さん信長といえばどのようなイメージを抱きますか?おそらく、カッコいいや行動力がある。実力がかなりある人というイメージを持つことでしょう。実際に信長のルックスは戦国時代の中ではイケメンでした!身長もあの時代の割には高かったですしね。まあ、そんなことはさておき、信長ってすごいってイメージのが強いのは明らかかと思われます。大河ドラマという現代のドラマでもそのような描き方をしていますし。ということでこの記事では信長のすごいところについて話したいと思います!

信長の幼少期はうつけもの

これが信長の肖像画です。どうでもいいですね。すいません。本題に戻りますと信長はすごいというイメージはあるかと思いますが実を言うと幼少期は優秀でエリートではなかったんです。むしろ、問題児のうつけものでした。うつけものとは今でいう馬鹿者という意味です。これは見かけも行動もです。ということでまずは信長のうつけもの伝説から話したいと思います!

1.見かけ

まずは見かけからもうつけものそのものでした。なんと入浴時に着る湯帷子(ゆかたびら)を日常から着用していました。今で言うとパジャマなのにもかかわらず外で歩いていると言うことです。普通ならありないですよね?また、武士の子なのにまげは結わずに派手なひもで髪を結んでいたり、腰には帯代わりの縄を巻いて複数のひょうたんやわらじをぶら下げたりしていたそうです。見かけからなんか変わり者って感じですね。

2.行動

信長のうつけ様は見かけだけではありませんでした。武士だけあって寺で学問を学ぶのは当然ちゃ当然です。それなのに寺で学問を習う際は真面目に話を聞きませんでした。いわゆる英才教育なのに何をしてるんだと言う感じですね。他にも食事のときには他人のものを奪い、街中では柿や瓜をかじりながら歩いていたそうです。歴史マンガでも信長がお金を払わずに食べ物を食べているため側近が謝って支払うなんてシーンはあります。また身分にこだわらずに色んな階級の人達と戯れていたようです。武士の家でこのようなことをするのは基本的ありえません。

信長のすごいところ特集!

確かにどう考えても信長の幼少期はうつけものそのものでしたよね?ですが、こんなうつけものの信長でも家督を継いでからの実績は素晴らしいそのものです。一体どのようなすごい実績があったのか?

1.桶狭間の戦い

信長がヒットするきっかけとなった戦いですね。なんと信長は約2500の兵で今川義元率いる25000もの兵力に打ち勝ちました。一体どんな戦略だったんだよって思いますよね?2500で勝てるのかよと。勝った要因は今川義元側の油断です。今川方は兵力があるからと負けないと思っていました。その油断様を狙って信長は今川方が寝ているときに奇襲を仕掛けました。

ただそれ以上にすごい点はその作戦を知らせなかったことです。戦国時代はスパイもいます。ただでさえ兵力が少ないのに裏切られては大変です。それもあって奇襲を決行するまでは言いませんでした。リスクヘッジを取りながらも少ない兵力で打ち勝つのはすごいですね。

2.長篠の戦い

これは信長の先駆者様を見せる戦いでもあります。長篠の戦いはなんと戦国最強の騎馬隊を持つ武田家とのバトルです。伝説の信玄はいないですが。ただ相当強いです。どれだけかというと若き徳川家康の軍隊をボコボコにするくらいです。そこで、信長は対抗するため3000もの鉄砲をかき集め武田騎馬隊に挑みます。この量は前代未聞です。また、その当時ではここまで鉄砲を使うのはそうそうないです。先駆者そのものですね。

3.立ち直りが早い

信長は勝率は高い方です。90%くらいですね。ですが、信長よりも勝率が高い武将はいます。上杉謙信は70回戦って敗北は2回、武田信玄は3回。そう考えると信長よりも上はいるのは明らかなことでしょう。実際に上杉謙信は信長に勝った時織田軍は弱いなんて言っていますからね。ですが、信長の強みはすぐに立ち直れることです。その要因は2つあります。

1つ目は農民兵ではなく、傭兵を使っていることです。一見、傭兵集団危なくなったら即座に逃亡します。ですが、その弱点を鉄砲という強力な最新兵器があることで永久に戦えような仕組みを作りました。

2つ目は資金調達が上手いことです。信長は他の武士とは違いました。戦国時代は農業が主流でした。ですが、信長は商業を重視しました。それもあって楽市楽座という施策をしたんですけどね。ではどういうキャッシュフローを信長は行っていたのか?それは領地の作物から得られる収入を得るよりも、領内で行われている商売で得られる税金を増やすことです。おそらく、うつけもの時代に街中で荒らしていた経験から身についたことだとは思ってはいます。要は商人が利益を得て暮らしている姿を見て参考にしたということです。それによって信長はどの家よりも豊富な資金を手に入れることができました。それで、その資金で傭兵をコンスタントに雇い、負けたとしてもすぐにリベンジ出来るような状況を作りました。

※他にもたくさんありますが割愛させていただきます。

織田家は大きな家ではなかった

番外編の話になってしまいますが実は織田家に関しては昔から大きな家ではありませんでした。一見昔から大きな家みたいなイメージがあるかと思われますが実は違います。こちらを見てください!

1530年頃こと応仁の乱以降の中部エリアの勢力図です。まだ信長は生まれてませんね。信長が生まれたのは1534年ですから!となると信長のお父さんが当主の時の勢力図なんですけどね。見ても分かる通り勢力としては小さいですよね。むしろ、他の家の方が勢力はあります。それもあって信長は昔斎藤道三に頼っていました。麒麟がきたでいうもっくんですね。ちなみに信長の妻は斎藤道三の娘です。名前は帰蝶で濃姫とも言われていました。

このように家の同盟を組んだり、信長自身の実績を残しつつ、ここまで勢力を広げました!

これは本能寺の変直前の時の勢力図ですね。薄いピンクの部分が信長の勢力です!昔と比べたら相当の規模ですね。要はそれくらい信長は頑張ってここまで勢力を広げたということでもあります。私自身、この記事を書く前から信長が生まれる前の織田家の勢力を知っているからこそ、信長の凄さは身に染みています。

まとめ

記事のネタとはそれますし私的な意見ではありますが信長って分け隔てなく人と関わっていたから成功した一面もあるのかなとは思っています。

確かに、人には迷惑はかけてるし風変わりではありましたけどね。そういう風に言える理由としては現場理解が出来ることです。武士だと他の身分の人よりも守られている点はあります。教育も住まいも。戦いに行く点や跡継ぎ関係では大変ですけどね。ですが、貧しい暮らしや一般庶民の暮らしには触れ合えません。それもあって学びにくいものはあります。ですが、信長の場合、分け隔てなく人と関わっていたため、色々な人の立場は分かっていたはずです。それだから成功したのかと思います。

あとは行動力ですね。人と違うことをするのは勇気がいるものですがそれを抵抗なくやれる姿をことがすごいと思われる要因かと思います。私もそのような人になってみたいと思うこの頃です。感想で終わりましたが長くなるので以上です!最後まで読んでいただきありがとうございました。

りかちゅう