真田信之の妻!小松姫とはどんな人?

どうも、りかちゅうです!真田と徳川は仲悪いのはご存知ですよね?仲悪いと言っても絶交状態みたいな感じではないんですけどね。ただ、上田合戦で戦うなど真田と徳川は色々あったのは事実です。詳しいことは真田丸を見ればわかります。ですが、真田は一時期徳川の与力大名になる時がありました。秀吉が天下を取るか取らないかくらいのタイミングの時ですね。その際に家康の家臣こと本多忠勝の娘と真田信之は結婚することになりました。政略結婚ではあるんです。それくらい分かるけどその娘の名を教えろって?小松姫と言います(真田丸では稲と言われていましたね)。小松姫は本多忠勝の娘だけあって強かったそうです。また、いい妻でもあったそうです。このように魅力が多い人です。ですので、この記事にて話したいと思います!

小松姫のプロフィール

真田丸を見ていた人ならば小松姫のことは分かると思いますが見てない人は分からないかと思われます。ですので、簡単なプロフィールから書きますね!

名前 小松姫

生年月日 1573年

没年 1620年3月27日(享年48歳)

備考

本多忠勝の娘で真田信之の正室です。信之と結婚する時に家康の養子になりました。

小松姫の人生

以上が小松姫の人生です。では彼女の人生はどのようなものだったのか?

1.生い立ち

小松姫は1573年に本多忠勝と松平玄鉄の娘との間の長女として生まれました。

お父さんの本多忠勝は「家康には過ぎたるものが2つあり。唐の頭に本多平八」とまで世にうたわれた猛将です。いくさでは無傷だったって説もありますからね。となると、小松姫も強いのって?そうです。ある日、城下に出かけた小松姫は大きなイノシシが村人を襲おうとしている場面に遭遇します。そこには竹かごに入った赤ちゃんの姿もありました。小松姫は赤ちゃんを抱きかかえてその赤ちゃんのお母さんに渡した後。腰の刀剣を振り上げて1人でイノシシに向かっていき撃退しました。

2.真田信之との結婚

小松姫は政の都合上、家康の養女となりました。それで、家康は小松姫に夫を選ばせようしました。沢山の男性がいたそうですね。そんな中、小松姫は信之を選びます。それには理由があります。どうやら小松姫は家康を前にして委縮する武将達の頭に束ねた髪を掴んで顔を上げさせてどんな人かを見ていたそうです。なかなか破天荒ですね。もちろんどの武将もそれに従って顔を上げていました。ですが、信之は小松姫が髪に手を触れた瞬間に声を荒げて鉄扇で小松姫の頬を打ちました。この行動を見た小松姫は怒りませんでした。むしろ、感動して信之を選んだそうです。きっと自分よりも強い人を求めていたのかなと思われます。このようなことを踏まえると政略結婚ではあったものの小松姫の気持ちが入った結婚ではあったんですね。

3.家は犬猿の仲だったけど

真田家と徳川家康は犬猿の仲です。これはもう分かると思います。一応秀吉が間に入って交渉したことによって昌幸はしぶしぶ信之と小松姫の結婚を承諾したそうです。ちみに、この政略結婚は昌幸を従わせるための家康の策略だったという説もあります。その手段として初めは素直に本多忠勝の娘として小松姫嫁がせようとしました。ですが、昌幸の承諾が得られなかったため家康の養女とし嫁がせるという形にしたそうです。ただ、その時信之には清音院殿という正室がいました。ですが、小松姫が嫁いだことによって清音院殿は側室に格下げされてしまいます。戦国時代なんてそんなのあるあるです。

4.子供を授かる

昌幸は、小松姫の嫁入りを当初から強く反対するたけでなく嫁入り後も快く思っていなかったようです。ですが、信之と小松姫の夫婦仲はたいへん良く真田家のもうひとつの居城であった沼田城において2男2女をもうけます。この姿を見て昌幸は納得したそうです。

5.関ヶ原の戦いでのエピソード

1600年家康は上杉景勝を討つために出陣しました。真田親子も家康に従軍しました。ですが、昌幸と幸村さんはは途中で離反して西軍につきました。これは家のためです。兄弟共に東軍についたら東軍が負けた時に家が滅びるリスクは上がります。そこで、幸村さんと昌幸は西軍につくという形でリスクヘッジをとりました。その際、昌幸は小松姫が守る沼田城に別れを告げに行きました。あと、孫の顔を見たいという理由もあったそうです。ですが、小松姫は「夫より預かった城にたとえ父上といえどみだりに入れることはできませぬ」と言い自ら刀を携えました。これを見た昌幸は「真田の嫁として恥ずかしくない女だ」と感心したそうです。

6.晩年

関ヶ原の戦いの後、昌幸と幸村さんの命を守るために家康に交渉したそうです。それによって2人は流罪で済みました。また、九度山へ追いやられてしまった昌幸や幸村さんたちに小松姫は手紙を出したりお金や食料などを贈ったりして生活を助けました。その豪気で真田家を引っ張った小松姫ですが江戸から草津に療養へ向かっていた途中で亡くなります。48歳でした。その時信之は「我が家の灯火が消えた」と嘆いたそうです。

まとめ

勇ましさしかないですね。結婚相手を選ぶ話はインパクトがあります。自分よりも強い人を選びたいからってそんなことする人ってそういないと思います。また、勇ましいだけでなく仕事もできるから真田家にも好かれたのかなと思います。このような姿を見ても憧れるなと思いました。以上です!最後まで読んでいただきありがとうございました。

りかちゅう