義経の3人目の妻!伊賀の方とはどんな人?

どうも、りかちゅうです!鎌倉殿を見れば分かると思いますが義時は妻と別れています。歴史的には八重さんとの関係性は本当かは分かりません。ですが、鎌倉殿では悲しい別れ方でしたね。また、比奈さんとは比企能員の変の影響で離縁になってしまいました。離縁しないと約束していたのに、比奈さんが比企の家の人間だからという理由で離縁になるのも悲しいものですね。嫌っているわけではないんですから。このように、義時は恋愛においてはいい結末にはなりませんね。ただ、そんな義時にも出会いがあります。それはのえさんこと伊賀の方です。もちろん、その方と再婚しました。では伊賀の方とはどんな人だったのか?この記事にて話したいと思います!

伊賀の方のプロフィール

伊賀の方のプロフィールって言ってもそうないです。肖像画もないです。ですので、鎌倉殿で伊賀の方ことのえさん役をやる菊池凛子な写真を載せます。また、いつ生まれたのか、いついなくなったのかも分かりません。ただ、少なくとも言えるのが藤原秀郷流の関東の豪族こと伊賀朝光の娘です。また、ご縁があり比奈さんと離縁した義時の妻でもあります。鎌倉殿では義時の最後の妻とされています。

伊賀の方の人生

このように、伊賀の方のデータはあまりないです。こればかりはしょうがないです。女性あるあるです。ただ、良い家の娘だったというのは事実です。では、どんな人生だったのか?

1.伊賀朝光の娘として生まれる

伊賀の方のお父さんは伊賀所六郎朝光です。伊賀朝光は関東の伝説的武将藤原秀郷の子孫でした。とは言えども、初めから偉いわけではないです。伊賀朝光はもともと蔵人所の下級官人でした。そんな中、源頼朝に仕え伊賀守に任ぜられたことで伊賀の名字を名乗るようになりました。一方で伊賀の方の母は分かっていません。ですが伊賀朝光は二階堂行政の娘と結婚しています。それ故に伊賀の方の母親は二階堂行政の可能性が高いと思われています。ちなみに、二階堂行政は十三人の合議制のメンバーの1人です。

2.義時と結婚

どう生きたかなども残っていません。残っていても義時と結婚したあたりくらいです。しかも、いつごろ結婚したのかはよく分かっていません。ただ、比奈さんと離縁してからだと思われます。1204年頃と憶測されています。義時は色々ありましたが伊賀の方とはそれなりに平穏に夫婦生活だったそうです。伊賀の方は義時との間に、北条政村、北条実泰、北条時尚の3人の息子と一条実雅に嫁ぐことになる娘を1人産んでいます。

もちろん、離縁することなくの義時が死ぬまで夫婦でした。ただ、義時の死には裏があるなんて説もあります。これは後ほど話します。なんで裏があると思われているのか?それは義時の死後、伊賀の方の周囲は一気にきな臭くなるからです。

3.伊賀氏の変

義時の死後、伊賀の方はあることを計画したと言われています。内容は娘の婿である一条実雅を将軍に就任させ北条政村を執権につけよう、というものです。一条実雅は伊賀の方の娘と結婚している幕府内にも一定の勢力を築いていました。ですが、この計画は政子にバレます。もちろん激怒しました。どんなに力を強めても政子には勝てません。それ故に伊賀の方に味方した人々は流罪となります。伊賀の方は伊豆国。伊賀の方の兄・伊賀光宗は信濃国へ。一条実雅は越前国へと流されました。ただ、北条政村は流罪を免れることができました。政子を越すことはできないってことでもありますね。

※これは政子によるでっち上げとの説もあります。ただ、処分はしたという記録はあります。

4.流罪後の伊賀の方

伊豆国に流罪になった伊賀の方。その後はどんな生活だったのか?なんと、流罪になってから4か月後、いきなり危篤状態になります。回復したのか、そのまま亡くなったのかは記録に残されていません。ですが、伊賀の方が鎌倉に戻ったという記録は残されていないので配流先で亡くなった可能性は高いと思います。にしても、いきなり危篤状態に陥るって不思議ですね。ワンチャン、北条政子の手のものによって何か仕込まれている可能性もあるかもしれませんね。

義時を殺した?

義時を殺したのは伊賀の方と言われています。そう言われている理由としては「小倉百人一首」の撰者としても有名な藤原定家の日記「明月記」中で語られている話が影響しているからです。内容としては一条実雅の兄と僧侶・尊長が北条の敵側にいたため拷問を受けることになりました。その際に「義時の妻が義時に飲ませた薬で私も殺せ」と叫んだそうです。要するに、伊賀氏の変に関わっていた一条実雅の兄が語ったことというのがこの毒殺説に信ぴょう性を与えているということです。まあ、自分の家の力を強くさせたいために色々動いていたのは事実です。そういうことが書かれるのも無理ないです。

とは言えども、いくら義時の死は急なものではあったものの義時は自分の死の前に健康を祈って加持祈祷を行うなどをしていました。となると、義時は体力不安や病魔を抱えていたことは間違いないようです。それ故に実際に毒殺を実行に移したのか、移していないのかに関しては今となっては全く分かりません。これはもうタイムスリップして見るしかないですね。

 

まとめ

まあ、義時目線で見れば平穏な結婚生活を送れたのかもしれませんね。ですが、もし伊賀の方が義時を毒殺したのが本当だったら恐ろしいです。そんなことあって欲しくないですがあってもおかしくないです。やはり家が権力ある人と結婚するとそういうトラブルは付き物なのかなと思います。あり得ないですが権力とかない人と恋して結婚する方がそういうリスクはないのかもしれませんね。以上です!最後まで読んでいただきありがとうございました。最後まで読んでいただきありがとうございました。

りかちゅう