撃沈されていた?タイタニック号の闇とは?

どうも、りかちゅうです!タイタニック撃沈事件のことをは知っている人はいますよね?それもそうです。あれ有名なんですから!少なくとも大人の人ならば知っている傾向はあるのかなと。キッズで知っていたら感慨深いですがwwwwwww。まあ、それくらい知られている話です。実際にタイタニックの撃沈事件を元にして映画とか出来ていますからね(映画はフィクションな所もありますが)。この私も見たことはあります。ただ、このタイタニック撃沈事件なんですがただの事件でないんですよね。どういうことかって?実はある闇があります。簡単に言うと意図的に行われていたということです。何があったんだよって?そうなりますよね。ですので、この記事にて話したいと思います!

暗殺されるアメリカ大統領の特徴

この話にはまず色々話さないといけないことがあります。なぜなら、色んなことが絡んでの事件だったからです。まず話すべきことは暗殺されたアメリカ大統領の特徴です。実は殺されるのはちゃんとした理由があります。ですので、これから話しますね!

アメリカが建国されたのは18世紀後半の時点です。その時の悪ことDSは国際金融資本家として活動していました。その際に色んな国の中央銀行の株主に名を連ねることで通貨発行益を横取りするなんてことをしていました。アメリカもこの試みは行われていました。ですが、歴代の大統領のうちこの悪さに仕気づきなんとかしようとした大統領もいました。ですが、その人たちは暗殺という形で追いやられています。

大統領と金融資本家のバトル

アメリカの最初の中央銀行は1791年にフィラデルフィアで発足した第一合衆国銀行です。それまではバラバラだったアメリカの通貨はドルに統一され第一合衆国銀行が唯一の発券銀行となりました。こうすることで国際金融資本家の大規模収奪ができます。ですが、しかし、米英戦争の戦費の出費に耐えることができずにこの銀行は潰れます。その代わりに1817年に第二合衆国銀行が設立されます。

 

その際に7代目の大統領ことアンドリュー・ジャクソン大統領は第二合衆国銀行を利用した金融資本家たちの通貨発行益の横取りにすぐに気づきました。そこで、2期目の大統領選でこんなことを言います。

銀行はいらない。大統領はジャクソンというキャッチフレーズで勝利をおさめます。

 

これはDSにとってはブチ切れ案件です。そこで、1835年1月30日にこのジャクソン大統領を暗殺しようとしました。なんと国会議事堂のすぐ横でジャクソンに対して2回引き金が引かれました。しかし、いずれも不発に終わります。結局1836年にジャクソン大統領は第二合衆国銀行を解体します。それからしばらくの間アメリカは中央銀行を持たずそれぞれの銀行や鉄道会社が勝手にドル紙幣を発行する時代になります。もちろん、発行元が多いため利益を回収するのが大変だったようです。

暗殺されたアメリカ大統領の事例

このように、DSにとって不都合な人たちは追いやられます。では、暗殺されたアメリカ大統領って誰がいるのと思いますよね?その話もしますね!

1.リンカーン大統領

1861年南北戦争が起きます。この戦争では銀行や両替商が北軍・南軍の双方に資金を貸し付けをしたり武器商人が両軍に武器を売ったらしたことで大儲けしました。日本で言うと戊辰戦争と同じようなものです。それで、この状況をアメリカの第16代大統領のアブラハム・リンカーンは事を察したのか次のように表現しています。

私には2つの強大な敵がいる。前方の南軍と後方の金融組織である。後ろのほうが、手強い敵だ。

また、戦費が底をついたリンカーン大統領はあることをします。それは1862年に法貨条例を制定し、デマンド・ノート と呼ばれる政府紙幣を発行します。この政策で財政を一気に立て直した北軍は大攻勢に転じます。さらに、1865年にはリンカーンはこの政府紙幣を合衆国の永続的な通貨発行システムとする意向を発表しました。これはDSにとっては不都合です。通貨発行益はすべてアメリカ政府のもとに入ってしまいますから。そこで、1か月後の1865 年4月14日にリンカーンはフォード劇場で観劇中に銃撃され1865年4月15日に逝去しました。

2.ガーフィールド大統領

これで政府紙幣の発行は停止されアメリカは銀行家及び両替商が牛耳るよつになっていきました。もちろん、彼らを批判するものは問答無用で排除されます。その事例となる人が1881年1月に就任した第20代大統領ジェームズ・ガーフィールドです。彼は就任直後このようなことを言いました。

