秀吉の妹かつ家康の継室!朝日姫とはどんな人?

どうも、りかちゅうです!家康の正室は築山殿です。キツい性格だと言われていた築山殿です。ですが、築山殿は武田家と内通していたかもしれないって疑いがかけられて追いやられてしまいました。家康も情がないから追いやることが出来たのかもしれませんけど。ただ、そんな家康も長年正室がいないというわけでは無かったんです。小牧、長久手の戦いのシーズンの時に秀吉の妹こと朝日姫を継室として迎えました。理由は戦いの交渉のためです。完全に政略結婚です。これで戦が終わりって感じではありました。このように、朝日姫はある意味キーパーソンです。ですが、その朝日姫ってあまり目立たないんですよね。ですので、この記事にて話したいと思います!

朝日姫のプロフィール

朝日姫のことを知らない人は多いかと思われます。ですので、まずは朝日姫のプロフィールから見ていきましょう!

名前 朝日姫

生年月日 1543年

没年 1590年2月18日

備考

家康の継室です。他の人と結婚したものの秀吉の考えから離縁させられ家康と結婚しました。

朝日姫の人生

以上が朝日姫のプロフィールです。では彼女はどんな人生を歩んだのか?

1.生い立ち

朝日姫は1543年に仲(後の大政所)の次女として誕生しました。お父さんは誰なのと思いますね?お父さんは織田家の足軽・木下弥右衛門か織田信秀の同朋衆・竹阿弥のとちらかだそうです。もし木下弥右衛門であれば朝日姫は秀吉の本当の妹です。また、竹阿弥であれば朝日姫は秀吉の異父妹です。とちらにしろ肩書きは妹です。朝日姫の幼少期のことは残念ながら残っていません。ですが、家康の継室になる前に朝日姫は既に結婚していて夫がいました。相手は尾張国の農民の佐治日向守か信長の家臣の副田吉成といわれています。

2.離縁と家康と結婚

信長がいなくなってから小牧・長久手の戦いが起きました。その際に秀吉は家康を家臣に加えたいと思っていました。

そこで、秀吉は朝日姫を家康に嫁がせ家康の継室にしようと考えました。え?じゃあ旦那さんとはどうすること思いますよね? 1586年に秀吉の命令で朝日姫は夫と離縁します。その際に秀吉は朝日姫の夫に500石の捨扶持という名の多少の生活費を渡しました。メンツを潰された佐治日向守は自害したか剃髪して隠居したといわれています。また、副田吉成はその捨扶持を受け取らず出身地である烏森に隠居したそうです。

3.最期

1586年514日に朝日姫は家康と再婚しました。朝日姫は駿府城に住んだため駿河御前と呼ばれるようになりました。また、1588年に朝日姫は体調を崩したお母さんに会いに京都に行きました。その後
すぐに聚楽第に移り住みます。そして、1590年)1月に47歳で病死しました。

朝日姫と家康の夫婦仲

和睦のための結婚ではあったものの朝日姫と家康の夫婦仲はどんな感じだったのか?

家康は朝日姫と再婚したことにより家康は秀吉の妹婿になりました。ですが、家康は秀吉に従おうとしませんでした。そのため、

自分の行動が秀吉の怒りに触れると思った家康はたとえ自分が秀吉に殺されても朝日姫を豊臣秀吉のもとに帰すようにと家臣に指示したそうです。朝日姫を復讐に利用してはいけないと思ったんでしょうね。また、朝日姫が亡くなると家康は東福寺に葬りました。さらに、秀吉が亡くなってからも家康はまた朝日姫の供養をしています。このようなことを踏まえても、朝日姫と家康の夫婦仲は悪くないのかなと思われます。

家康との子供がいなかった理由

朝日姫は家康との子供はいませんでした。第二の側室なのになんでと思うかもしれませんよね?ですので、その理由も話ますね。

1.結婚当時、朝日姫は44歳だったから

二人が結婚した時、朝日姫は44歳で家康は45歳でした。もちろん。朝日姫と結婚した後も家康は側室との間に次々と子供を授かりました。ですが、44歳の朝日姫が妊娠や出産することは困難だったのかと思われます。確かに今の時代なら40代で妊娠、出産する女性もいます。ですが、その当時は医学が進歩していないため40代で出産する女性は稀だったそうです。

2.精神を患っていたから

朝日姫は元は農民の子供です。一方で家康は生まれながらの武将の人です。となると朝日姫は徳川家にすんなりと馴染めることはできないと思われます。また、朝日姫は家康の継室であるものの人質でもありました。となると、たとえ朝日姫が悪くなくても家康が気に入らなければいつ殺されてもおかしくありません。そのため朝日姫は家康と結婚してすぐ精神を患ってしまいました。

3.秀吉が養子に迎える可能性もあったから

朝日姫と家康が結婚したとき秀吉には子供がいませんでした。そんな秀吉は姉や家臣から養子を迎えていました。となるとも朝日姫と家康の間に子供が生まれたら秀吉が養子に迎えたがったかもしれません。そのため、子供を作らなかったと思われます。

まとめ

私的には家康は朝日姫のことはそれほど思ってないとは思っています。嫌いではないですよ?ですが、他に推していた人はいたという意味で。側室の阿茶局なんてそうですからね。あの方は仕事ができるから家康が推していたんでしょうけどね?あともし朝日姫のことを寵愛してたら前々から大河ドラマなどで話題にしていたはずです。それなのにされないということはそこまでエピソードがないのかなと。そう考えると義理での結婚ではあったのかなとは思います。以上です!最後まで読んでいただきありがとうございました。

りかちゅう