史実はどうなの?藤原道長と紫式部の関係とは?

どうも、りかちゅうです!光る君へを見ていて思うことはあります。それは道長と紫式部の関係です。私は平安時代には詳しくないためこの2人がこんなに接点あるのかよと思ってしまいました。後ほど話しますが光る君への君ってもう道長としか思えないですし。ただ、固定観念のままいるのはあかんと思い色々調べたら自分が思う以上につながりがあって衝撃でした。道長の妻こと倫子も紫式部に嫉妬したというエピソードがありましたからね。2人が結ばれる世界線があったらどうなっているのかと思ってしまいました。では一体どのようなつながりがあるのか?この記事にて話したいと思います!

光る君への「君」は道長のこと

先ほども述べましたが明らかにそうですよね。じゃないと誰になるんだよと思いますが。2人の関係性なんですが簡単には表せない何かなんです。正直なことを言うと2人共他の人とは結婚はしています。紫式部は死別してしまいましたけどね。じゃあなんだよと思ってしまいますよね?私自身、ドラマの関係図を見た時になんとも言えない関係なんだろうなと思いましたね。なんと言えばいいのかお互い恋愛感情みたいなものはあるのになぜか結ばれることのない関係的な感じなのかと。切ない恋みたいに思いましたね。

※道長は闇堕ちする可能性た高いと思うので光らない君へになりそうですね。

2人の関係はなんだったのか?

このように、「光る君へ」は道長と紫式部の関係を色濃く描く感じのドラマではあるのかなと思います。ただ、2人ってどういう接点はあるのと思いますよね?ですので、2人の関係について話しますね。

1.源氏物語から始まるミステリー

「Kissから始まるミステリー」からパクりましたwwwwww。紫式部は30歳頃に夫を病で亡くしました。その時、紫式部は相当悲しかったそうです。そこで、悲しみを紛らわすために「源氏物語」の執筆を始めました。その評判を聞いた一条天皇が女房に音読をさせたところ一条天皇は源氏物語の作者は日本書紀を読んでいる感じがしとても教養がある人だと評価しました。その評判を知った道長が娘の女房でもありかつ教育係としてスカウトしたのが道長でした。名前は藤原彰子です。実は彼女は道長の娘であり一条天皇の妻なんです。これは紫式部にとっては重大な役目ですね。

2.はじめは雇用関係だった

そんな流れで紫式部は彰子に仕え家庭教師を務めています。でも、なんで紫式部なのか?道長は彰子に皇后として十分な教養を身につけさせるため優秀な女性を探していました。そんな時に目に留まったのが宮中でも評判になっていた源氏物語の作者こと紫式部だったんです。紫式部にとって道長は教え子の父親であり雇い主だったことになります。ただ、思った以上に2人の関係は濃いです。

3.だたの雇用関係ではない

先ほども述べたようにただの雇用関係ではないです。紫式部は道長に執筆活動を支援してもらっていたそうです。また、道長から高級品だった紙や硯をプレゼントされたり物語の続きを早く書いて欲しいと激励の手紙を貰ったりしていたそうです。どうやら道長が執筆を促したのは彰子と天皇の仲を深めるためだったそうです。
物語の続きが発表されればされすほど源氏物語を愛読していた一条天皇は頻繁に紫式部のもとを訪れます。すると必然的に自分の娘でもある彰子とも接する機会が多くなるわけです。そうは言っているものの紫式部目当てではあったのかと思われます。

道長と紫式部は愛人だった?

先ほど2人は結ばれる関係にはならなかったと言いましたが史実では愛人関係ではあったそうです。結末はハッピーではないんですけどね。では一体どんな感じの関係だったのか?

