家康の功績!信長の富士遊覧とはなにか?

どうも、りかちゅうです!家康は今川の人質を卒業してから信長と共にいました。上司と部下って関係なんですけどね。というか、家康は今川の人質の時から信長の味方でした。だって家康は信長の人質だった時代もあったんですから。その時に兄弟のような関係ができてたとか。まあ、その話はここまでにします。本題がありますので。本題は富士遊覧です。信長は天下を知らしめるために富士遊覧をしました。その時に家康は接待に成功しました。これによってより深い信頼関係ができたはずです。まあ、元から厚い関係ですが。では一体どのようなものだったのか?この記事にて話したいと思います!

信長が富士遊覧をした目的

信長はただ富士遊覧をしたわけではないです。ちゃんとした目的があります。それは東国平定を天下に知らしめるためです。きっと信長は征夷大将軍となって幕府を開く将来を思い描いていたんです。その際に家康の領地を通ることになりました。だから、家康は接待したんです。

家康の成功ポイント

こんな感じで富士遊覧は成功しました。では家康はなぜこの遊覧の接待が成功したのか?

1.長谷川秀一の力を借りた。

信長には長谷川秀一という小姓がいました。この方は美男子です。そのため、ただの小姓ではなく信長の男色相手でもあったそうです。戦国時代なんてBLパラダイスです。そういう本ありますから。あとジャニーさんを思い出した人もいるでしょうねwwwww。まあ、戦国の場合無理やりばかりとは限りませんが。まあ、そんなことはさておき、長谷川秀一は信長の好き嫌いを知り尽くした家臣でした。そこで、家康は接待の時に長谷川秀一に相談しました。さづがの家康ですね。誰に聞くのがいいかを分かっていること。

2.信長の好みを知っていたから

たしかに長谷川秀一から色々聞いていたから成功をすることができました。ですが、それだけではないです。実は家康は今川で人質生活を送る前に織田家で人質生活を送っていました。その時、の2人の関係はまるで兄弟のような感じでした。9歳差なので信長は可愛がっていたのかなと。家康もそのような待遇に感謝をしていたでしょうね。じゃないと桶狭間が終わってから信長の元にいきませんから。このように元々仲が良かったから信長の好みを想像することができていたのかなと思われます。

3.信長のビジョンが分かっていたから

家康は信長の将来のビジョンを知っていました。知っていたという領域ではないです。そのビジョンを実行するメンバーのうちの1人でした。それくらい信長は家康のことが好きでした。となると、信長のニーズなんて知っているのは当然です。それ故に成功したのかなと思われます。

まとめ

家康にとっては今後に生かされた功績ななかなと思われます。だって接待って生ぬるいものではありません。もしやらかしたら信長の顔に泥を塗ることになりますからね?これは家康からしたら戦に値するような出来事でした。それを成功できたのは今までの関係性があったからなのかなと。そうじゃないと誰に聞けば情報が得られるのかなんて分かりませんからね。また、信長も家康のことを信頼していたから接待を任せたのかなと思われます。要するに、お互いの信頼関係があったから成功したのかなと思います。以上です。最後まで読んでいただきありがとうございました。

りかちゅう