何者なの?明智光秀の性格

どうもりかちゅうです。2020年の大河ドラマの主人公は明智光秀ですね。皆さん明智光秀と聞いてどんなイメージがありますか?本能寺の変では有名という考えになるでしょう。ただ性格なのかというのかまでは分からない。なんて考えの人はあるかと思われます。歴史に詳しい人や明智光秀と地元が同じ人は分かっていたとしても。なんか大河ドラマの主役なのにもかかわらずもったいない話ですね。ということでこの記事にて明智光秀がどんな人だったかについて話したいと思います!

明智光秀の印象

明智光秀がどんな人かを説明する前にまず世間的にどのような印象があるのかについて話していきますね。

1.本能寺の変の人

明智光秀といえば本能寺の変ですよね。となると皆さん明智光秀は信長に謀反を起こしたという印象が強いでしょう。おそらく、信長のことが好きだけど明智光秀を詳しく知らない人からしたら明智光秀は裏切り者だ。ふざけるなという感情を馳せているはずです。実は明智光秀が信長を裏切った理由はあります。説は多いですが少なからず明智光秀は信長からのパワハラを受けていたのが謀反の原因だと言われています。本能寺の変のことは別記事で詳しく話

2.信長の夢を壊した人

明智光秀本能寺の変を起こしたのは事実です。これは信長に謀反を起こした人という印象だけではないです。同時に信長の夢を壊した人ともなりえます。本能寺の変が起こる前信長は越後の上杉を制覇したいとい上杉思いがありました。ですが、信長は本能寺の変の変でいなくなったので信長は越後を制覇することは出来ませんでした。

ただ制覇したかったのは越後の上杉だけではありませんでした。その頃信長は中国地方も制覇したいと考えてました。そのため、中国地方は秀吉が担当していたんですけどね。ですが、この計画も本能寺の変によってこの野望は叶いませんでした。信長自身もあと一歩のところを明智光秀によって壊されてしまいましたね。

3.3日天下

明智光秀は本能寺の変を起こしてからその後はどうしたかはみなさん何となくはご存知ですかね?本能寺の変後、明智光秀は色んな人に自分に味方して欲しいという手紙を出します。しかし、全く効果がありませんでした。この当時信長が本能寺の変死んだなんてことを信じたくないという気持ちで溢れていたからです。そんな時、信長の部下こと秀吉が信長は生きているという噂を流しました。本当はいなくなってるのに。それ故になかなか明智光秀に味方するなんていう人達は表れませんでした。生きているならば信長に従おうってなったんでしょうね。周りの人達からしたら。

ただ明智光秀にとってはハプニングです。誰も味方しないだなんて。大失態ですね。世間から自分の上司を追い詰めて何やってるのと反感を買われるばかりでしょう。そんなパプニングの中、明智光秀は秀吉と戦うことになりました。もちろん信長がいなくなった次はどっちがトップになるか。ちなみに戦いの名前は山崎の戦いです。明智光秀はもちろん負けました。それ故にみんなから3日天下という印象があります。確か本能寺の変から55日くらいで明智光秀は滅びたそうです。

明智光秀ってどんな人?

みなさん予想通りですね。本能寺の変の人や信長の裏切り者など。そりゃ事実ですから。ですが、本当は明智光秀の人柄はそれだけでは表せません。ですので、今からどんな人かを詳しく話しますね。

1.人脈のある人

人脈はあるんですよね。理由は明智光秀自身、自分のお父さんを幼い時に亡くしてしまいました。ですので、幼い時から自分の力で家を存続せざる得ない状況です。もちろん跡継ぎでもある明智光秀の叔父はいましたけどね。だからって、大きくなれば明智家を大きくするのは彼自身です。まずは朝倉義景に従い、そこから足利家、織田家と色々な家の人脈があります。おそらく、信長も彼の人脈を評価したのではないかと思われます。

2.陰湿な人

明智光秀は堂々としたキャラではなかったようです。何気に陰湿だったそうです。その事実を証明したのはルイス・フロイス。信長は海外に目を向けていたことからポルトガルと人達との交流がありました。ルイス・フロイスもその1人です。その際、ルイス・フロイスは明智光秀のことをこのように評価していました。

