兄弟なのに…。なぜ頼朝と義経は対立したのか?

どうも、りかちゅうです!歴史に詳しい人ならば分かるかと思いますが源平合戦が終わってからはとある大イベントがあります。それは義経と頼朝のバトルです。鎌倉殿を見ている人ならば次は義経だと思うことでしょう。なんか、あの時代って色んな人がいなくなる世の中だったんですね。鎌倉殿を見るまであの時代は疎かった分思ったよりも切ないです。それで、その1人が義経です。この戦いは有名ではあります。個人的には話せば分かることもあった気もするんですけどね。そんなことができなかったのが現実なのかもしれません。では、なぜ頼朝と義経は対立してしまったのか?この記事にて話したいと思います!

源平合戦が終わってからの源氏

1185年に壇ノ浦の戦いが終わってから源平合戦は終わりました。結果はもちろん源氏の勝ちです。石橋山の戦いで負けたとは言えども、梶原景時が頼朝の行方を見逃してくれたことで頼朝が生きれたこと。富士川の戦いで何も戦わないで勝てたこと。一ノ谷の戦いで義経が崖から攻撃したことなど色々なミラクルのお陰でなんとか勝てました。

となると、もう源氏が世の中を収めるみたいに思う方もいるかと思われます。いやいや、そういうわけにはいかないんです。とあるバトルを忘れてはいけません。それは義経と頼朝の対立です。たしかに、2人は源平合戦で共に戦った仲です。ですが、それ以降は2人の考えや方向がずれてしまい対立することになりました。それで、本格的に戦うことになり最終的には義経が負けます。詳しいことは別記事にて話したいと思います!

対立してしまった理由

平家が倒れてもまだ戦いがある源氏。では、なんで義経と頼朝は戦うことになってしまったのか?

1.壇ノ浦での義経の身勝手な振る舞い

壇ノ浦の戦いの時に義経は軍師であった梶原景時の意見を聞かずに事を進めてしまいました。戦が上手ではあるし正論である一面はあります。ですが、上の人を立てることはそうしなかったそうです。鎌倉殿でも自分の意見を通したいっていうシーンはありますもんね。

また、奇襲戦をしすぎたことで安徳天皇を自殺に追い込み朝廷との交渉材料になりうる三種の神器を紛失してしまったことや配下の武士たちを頼朝の許可を得ずに勝手に処罰し他の武士たちの反感をかったそうです。これは「吾妻鏡」に書かれているそうです。この状況を見た頼朝は義経の勝手な振る舞いをする義経を疎ましく感じるようになります。なぜなら、頼朝は自分を頂点とする武家社会を作ろうとしていたからです。

2.義経は頼朝の許可なく官位をもらったから

頼朝は自分の許可無く朝廷から官位を受けた武士は関東に戻ることを禁止していました。
なぜならば、その当時頼朝はまだ幕府を開いていなかったため部下に官位を与えることはできませんでした。となると、もし、頼朝の許可無く朝廷から官位を授かるということは頼朝自身の地位を揺るがすことになってしまいます。また、無断に官位を取ることで他の人達が頼朝は官位をくれないけど朝廷は官位をくれる。それならば朝廷についた方が得ではないかと考える人達が出てくるかもしれないです。それ故に、頼朝の許可無く官位を受けることを禁止していたのです。

そんなルールがあるのにもかかわらず、義経はこれを破って官位を受けてしまいます。
なぜ後白河法皇はそうしたのか?後ほど話しますが今後頼朝が力をつけるのを恐れその対抗馬として義経を重用したとも言われています。これによって義経が朝廷の信頼を高め周りの武士達の人気者となりました。漫画でもそういうシーンはありますよね。ただ、これは朝廷から距離をおいて武家による政治社会を作ろうとしていた頼朝にとって大変な脅威でもありました。これは義経を制裁しないとと思いますよね。

また、義経は戦をすることに長けていたものの、政治には疎かったと言われています。となると、頼朝にとって平家との戦が終わり戦をする必要がなくなった以上、義経を重用する必要もなくなります。それ故に勝手に官位を授かったのと討伐したと考えられています。

3.義経の後ろに奥州藤原氏がいたと疑ったから

義経は 頼朝の軍に参加するまでは奥州平泉 (今でいう岩手県平泉町)の藤原氏のところに滞在していました。ただ、奥州藤原氏は誰にもつかずに様子見をしていました。それで、義仲と平家を倒した頼朝にとって、次の敵は平
泉の藤原氏だと思っていました。

うたぐり深い性格だった頼朝は今も義経には藤原氏が後ろについてい るかもしれない。だから油断できない人物であると疑ったようです。それ故に頼朝が義経を倒そうとしたのはこれらのことが原因だともいわれています。奥州藤原氏がどう思っていたかは謎ではありますけどね。

後白河法皇も絡んでいた?

その当時、朝廷の中心人物であったのは後白河法皇でした。後白河法皇は頼朝の力をおさえ、再び貴族を中 心とするしくみの国にしようと考えていました。そうするには誰かしらの力が必要です。そこで、義経を朝廷で出世させることで味方につけ頼朝と戦わせようと考えた説もあります。頼朝はもちろん義経が
戦いのときの兵の使い方に天才的な能力をもっていることを認めていました。そこまで源氏が功績を上げたのは義経のおかげです。ですが、頼朝からしたら後白河法皇に近づいていく義経を警戒するようになりました。それ故に義経を倒そうみたいな考えになったとかと思われます。

義経に足りなかったこと

このようなことから義経と頼朝は対立することになってしまいます。この対立に関してはどっちの目線で語るかによって捉え方は変わりますけどね。ただ、少なくとも義経には足りないことはあります。ですので、その話をしますね!

1.立場に関すること

頼朝は義経は弟であるものの自分の部下という考えをしていました。ですが、義経は自分も頼朝と同じ立場だと思っていたそうです。それもあって、自分が引っ張るぞみたいな考えはあったのかもしれませんね。ここに関しては兄弟だからこそ上下関係があるのはなんかなと思うこともあるかもしれません。ただ、トップは2人いたら良くないこともあるんです。

2.政治スキル

現代で言うならば営業マンなどプレイヤーとしでいているけど課長や部長などの監督としては向いていない系の人ですね。たしかに、義経がいての源氏の勝利です。ですが、政治はできません。それもあって、いざ対立したとしても大半の人は義経についていこうとはなりません。それ故に悲しい結末になったのかと思われます。そこら辺頼朝は政治スキルはあるということでもありますね。とは言えども、源氏も最終的には北条に乗っ取られますけどね←。きっと北条家もその時を狙っていたとは思います。

まとめ

社長が2人いると事件になるとはこういうことですね。どんな時代でもそういうものです。とは言えども義経の能力では社長にはなれませんが…。ただ、2人が同等の権力を持とうとするとバトルになるのは当然です。たとえ兄弟でもそうです。そして、どっちかが負けることになります。義経が好きな人にとってはかなり悲しい話でしょうね。私的にはどっちもどっちなのかなと思います。義経は調子乗りすぎたところもあります。また、頼朝は疑い過ぎる一面もあります。だからこそ、私はこのバトルに関してはどっちの肩を持つことはできないと思っています。以上です!最後まで読んでいただきありがとうございました。

りかちゅう