浅井長政の裏切り!金ヶ崎の戦いとは何か?

どうも、りかちゅうです!信長にはあるピンチが起きました!いつの頃かと言いますと浅井長政と関係を結んだ時です。どういうことかと言いますと信長は政略結婚をしてまで浅井長政と同盟を組んだんですよ。それなのに、浅井長政は裏切りました。本当は信長のことは人として好きなのに裏切りました。それには色々理由はあるんですけどね。これは信長からしたらピンチですね。信頼していた人に裏切られたわけですから。しかも、朝倉家と戦の最中だったため挟み撃ちにされました。これを金ヶ崎の戦いと言います。ではなんでそのような戦が起きたのか?この記事にて話したいと思います!

金ヶ崎の戦いとは何か?

金ヶ崎の戦いってどんな戦いなんだよと思う方もいますよね?教科書に載っている戦いではないですし。ですので、まずはそこから話したいと思います!

金ヶ崎の戦いとは1570年に発生した戦です。信長と家康連合軍は越前を治める朝倉義景を攻めていました。浅井長政とは朝倉は攻めないって約束はしましたが朝倉義景が足利義昭への上洛を受け入れられなかったので信長はその約束を破りました。それで、初めは信長が有利でした。ですが、同盟を組んでいた浅井長政の裏切りにより信長は劣勢となります(浅井長政は約束を破られたから裏切ったのかもしれませんね。ただ、そう至ったのは家臣に唆されたからもあります)。そのため、信長は自分の命を守るため敗走しました。

金ヶ崎の戦いの背景

金ヶ崎の戦いの流れはこんな感じですね。では一体なんで金ヶ崎の戦いが起きたのか?

1.朝倉と信長の対立

その当時の信長は足利義昭を15代将軍に就任させたことで足利幕府の守護者となりました。これは天下統一を目指す信長にとっては大きな成果かと思われます。やはり将軍のバックにならないと天下なんて取れませんからね。そして、上洛を果たした信長は朝倉義景にも上洛要請を出しました。これは信長に屈服しろと言っているのも同然です。朝倉義景からしたら屈辱でしょうね。ただ、別に表面上でも恭順していればいいんですよ。それなのに、朝倉家はこれを何度も突っぱねてしまいました。そのため。信長が挙兵する口実となったのでした。

2.浅井長政の裏切り

これによって朝倉家は信長に攻められることとなりました。その際に大変だったのは浅井長政です。なんと信長と朝倉義景の両方から応援要請を受けていました。本来ならば、信長の妹のお市の方を妻として迎えているわけですから信長の味方になるはずです。政略結婚以外にも信長から一時取り長政と名を改名していますからね?この十点で浅井長政もこの同盟に力を入れていたと思います。

ですが、この同盟にはある問題がありました。実は朝倉と浅井は昔からの盟友の仲でしたそのため、浅井長政のお父さんこと浅井久政は信長のことを毛嫌いしていました。また、信長は朝倉とずっと不仲でした。そのため、同盟の際に朝倉家を攻めないと言う約束をしていました。それなのに、信長はその約束を破りました。それもあって、信長のことは嫌いになれなくても家臣からのそそのかしで裏切ることになりました。

金ヶ崎の戦いの流れ

このような流れから金ヶ崎の戦いは起こりました。ではどのような戦だったのか?

1.金ヶ崎の戦いのはじまり

信長は朝倉義景に上洛要請を出していました。それでも、応じる気のない朝倉義景にむかついた信長と家康は越前に進軍します。その戦場となったのが金ヶ崎城でした。だから、金ヶ崎の戦いなんです。

その当時、金ヶ崎城を守っていたのは、朝倉家一門衆の筆頭であった朝倉景垣でした。また、この時城を守っていたのはたったの4500しかいませんでした。一方で信長軍は3万です。この人数差ではもはや戦うに戦えません。ですので、早々に朝倉景垣は降伏を申し出たのでした。一応援軍は向かっていたそうです。ですが、もう城が包囲されていました。その時点で朝倉家は揉めていた事が分かりますね。

2.裏切りと敗走

何度も言っていますが信長は浅井長政に裏切られました。北近江から進軍されると信長軍は挟み撃ちされる事となり逃げ場がなくなり窮地に陥ります。もうこれは一刻も早く退散せねばなりません。ここで、秀吉と十兵衛が殿を務める事となります。殿とは大将を無事帰還させるために敵の前線に立ちながら上手く攻撃を交わすだけでなく自分も無事に生還せねばならないんです。そのため、成功すれば最高の恩賞も貰えます。

このような段取りで敗走することになりました。ただ、ある問題がありました。それは朽木領通過です。朽木家は浅井家と仲がいいです。となると、早々易々と通してくれるかは分かりません。そこで、松永久秀が交渉しました。交渉内容は謎ですが、結果として交渉は成功して無事通過したそうです。

 

金ヶ崎の戦いの後

金ヶ崎の戦いでは信長は色々大変ではあったものの、姉川の戦いや小谷城の戦いなどに勝利したことで信長は朝倉家と浅井家を滅亡させ、領地拡大に成功します。その際に功績を得た秀吉は小谷城の跡地に長浜城を新設してとうとう一国一城の主へとなりました。一方で浅井長政を失ったお市の方と3人の姫達は信長の庇護下で養育されました。そのため、何不自由の無い暮らしを送っていました。

まとめ

もし浅井長政が裏切らなかったらどうなっていたんですかね。きっと信長は早くに朝倉義景を成敗していたのかなと思われます。一方で浅井長政も信長の家臣となって生きていたことでしょう。そうすればお市の方とも幸せに暮らすことができます。ですが、現実はそういうわけにはいきませんでした。浅井長政は裏切り信長は敗走。これは誰かしらが犠牲になってしまいましたね。だからこそ、私的にはもしものことを考えてしまいます。以上です。最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

りかちゅう