誰であろうと貨幣の量を制御する者は全ての産業と商業の絶対的な主となる。そして最上部にいる一握りの有力者達がシステム全体を何らかの方法で極めて容易にコントロールしているのを知るや、インフレと不況の時期が何に由来するのか、自ずと明白になる

このように、銀行家や両替商達を公然と非難しました。また、この発言だけで実際には何の政策も行っていない段階でDSは動きました。なんと1881年7月2日にガーフィールド大統領はワシントンD・Cで銃撃を受け暗殺されました。半年余りしか大統領をやれてないそうです。

中央銀行の試み

ただ、これでは怠いので20世紀に入りアメリカに再び中央銀行を設立する試みが活発化してきました。

 

1910年以降民主党はポール・ウォーバーグという人物を矢面に立て連日マスコミで中央銀行の必要性を報道させます。ポール・ウォーバーグという人物は、クーンロープ商会の経営者です。まあ、ロックフェラーの代理人ともいうべき人物です。それで、彼は1893年や1907年に起きた金融恐慌は金融制度が不安定なために生じたものだ。だから、金融制度を安定化させるために通貨発行を一元化する中央銀行が必要であると主張しました。利権のためだろって言いたくなりますが。

ただ、アメリカ全土に中央銀行設立の是非をめぐる論争を引き起こしました。その際に共和党議員と当時のアメリカを代表する3人の大富豪が、中央銀行設立反対だと言い張りました。。その3人とは、鉱山経営で財を成した、ベンジャミン・グッゲンハイム、メイシーズ百貨店のオーナーで政治家でもあった、イザドール・ストラウス、発明家で、資産5兆円を誇る当時のアメリカ最大の大富豪、ジョン・ジェイコブ・アスター4世です。通貨発行益ことや金融経済システム独占の野望を知り尽くしていました。もちろんDSはこの3人に対して攻撃します。ですが、びくともしません。そこで、あることをします。

タイタニック号の闇

ここでやっと結びつくのがタイタニック号です。タイタニック号は当時の世界最大の豪華客船で処女航海中の1912年4月14日深夜に氷山と衝突し沈没したとされています。この時犠牲となった乗員乗客1513名の中に、ベンジャミン・グッゲンハイム、イザドール・ストラウス、ジョン・ジェイコブ・アスター4世の3人が含まれていたのです。こんな都合のいい偶然がありますかね?また、それだけではないです。その後タイタニック号は1985年に3650mの深海で発見されます。その際に遺品を持っていく人たちがいたそうです。この動きに対しアメリカやイギリスはタイタニック号をユネスコの海の文化遺産に指定しタイタニック号の引き上げや遺品の持ち出しを事実上禁止にしました。なんでそんなことをしたのか?おそらくタイタニック号の船体には魚雷が命中したり仕掛けておいた爆弾が爆発して空いた穴が残っていたりしたかなと思われます。これはバレたらやばいですからね。

要するに、タイタニック号は撃沈されていて氷山なんて嘘だったということもあります。実際に氷山を見たという乗客はいないですからね。ただ、ワンチャン生き残ったわずかな乗員を買収すれば氷山に衝突したという話をでっちあげることは簡単ではあります。なんかたった3人を殺すために残りの1500人を犠牲にする行為なんてあるのと思いますがDEたちにとっては常套手段です。

 

タイタニック号の裏話

実はタイタニック号事件である裏話があります実は1912年の新聞に「タイタニックは全員生還」と書かれていたそうです!こちらを見れば分かります!

これはワンチャン本当は暗殺されておらず見せしめとしての暗殺劇を新聞で広げることによって不換紙幣反対派を黙らせたなんてことはあってもおかしくないです。これが本当ならば生きていてよかったですね!

まとめ

まさかの仕組まれていたとは思ってもなかったです。しかも目的が3人の人を陥れるためだという。しかも1500人な人を犠牲にしてもいいなんて流石のDSですね。どんなことがあっても追いやろうとする精神。あの根性だけはある意味尊敬したくなります。持ってはいけないものですがそこまでの精神力がある人なんてそういないですよ?まあ、とにかく隠し事のあった事件とは思ってもなかったです。以上です!最後まで読んでいただきありがとうございました。

りかちゅう