普通とは何か?:普通を押し付けないこと

どうも、りかちゅうです!皆さん「普通」という言葉をよく聞きますよね。普通はこうするべきだよ。普通はあーするべきだよみたいに。具体例を言うなら大学に進学するのが普通だよみたいな感じですかね?このように何かと「普通は」みたいにいうことがある世の中です。ただ悪いことをしてないのにもかかわらず「普通」とは違うことをしているとなんか戸惑いを感じるかと思われます。この状態は良くないのかと。そして、その影響で普通とは何かという考えて苦しくなる気がします。ではその普通とはどういうことなのか?この記事にて話したいと思います!

普通の定義

世の中で「普通」とは言われるものの、普通ってどんな定義だよとはなるかと思われます。なんかいつも使っている言葉ほど定義としてはどうなるんだろうってなりますよね。ですので、普通の定義とは何かから見ていきたいと思います!普通の定義を調べたところコトバンクにはこのように書かれていました。

・特に変わっていないこと。ごくありふれたものであること。それがあたりまえであること。また、そのさま。

・たいてい。通常。一般に。

このような定義を見ても何も変わっていない。ありふれているって感じですね。いわゆる量産的なものやら多数派のみたいなイメージだと思っておくといいかもしれません。

なぜ普通という言葉に苦しむのか

以上が普通の定義です。どのように捉えるかに関しては人それぞれではありますが。ではありふれたや当たり前、一般的などの意味を持つ「普通」という言葉に人は時に苦しんでしまうのか?今から話したいと思います!

1.普通を押し付けられるから

よくある話ですが好きなことややりたいことを行動に移したり口に出したりすると「普通のことをしなさい」「普通に生きなさい」と言われることはありませんか?特に人とは違うことですと余計に言われるはずです。進路とかがまさにそれですね。その言葉に関しては言われた側からしたら普通というものが何なのかは分からなくなり自分が悪いんだと自己肯定力が低くなってしまいます。それで無理にでも気持ちを押し殺して生きていかざる得ないという末路になってしまうのがオチです。

2.リスクはないけど意志に反してる

普通なものってありふれているだけあってリスクはないのは事実です。それもあってどうしてもリスクのなさそうな所に流れてしまうのが事実です。そりゃリスクを冒したら後々大変ってなりますもんね。ですが、ただ妥協しているだけあって本当のやりたいことと反するなんてことはあります。要は本当はつまらないし正直言ってやりたくない、面白くないとなりなんでやらないといけないんだとなっているけど思い切ってやれないから普通という概念が苦しくなるということですね。

普通ができる理由

このように、何かしらの圧があることから普通というものが負担に感じてしまうのは事実ではありますが、一体どこから普通というものが出来ているのか?

1.人間の理想や欲望があるからです。

なんというのかこの在り方がいいよね的な感じですね。または、誰からもが羨ましいと思うようなものや誰から受け入れられるようなものなど。それが普通です。また、その普通はみんなが理想にしているだけあって一般論になりかねないです。

要は普通というのはある意味理想像だけあって誰しもがそれに当てはまるわけがないということです。

2.多数派の意見

多数決という言葉や多数派、メジャーなどの言葉がありますよね?これはいわゆる大半の人が該当していることですね。食べ物で言うならカレーが好きな人が大半みたいな感じですね。学校の給食でカレーが食べれない人って少ないはずです。となるとみんなしてカレーが好きなのが普通的な風潮になるはずです。それもあってカレーが嫌いな人が校内にいたらマジかよ的にびっくりする雰囲気にならざる得ないですね。好き嫌いなんて極度な偏食でない限りいいじゃないって思いますが。

このように世の中では多数派のと少数派というものは生まれるのが付き物です。それで、別に間違ったことではないですが少数派の行動や意見を聞くとそれって普通やないやんとならざる得ないのが人間の環境ではあります。やはり多数派のと言う名前の圧力って相当大きいのかなと思ってしまいますね。特に同調圧力をかけられたら余計に多数派の意見が強くなり少数派は弱まるのが現実です。

普通って何ってなったときの対処法

普通という言葉が負担になる程普通ってなんだよって嘆きたくなるはずです。ではそのようになった時にどう対処したらいいのか?

1.普通でなくても気にするな

正直な話、人に迷惑をかけるようなことでなかったら普通でなくても気にするなとは思います。先ほどの定義のように普通とはありふれたという意味です。となるとあなたの場合はありふれていない。むしろ、少数派でオンリーなものということになります。たしかに誰とも合う点がなんてどうかなと一瞬はためらう気持ちはわかります。ですが、ポジティブに考えれば少数でもあるので目立つことができます。普通でいるよりもチャンスはたくさんあるはずです。まあ、本当でしたら多様性を受け入れるような世界観があれば楽になることもあるんですけどね。ただ現実そうはいかないこともあります。

2.事情は人それぞれだと思う

正直な話、事情なんて人それぞれです。世の中には父子家庭や母子家庭の人もいます。お金持ちの家だけど親に愛されていない家もあります。これはあくまで家庭事情ですが他にも身体のことや恋愛事情のこともあります。しかもそのような事情はみんなして違います。似ていることはあっても100%被っていることなんてあり得ないですからね。このように人それぞれとなればどれが普通というものなのかなんてないと思われます。

3.自分にとって向いている生き方をする

人間向き不向きがあります。しきたりとかがあるほうが向いている人もいればルールとかに縛られない方が向いているもいます。これはあくまでいち具体例ですがそれ以外にも事例はありますね。となれば自分に向いている生き方とは何かを考えてそれにすり合わせていく方がより楽になり生きやすくなるはずです。

まとめ

たしかにルールやモラルというものはあってはならないものです。そうでないと秩序は乱れてしまいますから。それもあってやってはいけないことをするのは非常識だという発言はありますけどね。大幅な遅刻に対して連絡しないとか無断欠席を平気でするとか。これらに関しては明らかに人に迷惑をかけていまいますし守る人がいなくなれば秩序は乱れます。

ただ、秩序をさほど乱すものでないのもやよくよく考えてみたら人の勝手だろうというものに普通普通押し付けるのはどうかとは思います。新卒で就職するのが普通だろやらそれなりに会社にいるのが普通だろやら。他にも色々掘れば掘るほど事例はあるかもしれませんが。ただこのようなものはよくよく考えたら自分に被害があるかと言うとちがいます。要は人に迷惑をかけることでないことにそこまで規制をつけるのはどうかと思うということです。その人なりの事情や環境というものがあります。それなのにあまりに自分の生きてきたことの話で事を進めてもいいことはありません。ですので、そこまで介入しないことも大事なのかと思います。以上です!最後まで読んでいただきありがとうございました。

りかちゅう