鎌倉殿のタイトル伏線!13人の合議制とは

どうも、りかちゅうです!皆さんに質問です。2022年の大河ドラマとタイトルをお答えください!正解は「鎌倉殿の13人」です。そんなの分かってるよってなりますよね。特にヲタクからしたら答えられないとかありえないからとなったはずです。いやいや、ここからです。なんでこのタイトルなのか分かりますか?それは「13人の合議制」という政治システムから来ています。ちなみに、この政治システムは頼朝の死後にできました。その理由は後ほど話します。このシステムに関してはかなり重要なものです。私的にはこのシステムがあったから鎌倉初期はドロドロだったと思います。だからこそ、色々話したいと思います!

13人の合議制の概要と作られた理由

「鎌倉殿の13人」の本番は13人の合議制が出来てからです。先ほども述べたようにタイトルの由来はそこから来てますしね。主人公の義時もそのメンバーの1人です。きっとここから義時は権力を強くするのでしょう。まあ、そんなことはさておき、13人の合議制とはどんなものか、そしてなぜ出来たかについて話しますね!

概要

13人の合議制とは頼朝死後に鎌倉幕府が創り出した集団指導体制のことです。これは1225年に鎌倉幕府の役職として設置された評定衆の原型となりました。評定衆とは政務や裁判などを合議するための役職のことです。それで、この制度によって第2代将軍源頼家は自ら政策や訴訟を直接に決定・裁断するという感じにはなりませんでした。なんと、有力御家人13人の話し合いの結果を参考にして最終判断をすることとなりました。

ちなみに源頼家が将軍に就任したのは1199年の1月です。そして、13人の合議制が出来たのはその年の4月です。たった3ヶ月で源頼家は幕府の最高権力者からただのお飾り将軍となったと言っても過言ではないですね。これは北条家による罠です。そこに関しては後ほど話します。

できた理由

できた理由は表向きの理由は源頼家がまだ若かったからです。1199年に源頼朝が亡くなりました。そして、後を継いで第2代将軍となったのは頼朝の息子こと源頼家でした。源頼家はまだ力を持った御家人たちを統率するような実力もなかったんです。まあ、こんなに若いとそうですよね。それなのに、権力だけを振りかざす行動が目立ったと言われます。

そこで政子や北条の人達は、若い将軍1人に権力を集中するのではなく「13人の合議制」で幕府を運営することを提案しました。また、頼朝いなくなってから主導権が大江広元や中原親能ら公家出身の官僚によって握られたことで、有力御家人たちからの不満が募りました。そこへの対応策だったという説もあります。

メンバー紹介とそれぞれの担当

このような形で13人の合議制が決まりました!きっと政子が源頼家を後継にしたのもそういうことですね。まあ、そんなことはさておき、メンバーは誰がいるなと思いますよね?今から話したいと思います!13人なので長くなることはご了承下さい。

1.北条ファミリー

説明しなくても分かるとは思いますけどね。メンバーは時政と義時の2人です(この2人はのちのちバトルします)。もちろん、義時は最年少です!それで、北条ファミリーは侍所といぅて幕府の中心機関のポジションでした。仕事内容としては軍事・警察などです。このポジションだったことで源氏が滅んでからは執権政治をすることができました。

2.比企ファミリー

メンバーは比企能員、安達盛長、足立遠元です。このファミリーは源氏殿繋がりが強かったです。安達盛長なんて頼朝の乳母こと比企尼の娘婿ですからね?また、比企能員は力を持ちすぎたことで北条家とバトルして家ごと滅ぼされました。

3.三浦ファミリー

三浦義澄(息子の義村は義時の親友です)と和田義盛(三浦大介義明の孫)です。ちなみに、和田義盛は政所といって一般政務・財政担当をしました。

4.八田知家と梶原景時

その他の重臣としてのくくりです。八田知家に関しては小田氏の始祖であり小田城を作った人です。また、梶原景時は石橋山の戦いであの当時は平家側だったのに頼朝を助けましたね。そして、のちのち源氏側になり色々活躍していました。ですが、色々あって彼の最期も切ないものです。

5.大江ファミリー

大江広元と中原親能です。2人とも兄弟です。大江広元に関しては朝廷で実務経験を積んだ下級貴族で鎌倉幕府草創期の首脳でした。もちろん、今後とも活躍していきます。ちなみに大江広元は問注所といって訴訟・裁判担当をしました。

6.三善康信、二階堂行政

大江ファミリー同様、公家の人たちです。三善康信に関しては頼朝が伊豆にいた時から通じ京の情勢を知らせて挙兵を助けたそうです。

13人の合議制のオチ

メンバー紹介はこんな感じです。雑ですいません。長く話すと止まらなくなるので色々割愛しました(個人的なことは別記事にて話すと思います)。

それで、肝心たるオチはどうなったかですよね?もちろん長く続くわけないです。まず初めにドロップアウトしたのが梶原景時です。1199年末に言動のせいで他の御家人たちの反感を買って失脚しました。そして、1200年1月に滅ぼされました。次に1200年に安達盛長と三浦義澄が病死しました。え?初っ端から3人もドロップアウトってどういうことって感じですよね?私も書いていて驚きでした。その後もドロップアウト劇場は続きます。1203年に比企能員と一族が滅亡します。また源頼家が謀殺されます。これで終わりではないです。1205年北条時政の失脚、1213年和田義盛が北条義時によって挙兵に追い込まれたことで和田家は滅びます。このように、勢いよく消えていきました。そして、最終的には義孝が権力を持ちます。ここからが主役ですね。義時くんは。

北条家の企み

13人の合議制があったことで13人の御家人と源頼家が血みどろの権力闘争をしましたね。どれだけの犠牲者がいるんだよと思うばかりです。でも、なんでこんなことになったのか?それは北条家が源氏の権力を奪うのが目的だったのかなと思われます。

根拠としては合議制となった経緯を語った歴史書が「吾妻鏡」だからです。この歴史書は北条家が編纂したものです。それだからなのか13人の合議制の内容は北条家の正当性を強調している内容が多いそうです。となると、13人の合議制を作った表向きの目的は先ほども述べたようにまだ若い源頼家の政治力を補完するためってことにしています。ですが、本当はこのシステムを機に源頼家の実権を奪うだけでなく、他の家も滅ぼすことで北条家の利権を得るのが目的なのかと思われます(三浦家もお仲間ですが)。もしそうじゃなかったらここまで争いは起きません。まあ、このような結果になったことで北条家による執権政治がスタートするんですけどね。

まとめ

三谷幸喜がこのように言っていました。「頼朝がいなくなってからが本番だと」まさにそうですね。頼朝がいなくなった直後の回の題名が証拠です。これからどうなっていくんですかね?私的にはどんどん義時が強くなると思います。これは性格だけではないです。権力もです。そして、強くなっていくのと同時にどんどんダークサイドに行くと思います。私的には時政と義時のバトルが楽しみです。まあ、とにかくみんなでドロドロ劇場を楽しみましょう!以上です!最後まで読んでいただきありがとうございました。

りかちゅう