頼朝の浮気相手?亀の前と政子と大事件

どうも、りかちゅうです!なんだことタイトルはって?このタイトルは有名なネット漫画こと「ゴミ屋敷とトイプードルと私」からパクりましたwwwwwww。ただ、このタイトルには意味があります。皆さん源頼朝の正室は北条政子であることは分かるはずです。教科書にもちゃんと書かれてますからね。ですが、頼朝は一途ではありませんでした。それ故に愛人がいました。その名は亀の前です。その方は美しかったらしく政子がいるのに頼朝は手をつけました。ただ、それだけでは済みません。なんと、亀の前との浮気が政子にバレてしまい大騒動に。ここまでかよって言えるくらいのレベルです。ですので、今からその話をしたいと思います。

亀の前とはどんな人?

※肖像画がなかったので「鎌倉殿の13人」で亀の前を演じた江口のりこの写真を載せますね!江口のりこは関西弁で話してるイメージがあります。

正直なことを言うと亀の前はマイナーなため彼女に関する史料というものが少ないんです。いつ生まれたのか、いついなくなったのかも分からないです。分かることとしては伊豆にて良橋太郎入道のもとに生まれました。とはいえども、親が「入道」という敬称が用いられていることから在家のまま剃髪・染衣し仏道に帰依した人物であるかと思われます。そう考えると政子みたいに身分が高くはないとしてもそれなりの身分なのかと思われます。また、見かけは顔立ちが美しかっただけでなく、おっとりと穏やかで優しい心映えの女性だったそうです。それ故に頼朝からの寵愛を受けたのかもしれません。

頼朝との出会い

亀の前の概要はこんな感じです。では、頼朝とはどんな出会いだったのか?頼朝は平治の乱で父の源義朝が殺された後は伊豆の蛭ヶ小島へ流刑となりました。その当時頼朝13歳だったそうです。初めは伊東家の元に身を寄せていました。ですが、伊東家の娘こと八重との間に子どもができたことから伊東祐親は激おこ。それ故に伊豆半島の中央にある韮山へと移されました。八重のことも詳しい史料がないんですけどね。その後政子と結婚します。きっとそのくらいの時に亀の前と出会ったとされています(政子とどっちが先かは読めないですが)。ただ、伊豆に仕えていた時に支えていた女性だそうです。

浮気事件の流れ

まあ、とりあえず頼朝は政子がいるのにもかかわらず亀の前のことも好きであったと思ってください!では、肝心たる浮気事件はどんな流れだったのか?

1.まさかの妊娠中に浮気!!

妊娠中の浮気とか最低ですね。女性なら余計にそう思うでしょう。流れとしては頼朝は伊豆で暮らしていた頃から亀の前と親密ではありました。そして、この関係は頼朝が鎌倉に移動してからも続いていました。だんだんと亀の前への寵愛が増していった頼朝。それ故に政子が妊娠中だった1182年6月に亀の前を小坪(逗子市)にある小中太光家の屋敷に住まわせてしまいます。なんか出かける口実を作りやすい場所に位置だったそうです。

2.小坪から飯島へ

頼朝は亀の前を小坪に呼び寄せました。ですが、その後は居住地を小坪から飯島(逗子市)にある伏見広綱の屋敷に移しています。伏見広綱とは文筆に秀でていたため朝廷の事由に詳しい者として推薦され、1182年に頼朝の右筆(ポジションてしては書記)になっています。となると、伏見広網は鎌倉幕府においてエリートといえる人物でした。ただ、身分や地位が高い人物のところに亀の前を住まわせていたせいで大事件を引き起こしたのかと思われます。

3.政子、激おこ!!

一方、政子は1182年8月12日に鎌倉幕府2代目将軍こと源頼家を出産します。その後になんと北条時政の後妻である牧の方が政子に頼朝の浮気をチクりました。その事実を知った政子は激おこぷんぷん丸になりました。いや、それ以上ですね。逸話かもしれませんが「あの女を邸ごとぶっ潰せ!!」みたいなことを言ったらしいです。そして、牧の方の父・牧宗親に命じ亀の前が住んでいた伏見広綱の屋敷を破壊しました。亀の前は殺されずに鐙摺(現在の神奈川県三浦郡葉山町の北部)に逃げました。

4.牧宗親、とばっちりを受ける

頼朝はいくらなんでもそこまですることはないと思ったことから激怒しました。ただ、その怒りは政子には当てませんでした。政子が怖いと思ったのかもしれませんね。じゃあ誰にその怒りを当てたのか?なんと、頼朝は牧宗親を大多和義久の邸宅に呼びつけて伏見広綱らの前で髻(鳥帽子の下で結っている髪の毛)を切り捨てました。

5.北条家大波乱!!

牧宗親の髻を切った頼朝。髪なんて伸びるしそれがどうしたと思う人はいるかもしれません。ですが、その当時にそんなこと言えないです。その当時は髻を隠すことは大事な身だしなみでした。逆にそれを晒されるのは現代で言えば白いブリーフ一丁の姿にされるようなものです。夫婦喧嘩のとばっちりを受けた牧宗親にとっては辛いものです。そこで北条時政に泣きつきました。すると、今度は北条時政が激怒しました。そして、北条時政は鎌倉から伊豆へ引き払ってしまいました。もちろん、牧の方も身内が痛い目に遭ったわけですから激おこでしょうね?

6.義時が褒美をもらう

え?何もしてない義時がなんで褒美をもらうの?それは鎌倉に残ったからです。おそらく、頼朝からしたらこの騒動のダメージはあった中だからこそ支えとはなったのかもしれませんね。お前の女癖のせいだと言いたいですが…。しかも、こんな事件があってもまだ浮気していたらしいですよ?もちろん政子は激おこだけでなく家臣まで巻き込まれます。いい加減にしろと思います。

政子が怒った理由

頼朝のしたことはあかんけど昔の時代は一夫多妻制だしそこまでブチ切れる政子も政子だと思う方もいるかもしれません。ただ、それには女の嫉妬以上残ってものがあったんです。それはその当時エリートと言われていた伏見広綱が亀の前をかくまっていたからです。北条家はその時代そこまで権力を持っていた家系ではなかったんです。

それの何が関係するのか?それは嫡男問題です。京の考え(頼朝は京都出身です)では母親の身分がより高い男子が嫡男とされることが多かったのです。反対に関東では長男が嫡男になるのが通例です。となると、もし京の考えが採用されたら亀の前との間に生まれた男児を嫡男に選ばれる可能性はなくもないです。そんなことが起きたら政子の居場所はないですからね。それ故に激怒しました。

その後の亀の前

その後、亀の前は頼朝によって小坪に呼び戻されます。詳しいことは残っていないですか三浦半島に亀の前と境遇の似た女性の伝承が残っているそうです。その内容曰く彼女は頼朝の愛妾で「椿の御所」と呼ばれる頼朝の別荘にかくまわれてたそうです。でも、なんでそんなに亀の前が好きだったのか?それは知性があったからだそうです。なんか、家康が阿茶の局を気に入ったのと似ていますね。知性がないと干されるとはこういうことです。

まとめ

こればかりは頼朝も頼朝ですね。一夫多妻制だとは言え遊び方が下手くそです。騙すなら騙しきれていないし家臣まで巻き込むなんてなんということでしょう。しかも、反省していないですからね?まずエリートの人に亀の前を任せるなと思います。もし、大した身分じゃない人ならば政子もそこまで怒らなかったはず。このようなことを踏まえても遊び方はきれいにしないといけないことを痛感します。そうじゃないと後々大変になると思いますよ?以上です!最後まで読んでいただきありがとうございました。

りかちゅう