仕組まれた天皇!花山天皇とはどんな人?

どうも、りかちゅうです!「光る君へ」の美男子枠とは誰ですかね?花山天皇こと本郷奏多です。本郷奏多は「麒麟がくる」で出演したことで大河ドラマで注目を浴びる存在となりましたね。どちらも天皇の役をやっていますが。今日は本郷奏多の話をするのって?違います。火山天皇の話です。大河ドラマではかなり目立っているものの早くに退場してしまう1人ではあります。理由ははめられて出家してしまうからです。その当時摂関政治のせいで天皇は藤原家にお得な人が天皇になる感じではありました。完全にお飾りですね。それで、花山天皇は不都合であったため追いやられました。悲劇の天皇ではありますね。ただ、彼はあることでは活躍はしています。なんか興味深いですね。ですので、この記事にて彼の話をしますね。

花山天皇のプロフィール

名前 花山天皇

生年月日 968年11月29日

出身地 京都

没年 1008年3月17日

備考

平安時代の天皇の1人です。日本の第65代天皇に数えられるそうです。後ほど話しますが和歌の天才でもあります。

花山天皇の人生

以上が花山天皇のプロフィールです。では彼はどのような人生を歩むのか?

1.生い立ち

花山天皇は968年に生まれました。どうやら冷泉天皇の第一皇子でした。摂政・太政大臣であった藤原伊尹の後押しを受けて、生後10か月ほどで皇太子になりました。ちなみに、花山天皇のお母さんは藤原伊尹の娘です。だから花山天皇が即位できたのです。なお即位にあたっては円融天皇の第一皇子・懐仁親王が立太子されます。

2.バックのない中の即位

その後藤原伊尹は亡くなってしまいます。そのため、花山天皇は中宮を置いていませんでした。頼りになる外戚がいないという環境ですね。それなのに数え17歳で天皇として即位しました。ちなみにその時に実権を握ったのは叔父の藤原義懐と乳母の子の藤原惟成です。

3.寵愛していた人の死

花山天皇には多くの女御がいました。そのなかでも寵愛したのは藤原忯子でした。その後忯子は懐妊し2人は喜ぶものの、悲劇がやってきます。985年7月に花山天皇の子どがお腹の中にいるのに忯子は帰らぬ人となってしまったのです。わずか17歳でいなくなったそうです。そのショックで政務への意欲も失い「いっそ出家したい」とみんなの前で言ってしまうなんてこともありました。

4.革新的な政治をする

寵愛していた人がいなくなったものの、花山天皇は饗宴 の禁制を布告して貴族社会の統制・引き締めを図ったり、984年には荘園整理令違法を布告します。しかし、このような改革は、関白・藤原頼忠との対立を生みました。また、藤原兼家も外戚の地位を得るべく花山天皇の早期退位を願うなど敵を増やすことをしてしまいました。それが例の事件になるんです。

5.騙されて出家

悲しみに暮れる花山天皇でしたが、そんな心のすきをついて失脚させようという動きがあることには、全く気づいていませんでした。元々祖父の伊尹という後ろ盾がなくなっていた天皇の地位は、不安定だったといえます。それ故に摂関政治になろうとしていたのなかと。それもあってなのか、一条天皇を早く即位させたい藤原兼家がひそかに陰謀をめぐらせていました。それは花山天皇を出家、退位させようと考えていたことです。その際に蔵人として仕えていた藤原道兼が花山天皇に「出家されるのであれば、私もお供します」と言って天皇に出家を決意させたのです。もちろん、花山天皇が落飾したのを見届けた道兼はこっそりと抜け出し自分は出家を免れます。この時に花山天皇は欺かれたことを知ります。この一連の事件は「寛和の変」とも呼ばれています。この話は「大鏡」という作品にも載っているそうです。

6.出家後の生活

出家して国政との縁が切れた花山法皇は藤原実資に対して好意的な興味を持つようになります。その理由は藤原実資は花山法皇を見捨てなかったからです。なんで藤原実資は見捨てなかったのって?実は藤原実資の妻こと婉子女王 はかつて花山天皇の女御の1人だったため知らぬ顔はできなかったのでしょう。そのため、藤原実資が朝廷との橋渡しとなる相談役となったことで花山天皇の生活は安泰し1008年に病のため41歳でいなくなりました。

花山天皇の人物像

以上が花山天皇の人生です。藤原が表に出るようになったことで天皇はお飾りの時期になってしまったからなのかこのような結末になったのかなと。本人からしたら理不尽なことですね。ただ、そんな彼もあることで活躍しました。ですので、花山天皇の人物像についても話しますね!

1.王冠を脱ぎ捨てるなどのファンキーなことをする

花山天皇の人柄を表す言葉に「内劣りの外めでた」という言葉があります。どういうことだよって?表面などの体裁は立派ではあるものの中身が伴わないということです。具体例を言うと高御座に女官を招き入れたり女性関係に派手だったりした話は有名です。また、即位式で王冠が重いとして脱ぎ捨てたり壺庭で馬を乗り回したりしていたなどの逸話もあります。天皇なのにすごいことしますね。

2.和歌マスター!

政治の世界では活躍することができなかったものの、和歌で優れた能力を発揮しました。和歌の腕前は人一倍あったそうです。どうやら「拾遺和歌集」の撰者は花山法皇ではないかと言われていますまた、法皇が作った作品は120余首も残されています。ファンキーかと思いきや和歌ができるなんてすごいですね。他にも絵画や建築など多岐にわたる才能は人々の意表をつくほどだったそうです。これは芸術的な才能に恵まれた人だったと言っても過言ではありませんね。

 

まとめ

なんかよく分からない人ですね。ファンキーになる時もあればしっかりと政治をする時もあれば女好きな時もあれば和歌をかける人であるなど。どれだけの顔を持っているんだよと思います。ただ、その当時の花山天皇が本郷奏多みたいな感じだったらモテそうですけどねwwwwww(昔と今のイケメンの基準は違いますが)。まあ人柄はもちろんのこと人生も波瀾万丈だったことから見がいのある人ではあるなとは思います。以上です!最後まで読んでいただきありがとうございました。

りかちゅう