お市の方の再婚相手!柴田勝家とはどんな人?

どうも、りかちゅうです!信長の妹ことお市の方って浅井長政と結婚しましたね。政略結婚であったものの幸せな結婚生活だったそうです。ですが、浅井長政が信長を裏切ったため浅井長政との結婚生活が終わってしまいました(信長は謝ったら許してやるって言ってはいたんですけどね)。それで、お市の方はしばらくしてある人と再婚しました。それは柴田勝家です。彼は信長の家臣で強かったそうです。ですが、信長が本能寺の変を機に引っ込んだ後、秀吉と対立しました。ただ、その時にお市の方と縁があって結婚したものの、賤ヶ岳の戦いで秀吉に負けていなくなってしまいました。私的には柴田勝家はお市の方の再婚相手という印象はあるからこのタイトルにしました。ただ、それだけではないです。ですので、この記事にて柴田勝家について話したいと思います!

柴田勝家のプロフィール

まずは柴田勝家とはどんな人かを知るためにも簡単なプロフィールから見ていきたいと思います!

名前 柴田勝家

生年月日  1522年

出身地 尾張国

没年 1583年6月14日(享年61歳)

備考

信長の宿老です。天下統一のために貢献しました。ですが、本能寺の変の後は秀吉と対立したことで結末は賤ヶ岳の戦いにて戦士しました。

柴田勝家の人生

以上が柴田勝家のプロフィールです。では彼はどのような人生を歩んだのか?

1.生い立ち

勝家は1522年頃に尾張国愛知郡(現・愛知県名古屋市)で生まれます。柴田勝義の子とも言われています。ただ、正確な資料はないです。おそらく土豪階層の家の出身で織田家に仕えている家であると言われています。ですので、信長のおとうさんこと織田信秀の時から仕えています。それで、1551年に織田信秀がいなくなってから勝家は林通勝や林通具らとともに信長の弟こと信行を支援します。勝家は信行の家臣の頃から、猛将としての実力を発揮していいました。なんと萱津の戦いでは30騎を討ち取るなどの武功を立てます。

2.信長の家臣となる

後継者争いの時です。勝家は老臣の林秀貞とともに信行を織田家の後継者にしようと挙兵しますが稲生の戦いで信長に敗れました。ですが、信長は2人を許しました。その際の勝家は信行を裏切ります。なんと信行が信長に対する謀反の計画を立てていることを信長に密告したそうです。これを機に勝家は信長の家臣となりました。

3.かめ割柴田

信長に仕えている時の話です。1570年六角家を破り長光寺城主となった勝家は、再び六角家の反撃を受けてしまいます。数的にも有利だった六角家は長光寺城を取り囲みます。一方で勝家は城内の水が無くなっていったので城内中の水をかき集め水がめに入れて家臣たちに腹一杯飲ませます。その際に勝家は残った水がめ全てを割ってしまいます。そして、「我々が生き残る道は打って出て六角軍を蹴散らす以外なし!」と家臣を激励したことで家臣達は一気に包囲網を打破し窮地を脱しました。

4.北ノ圧城の築城

織田軍は越前の朝倉家をを滅ぼします。初めは朝倉攻めで道案内役を務めた桂田長俊を越前の守護代に任命しました。ですが、朝倉家の旧家臣の不満、隣接する上杉家の影響もあり一揆が発生します。その一揆のせいで越前の権力は事実上奪われてしまいました。その後、信長が長篠の戦いで武田勝頼に勝利してから本格的に一揆勢を処分しようとしました。その際に勝家が担当します。その功績のおかげで勝家はその領地越前75万石を得ることとなりました。その後、勝家は北ノ庄城を築城しました。なんと道路や橋も整備したことで安土城をも上回る城下町を築きました。活気を取り戻した北ノ圧城は徳川家の福井城下町を経て福井市を形成するに至っています。

5.本能寺の変

1575年に勝家は信長から北陸経営を任されます。その時の功績としては越前北庄にたてこもって加賀、能登を平定しました。さらに越中に攻め入って越後の上杉景勝と対陣します。ですが、その最中に、本能寺の変が起こり信長が亡くなります。

6.お市の方との最期

本能寺の変以降、勝家は実権争いで秀吉との対立が深まります。その対立の影響で勝家は信長の妹ことお市の方と結婚することとなりました。歳の差はなんと25歳。しかも勝家はそれまで正室を迎えたことがないです。初婚です。そんな人もなかなかいないんですけどね。ですが、その結婚生活はお市の方にも勝家にとっても幸せだったそうです。ですが。結婚後1年もたたずに賤ヶ岳の戦いにて秀吉に攻め込まれ、北ノ庄城にて二人で自害します。享年61歳でした。お市の方は許しも得られたはずだったものの勝家のことがすきだったため勝家と最期を共にしています。秀吉の元にはいきたくないまで言っていたそうです。

柴田勝家の性格

柴田勝家は猛将として有名だったそうです。戦場では「かかれー!」と大声を上げて味方を鼓舞していたそうです。そのため、かかれ柴田との別名があります。ですが、それだけではなく律儀だったそうです。それもあってなのか。真面目ゆえに行動が後手になることもあるそうです。そんな所にお市の方は好きになったんでしょうね。実際にお市の方は柴田勝家と結婚して幸せだったそうですよ?

柴田勝家の面白いエピソード

柴田勝家には面白いエピソードがあります。ですので、その話もしたいと思います!ですので、その話もしますね!

1.信長との対立

勝家は信長の家臣でした。ですが、信長と対立をしたことがあります。それは後継者問題の時です。行動や言動に問題のあった信長に対し、信長弟の信行を擁立しようという動きがありました。しれに加担したのが林秀貞と勝家です。この信行擁立事件は2度に渡って起こります。その際に1度目は信長によって戦で鎮圧されます。

ですが、信行は再び信長に反旗を翻すことになる。1度目が秀貞や勝家に乗せられて反逆たものでした。ですが、2度目は信行自身が立ちあがる形でした。そのため、勝家はこの件を信長に密告しています。結末は信行は病気を装って呼び出した信長によって殺されます。まあ、殺し事件も茶番なんですけどね(信行は名前だけ殺して生きていました。この話はいつか詳しく話したいですね)。このように、最後ま信長に従いましたがかつては対立していました。

2.秀吉との喧嘩

犬猿の仲として何かと有名な秀吉と勝家。実は信長が生きていた時からそうだったそうです。秀吉は勝家と口喧嘩をしていました。そのため、秀吉は戦場を離脱するという軍法違反を犯してしまいました。どうやら、北陸方面で苦戦する勝家を救援するように命じられた秀吉でしたが策戦をめぐって対立をしてしまったことため離脱したとか。信長の命令に背いてまで離脱したということは勝家のことが嫌がっていたことが伺えます。

まとめ

勝家は強いってイメージはありました。大河ドラマでも強そうな人が勝家役やりますし。キャストの名前は忘れちゃってますがwwwwww。というか、実際に強いからそうなんですけどねwwwwwwww。それは前々からわかっていました。ですが、私的には初めは信長と対立していたことが衝撃でした。信行側なんて思ってもなかったです。でも、最後の最後に信長の味方したんですけどね。このように知ってる一面もあれば知らない一面も知れたので勝家のことを書いて良かったと思っています。以上です!最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

りかちゅう