戦国武将が手こずった!一向宗の概要と強い理由

どうどうも、りかちゅうです!信長や家康などの戦国武将が処理をするのに手こずった出来事があります。それは一向宗のことです。一向一揆と言われるものがまさにそうです。対処するまで100年以上かかったそうです(その後も色々あったとは思いますが)。驚きですよね。世界史で言うならば100年戦争と同じくらいの年月です。しかも武士でない相手とここまで争うって相当だなと思われます。なんでこんなに強いんだよと思いますよね?武士の方が強いってイメージがあるからこそ余計にそう思うはずです。ですので、この記事にて一向宗がどんな宗教なのか、そしてどうして強かったのかに関して話したいと思います!

一向宗とは何か?

一向宗という宗教の名前は聞いたことはあるかと思われます。ただ、どのような宗教かはわからない方もあるかと思われます。ですので、まずはそこから話したいと思います!

一向宗とは浄土宗の僧侶である一向俊聖が鎌倉時代に創めた日本仏教のうちの1つです。一向俊聖とは筑後国(今でいう福岡県)で生まれ踊り念仏や天道念仏を体得してから道場を設けた人です。一向俊聖の教えは、「南無阿弥陀仏」とおう念仏を唱えれば誰でも極楽へ往生できるという教えでした。この教えはやり方が簡単なことから一般の民衆を中心に、日本全土に大きな広がりを見せました。その結果、東北や関東、尾張、近江に寺院が分布し始め教団を形成するようになりました。このような広まり具合から「一向宗と呼ぶようになった」との記録が残っています。

一向一揆とはなんなの?

以上が一向宗の概要です。浄土宗の一種だと思えばいいです。では一向一揆とはどのようなものなのか?

概要

一向一揆とは室町時代の中期から戦国時代にかけて浄土真宗の信者たちが各地で起こした権力に対する抵抗運動の総称です。加賀一向一揆、三河一向一揆などがまさにそうですね。あと比叡山焼き討ちも一向一揆の一種です!要するに、一向宗が起こした一揆はたくさんあるということです。しかも、約100年間という長さですからね。まあ、結果的には武力で弾圧されますけどね。ですが、手こずったのは事実です。

起きたきっかけ

一向宗は戦国時代に大流行したとされたそうです。もちろん、徳川家にも一向宗推しの家臣がいました。まあ、流行る分にはまだいいです。ですが、信者の中には「独立して一向宗の国を作りたい」と動き出す者も現れました。それのなにがいけないのって?実はその思想が「当時の統治者を武力によって追い出す」という過激な思想へと変化したのです。統治者の存在がうざいと思ったんでしょうね。そしてその思想から一向一揆に発展していきました。それもあって、一向一揆は自由と信仰を求めた民衆の戦いとして現在にも語り継がれています。

はじめの一向一揆は加賀一向一揆

約100年続いたと言われる一向一揆の引き金は1488年加賀国(今でいう石川県)で勃発した加賀一向一揆だと言われています。この一揆のきっかけは当時加賀国の守護であった富樫政親の打倒に始まりました。この妥当が起きてから1580年まで一向宗は加賀国を支配するに至りました。約90年も支配しているなんて予想外です。そして、それ以降も三河、伊勢長島、石山本願寺などさまざまな場所で一揆が起こりました。その際に「進むは極楽、退けば地獄」という南無阿弥陀仏の経文を唱えながら攻撃してきたそうです。このような精神があったことから一向宗の集団はあの信長も悩んでいたそうでうす。

なんで強かったのか?

以上が一向一揆が起きたきっかけです。独立したいという考えから一揆に至ったということですね。ではなんで一向宗は強かったのか?

1.信仰している人が多い!

一向一揆が強かったのは先ほども述べたように浄土真宗を信仰していた人がかなり多かったことです。武士だって信仰していますからね。これは一向一揆をする人も多いといっているようなものです。そう考えると身分関係なく一向一揆に参加する人がじゃないぐらいの量かと思われます。具体例としては朝倉軍と一向宗が戦った時には10万から30万にも及ぶ軍勢が朝倉家を攻めてきたという記録も残っているそうです。また、信長を苦しめた長島一向一揆の時でも10万人以上の一向一揆軍の人たちが籠城していたそうです。戦国大名からすればここまで軍勢が多いと恐怖でしかないかと思われます。しかも、一揆なんて武将にはなんのメリットもないです。だって一揆を鎮圧したところで所領も増えることはありませんからね。今でいうならばギャラがないのにさらに、自国内で起きた場合だと自国の領民を殺したことになります。そのため、一向一揆は戦国大名からすれば超厄介な存在です。

ですが、チームワークの面ではマイナスではあったため最終的には鎮圧されてしまいました。

2.本願寺の財力がすごい

一揆にはお金が必要です。暴動をするわけですからね。その時にお金を持っていたのは浄土真宗の総本山である石山本願寺です。財力が莫大なものだったと言われています。

え?でも商売してないのにどうやってお金を得ていたのと思いますよね?いい質問ですね。まず商売などしなくても浄土真宗は宗教団体ですので全国の信仰者から莫大なお布施が届きます。大きな寺ですし額も大きいでしょうね。また、石山本願寺の本拠地が当時栄えていた堺と京都の間にある門前町です。となると、他のエリアよりも大量の財源が入ってきます。それ故に本願寺は大量の武器を購入することができました。これだけでも相当ですよね。ですが、それだけでは終わりません。石山本願寺は、毛利家や本願寺顕如と親戚関係にある武田家などの有力大名から大量の兵糧が送られてきます。そのため、持久戦も耐えれました。なんかもう凄すぎます。

3.死んでもかまわない精神があるから

信者も多い、財力もある。その時点で強いのは当然です。ただ、それだけではないです。それは気持ちの問題です。一向一揆の人達は「死んだら極楽浄土に行ける」と思っていました。ですので、死んだって構わないと思う人がたくさんいたんです。となると、平気で命を落としてまでで何かを成し遂げようとします。また、人を殺してもなんとも思わなくなっていた人もいたそうです。。サイコパスですよね。きっと「念仏を唱えたら死んだら極楽浄土に往生できる」という考えがあったから戦をすることに対する歯止めが効きにくい状態となっていったのでしょう。それもあって、一向衆の人達は「進者往生極楽 退者無間地獄(進めば極楽に行けて、逃げたら地獄に行くよ」という旗を掲げて信長に立ち向かったそうです。

悪いことしても唱えとけばなんとかなるって教えがあればなんでもできてしまうんですね。宗教ってなんなんだよって思ってしまうこの頃です。

まとめ

ずっと謎に思ってはいたんですよね。なんで一向宗がここまで強いのかなと。それで今回調べてみたら予想外だったなと思います。とりあえず、財力に関しては盲点でした。よくよく考えてみたらお布施でお金が入りますよね。お寺なんて。また、一向宗を信じている人も多いです。そりゃ、祈っていれば極楽に行けるというならばなんでもするって精神になるんでしょうね。まあ、それだけではないとは思いますが魅力に感じる人がいることもすごいと思います。要するに、調べた結果、すごいとしか言いようがないということです。以上です!最後まで読んでいただきありがとうございました。

りかちゅう