・己を偽装するのに抜け目がなく、戦争においては謀略を得意とし、忍耐力に富み、計略と策謀の達人であった。友人たちには、人を欺くために72の方法を体得し、学習したと吹聴していた

・裏切りや密会を好む

ルイス・フロイス『日本史』より

なかなかの陰湿ですね。謀略が得意や偽装することに徹底的なり。それもあって信長への怒りを謀反という形で訴えたのかもしれませんね。

3.家臣・領民には慈悲深い

陰湿な人であるのは事実かもしれません。ルイス・フロイスが本にまで書くんですから。ですが、自分の身内や領民には慈悲深い人です。領民にはこのような見解を述べています。

「仏のうそは方便という。武士のうそは武略という。土民百姓はかわゆきことなり」

『老人雑話』より

おそらく、仏の嘘は方便だから許される。武士も武略として許される。それ故に農民は弱者となってかわいそうという見解でしょう。領民に対する温かな眼差しですね。

また、家臣にも優しかったようです。家臣に関しては近江堅田の戦で戦死した18人の家臣に対して冥福を祈るため西教寺にお米を寄進したとする寄進状を送ったそうです。当時このような配慮をする武将は少なかったそうです。

4.愛妻家でいい夫

明智光秀っていい夫だったそうですよ。正室が結婚前に天然痘にかかり顔にあばたができたそうです。あばたとは天然痘が治った時に残る小さなくぼみです。顔に出来るとなるとかなりの支障ですよね。あばたがない方美しい顔だからこそ。ですが、明智光秀は気にせずに迎いいれました。側室も1人も作らなかったようです。あくまで逸話で歴史的資料はありませんがこのようなイメージがあることから仲良い夫婦だったかと思われます。

5.合理的精神の持ち主

明智光秀は合理的な精神があったそうです。そのようなエピソードはいくつかありますがそのうちの1つを説明したいと思います。明智光秀は「家中軍法」という家中の軍事や決まり事をまとめました。1581年の話です。このような軍法を決めたのは織田家の家臣の中でも明智光秀だけです。ルールや規律を守るという考えが強い人物であることが明らかですね。

6.なかなかに賢い

明智光秀は賢い人材です。根拠としては信長の通訳でもありました。通訳内容は京都の言葉と英語等の外国語です。信長は尾張出身の方で京都の方言は分かりません。そこで、明智光秀は京都の方言を訳して信長に伝えていました。尾張の言葉も京都の言葉も両方分かるなんて万能ですね。

また、キリスト教の人達は外国人なので日本語では話さないですよね?その際も明智光秀が通訳しました。おそらく、その当時の外国人さんは英語かポルトガル語ですかね?異国の言語を通訳として訳すのは相当頭良くないとできないことかと思われます。実際に今の時代も通訳になるには相当の語学力が必要ですしね。

なぜいい一面が取り上げられないの?

理由としては2つあると思われます。1つ目は不明な点が多いということです。明智光秀はいつ生まれたかも曖昧です。また、幼少期も曖昧です。おそらく、色々明らかになったのは足利家に仕えるようになってからだと思われます。そのため、いい一面は表に出なかったのでしょう。

2つ目は本能寺の変がインパクトが強いことです。明智光秀=本能寺の変という考えな人は多いはずです。そりゃああの時代の天下人を裏切るなんて悪目立ちしますよね。そういうことを加味して陰湿で謀略が好きというイメージの方が強くなっているのかと思われます。

まとめ

私自身明智光秀は特別好きではありませんでした。もし、大河ドラマで話題にならなかったら本能寺の変の人としか思っていないでしょう。ですが、この記事を書いて自分の身内や奥さんには優しいんだなというイメージは持ちました。ただ明智光秀って自分の味方だと思う人でないと優しくしない人でもあるのかなとも感じましたけどね。陰湿とか言われてても身内には優しい時点で。だからってせっかく大河ドラマの主役となっているからにはいい一面も広まって欲しいと思うこの頃です。

ですので、今後の大河ドラマに期待しています!皆さんも大河ドラマ『麒麟が来る』是非見てみてください!最後まで読んでいただきありがとうございました。

りかちゅう