中国大陸こと唐からの伝統芸能!散楽とは何か?

どうも、りかちゅうです!室町時代の文化には狂言という文化がありました。お面のイメージがありますね。ごめんなさいね。室町時代の文化は私は詳しくないんです。というか、文化史は戦よりもそそられないんですよね。まあ、そんなことはさておき、その狂言なんですが奈良時代から名残がありました。どういうことって?実は奈良時代に唐から散楽という文化が日本に伝わってきました。それから日本では散楽を真似て猿楽が流行り狂言に至りました。このように、狂言は奈良時代の出来事があってこそのものです。それと今回の大河ドラマになんの関係があるのって?実は散楽は平安時代になってメジャーになりました。では散楽とはどのようなものなのか?この記事にて話したいと思います!

散楽の歴史

散楽には歴史があります。思ったよりも情報が多いです。ではどのようなものなのか?

1.散楽の概要

散楽は古代日本に伝来した大陸の芸能です。なんか中国帝室でも古くからもてはやされたそうです。そのため、前漢武帝のとき安息国の使者が来てエジプトのアレキサンドリアまたはペルシア湾岸のレケム地方の幻術師を献上したらしいです。そこから散学は西洋の要素を加えて様々に発展し日本にも渡来しました。ただ、一応渡来以前の日本にも俳優や侏儒の芸能が宮廷にて披露されたことがあったそうですが新たに伝わった散楽は律令制では散楽戸で伝習されました。ちなみに散楽とはどのようなものかと言いますと軽業や曲芸、奇術や幻術、滑稽・物まねの3つがおもな内容であったと言われています。要するに、簡単な楽器で伴奏されたと推定される娯楽的要素の濃い芸能の総称だと思えばいいです。

2.散楽の起源

散楽の内容はこんな感じですね。ちなみに起源は西域の諸芸能とされます。なんか何世紀にも渡って中央アジア、西アジア、アレクサンドリアや古代ギリシア、古代ローマなどの芸能がシルクロード経由で徐々に中国に持ち込まれていったらしいです。では、なんで散楽という名前がついたのか?一定の決まりのない不正規な音楽という意味で「散楽」と名付けられたという説はあります。ただ、実際には周や漢の時代には既に散楽と呼ばれる民間の俗楽が行われていたとも言われています。

3.日本の場合はどうなのか?

要するに、散楽はヨーロッパから中国に渡ってきた伝統芸能であるということです。どうやら日本は奈良時代に他の大陸文化と共に移入されたそうです。ただ、それ以前に大陸から渡っていた可能性も否定できないとは言われています。また、正倉院宝物の弾弓に描かれた「散楽図」などにによると散楽は軽業、曲芸、奇術、幻術、物真似などの雑戯や俳優や百戯とも記されてています。となると、日本に入ってきたものも中国大陸のものと同じような内容であったと言えそうですね。

ちなみに日本では735年に聖武天皇が唐人による唐・新羅の音楽の演奏と弄槍の軽業芸を見たという記述がありこれが散楽についての最初の記録とされています。また、そこら辺の時代に雅楽寮に散楽戸がおかれ朝廷によって保護される芸能となりました。ですが、その庶民性の強さや猥雑さから782年に散楽戸制度は廃止されました。

散楽から猿楽になる

このような形で日本にも散楽が流行りました。ただ、それがアレンジされ日本では猿楽が流行りました。では、どのような形で流行ったのか?

1.宴会で使われる

廃止れたものの平安時代で散らくは宮中で全く演じられなくなったわけではないそうです。平安時代になると宴席で余興的に行われるようになったそうです。具体例によると837年に仁明天皇が今で言うジャグリングのような曲芸の散楽を演じさせたとの記録があるそうです。また御霊会などの余興として散楽が演じられたという話もあります。その中でも元慶880年に相撲節会の余興として演じられた散楽は人々を笑わせたらしいです。

2.滑稽なものになる

散楽戸の廃止で朝廷の保護を外れたことでどんどん流行るようになりました。どうやら散楽は寺社や街頭などで以前より自由に演じられ庶民の目に触れるようになっていったそうです。そして都で散楽を見た地方こ人たちによって日本各地に広まっていきました。そしてそこから各地を巡り散楽を披露する人たちも増えていきました。それもあって、猿楽や田楽の座にあるいは漂泊の民である人たちが散楽にコントやお芝居の要素が加わ猿楽を作るようになりました。

 

まとめ

廃止したことで良かったこともあるのかなと思いましたね。だってそのような形で広まったわけですし。平安時代だとそういう文化が流行りでしょうからみんなアレンジするでしょうしね?また、そのおかげで能や狂言が出るのは趣があるなと思いました。以上です!最後まで読んでいただきありかとうございました。

りかちゅう