人任せな人の心理と日本ならではの人任せ

どうも、りかちゅうです!世の中には人任せな人がいます。それはそうですよね。みんなして当事者意識を持っているとは限らないです。それで、私的には日本人って人任せな思考の人が多いのかなと思っています。日本人な私がそんなことを言うのもあれですが事実です。特に世の中のことに関しては人任せすぎます。本当にいい加減にしろよと思うことばかりです。この気持ちは分かる人にはわかると思います。だからこそ、この記事にて人任せになってしまう心理や日本人がどうして指示待ちになりやすいのかについて話したいと思います!

人任せな人の心理

本題に入る前に人任せな人ってどういう心理があるのかなと思う人もいるのかなと思います。ですので、まずは人任せな人の心理について話しますね!

1.責任を持ちたくない

何かしら担うとなったら責任を取らなければなりません。だからこそ、自分が行ったことで相手から責められたり落胆されたりすることに対して恐怖を持っている人はいるのかなと思われます。それ故に、何かしら行動して失敗するよりかは何もしない事を選択してしまうのです。気持ちは分からなくもないです。何かしら行動するのはリスクはありますからね。ただ、受身でいても成長することはないと思います。

2.当事者意識がない

人任せな人ほど当事者意識がないと思われます。人間は興味があれば自分から率先して何かやります。ですが、興味が無いものは眼中にないため考える事すらもしないです。私も嫌なものに関しては頭の回転が鈍くなります。とは言えども人間ですしそうなるのも無理ないです。それ故に誰かに決めてほしいと思っているのかと思われます。やる気があるかどうかって本当大事だと思います。

3.何か言われそうで怖い

ピラミッドな関係性になっているからこその悩みかと思われます。会社で言うならば社長がいて部長がいてみたいは感覚だと思えばいいです。会社以外にもピラミッドはもちろんあります。となると、このような存在の人がいる中でもし自分で行動すると上の人達と意見が違った場合色々文句を言われることだってあります。特に上の人がワンマンな感じの方だったら意見が違ったらブチ切れとかありますからね。このような状態になると人任せにした方がマシとなるのも無理ないです。

日本人ならではの人任せ

タイトルに書かれているように日本人ならではの人任せなことってあると思います。ですので、その話を今からしますね!

1.マスクを外すかどうかやコロナの収束基準

コロナ禍で露呈された人任せですね。まず、コロナが落ち着いたらとか言っている方へ。落ち着くというのはどういう基準ですか?明確な数字をきちんと言えている状態ですか?そうじゃないはずです。曖昧な感じだと思います。または0人にならなきゃコロナは終わらないとか思っている人もいるはずです。0人にするにはゴミ検査を止めるしかないですよ?また、マスクだって誰かしらの指示出しがない限りは外すなんてことはそうないと思います。コロナ慣れしてるのに他人に言われないと分からないという思考に呆れます。大丈夫なのかよと思います。

2.学校行事や仕事

みんながみんなしてではないですが少なくともそういう要素はあるのかなと思います。学校行事だって結局は誰かしらが引っ張らないと始まらないこととかあると思います。これだとすぐに決まればなんとかなりますがもし決まらないみたいなことがあったらなかなか厄介だなと思います。

また、これは仕事だって同じです。日本の仕事満足度の低さからしてもやる気がないからこそ誰かがやればいいみたいな風潮がある会社は多いのかなと思われます。また、誰もやる気がないみたいな事態になったら何もすまないで放置させるみたいなこともあってもおかしくないです。

※結局は誰かの指示待ちみたいな所が多いと思えばいいです。

なぜ日本人は人任せなのか?

他にも色々な具体例もありますがなんでそんなに日本人は人任せなのか?今から話したいと思います!

1.ルールや常識が命だから

日本人は合理的な考えよりもルールや常識が命だと思っていることは多いです。たとえそのルールが間違っていたとしてもまかり通ります。そして、昨日の非常識が今日の常識みたいなこともあります。意味わからないって?パクったキャッチコピーで表現するなよと。マスクがまさにそうじゃないですか、2019年まではマスクをしている人は怪しい人扱いや接客として不適切なんて言われていました。ですが、2020年以降はマスクを付けることが常識となっています。このように、常識というものを都合よくすり替えています。

たしかに、時代によって変化するものではありますがいくらなんでも都合良すぎます。まだその常識が正しいならいいんですがそうじゃなかったら無意味です。

2.同調圧力があるから

同調圧力が強いのが日本です。ここに関しては多くは語りません。もうみなさんわかることでしょう。集団に逆らえば村八分扱いです。今も昔も変わっていないです。また、先ほども述べたようにルールを決める側も逆らう人を嫌だと思う気持ちが強いこともあります。また、たとえ親身に聞いてくれる人であったとしてもそれがいい感じになるかというとそうとは限らないです。となると、長いものに巻かれろみたいな雰囲気になってもおかしくないです。そう考えるとワンマンな雰囲気の環境って思考停止の元なのかもしれませんね。

3.思考停止しているから

考える力があれば他人任せにするなんて行為をしないです。どうしたらいいのかなど色々考えられるはずです。ですが、思考が停止すれば誰かに委ねることしかできないです。それ故に誰かの言うことに従えばいいってなるのかなと思われます。思考停止に関しては学校教育から植え付けられていることです。画一的なルールで縛り何も考えなくさせるのが学校です。もちろん、ルールに逆らったものは問題児扱いです。このような不都合な環境で育てられたら思考停止になる人は増えます。

りかちゅうさんはどうなの?

こんなことを書いているお前はどうなんだよとなりますよね?これに関してはなんとも言えないです。少なくとも言えるのは好きでもない仕事だったら当事者意識はあるものの、嫌いな仕事なんて他人任せです。なぜなら、やりたいなんて気持ちはサラサラないからです。このように、時と場合によります。ただ、少なくとも言えるのがやりたくもないことや従いたくないことに関しては絶対にやらないということです。やったとしてもろくでもないような感じになる気しかしません。本当にめんどくさい奴です。きっと他人からしたら扱いたくないでしょうね?

まとめ

「あやつられた龍馬」という本を読んだときにとある内容が書かれていました。どういう内容かというといつの時代も役人というのは事なかれ主義だから事を立てて問題を大きくするよりも目を瞑った方がいいというやり方がまかり通っていたそうです。このような考えが蔓延している時点で人任せな思考ですよね。もし人任せじゃなかったら事なかれにすることなんてないです。この内容を見ても今も昔も変わらないとしか言いようがないです。いつから思考停止な感じになってしまったのか気になってしょうがないです。ただ、このままにするのはあかんと思います。だからこそ、各々で自覚するしかないと思います。以上です!最後まで読んでいただきありがとうございました。

りかちゅう