1.紫式部日記の内容

紫式部が残した「紫式部日記」には紫式部が道長のアプローチを断っていたらしい記述もみられます。道長は「あなたはさぞ恋愛経験が豊富で、よく口説かれもするでしょう」という内容の和歌を紫式部に贈ったものの紫式部は「私は誰にも惹かれておりません。心外です」と素気なく返したそうです。気持ちはあっても複雑な関係があったからそのようにしたのかと思いますね。ただ、彰子の安産を願って夜通し祈祷が行われた夜明けでは花をしっとりと濡らす朝露を用いてお互い愛のある和歌を書いています。その時点で一線は超えていますよね。

2.尊卑分脈の内容

貴族の系譜を記録した「尊卑分脈」という本にその根拠があるそうです。尊卑分脈では紫式部について「源氏物語作者」「道長妾」と記されています。妾とは愛人のことですね。そのため、紫式部は道長の愛人であったと解釈できると言われています。ただ、尊卑分脈は一部の記述の信憑性が低いと指摘されています。

3.倫子の嫉妬

1008年の9月に道長と紫式部がおみなえしの歌を交わし合う時がありました。その際に紫式部と道長の正妻こと倫子とあるやり取りがありました。それは9月9日は重陽の節句で前夜のうちに菊の花に綿を乗せて夜露を含ませその綿で体を拭くと老いが取り除かれ長生きできると言われていました。それで、2人はこのようなことを言い合っていました。

9日、菊の綿を女房の兵部のきみが持ってきて「殿の上(倫子のこと)があなたに特別にくださるって。これで老いを拭きとりなさいっておっしゃっていたわ」という。

「菊の露 わかゆばかりに 袖ぬれて 花のあるじに 千代はゆづらむ」

紫式部日記の一部です。倫子が娘の女房の紫式部を「あなたって、老けているわね」といじめているようなシーンです。皮肉なイジメですね。それで、紫式部は「私は菊の露にちょっと触れれば十分です。花の主(倫子)こそ長生きなさってください」と露を含んだ綿を返そうとしますが倫子は紫式部の返事など聞かずにさっさと立ち去ってしまったそうです。これを見ても倫子は紫式部と道長の関係は分かっていたのかと思われます。

2人に焦点を当てている理由と結末

このように、愛人説は濃厚なのかと思われます。だとしてもなんで2人に焦点を当てているのと思いますよね?ですので、その話をしますね。

理由

紫式部の身分は中級で低かったです。これはドラマでもわかると思います。一方で道長は元から地位が高いです。そのため、妻も愛人も天皇家に連なるような格上の女性ばかりでした。それなのに、紫式部だけは例外です。そのため、道長からしたら紫式部とは一時の戯れだったのではないかと推測されはいます。ですが、知的なところなど政治的な思惑抜きで紫式部に惹かれたという可能性もなくもないのかと思われます。それだから重陽の節句に正妻の倫子が放ったのかと思われます。

結末

2人の関係が長く続かなかったそうです。なんか1011年に一条天皇が病で崩御し彰子が皇太后になると紫式部は宮中から姿を消してしまうからです。理由は彰子にあったのかと思われます。詳細としては藤原実資は権力を独占する道長に批判的でした。それで、実資が彰子を訪ねたときに彰子が実資の道長批判に同意した可能性があったそうです。これは道長からしたら嫌なものですよね。皇太后という高い地位につきときに自分と対立する意見を抱くようになった娘とその教育係であるものの愛人関係でもある紫式部を近くに置いておくなんて。そのため、道長が紫式部を来させないようにしたのかと思われます。1013年頃を最後に紫式部は彰子の元を離れたそうです。

まとめ

大河ドラマで1人の男または女のことをタイトルにするなんてことはそうないのかなと思っています。だってそんなことをしたらラブストーリーになりますもん。別にラブシーンがあってもいいですよ?ですが、大河ドラマはラブシーンがメインではないのかなと。それなのに光る君へは恋愛要素ありきとタイトルで言っているなと思ってしまいましたね。それもあって、一般の人は乗り気ないって人はいるのなかと思われます。大河ドラマは恋愛ものじゃないと。ただ、今後面白くなるかは抜きにしてこの2人は独特なものはあるのは事実ではあるとは思っています。以上です!最後まで読んでいただきありがとうございました。

りかちゅう