三菱の創設者!岩崎弥太郎ってどんな人?

どうも、りかちゅうです!三菱という名前は誰しもが聞いたことはあるかと思われます。そりゃ、大手企業だからこそ知らない人はいないって感じですよね。で、何でこんな話したんだっけ?忘れるなよ。創設者のことを今回話したいんでしょ?ごめんなさい。そうでした。実は岩崎弥太郎のことで暴露したいネタがあったんです。まあ、簡単に言えば、岩崎弥太郎は三菱財閥を立ち上げたすごい人ではあります。ですが、裏では色々な黒歴史があったのが現実です。ですので、この記事にてあれこれ話していきたいと思います!

岩崎弥太郎のプロフィール

まずは安定ですが岩崎弥太郎とはどんな人についてか知るためにも簡単なプロフィールを作りました!

 

名前 岩崎弥太郎

生年月日 1835年1月9日

出身地 

土佐国安芸郡←現在の高知県安芸市です

没年 1885年2月7日(享年51歳)

性格 

貧乏な家庭環境ではあるもののハングリー精神はすごい人です。

岩崎弥太郎の人生

プロフィールとしてはこんな感じですね。個人的には太ってる感じがするなぁと思いましたwwwww。まあ、そんなことはさておき、岩崎弥太郎はどんな人生を歩んだのか?

1.貧乏育ち

最終的には三菱財閥の創設者となり、ステータスは得ることになった岩崎弥太郎ですが生い立ちは反対に貧乏でした。地位としては土佐藩の地下浪人の子供として生まれました。地下浪人とは土佐藩特有の身分で武士としては最低ランクです。そのため、岩崎弥太郎は幼い頃貧乏生活でした。龍馬伝では日々ボロボロの服を着て出歩いていた記憶があります。おそらく、この家庭環境だったからこそ、権力を得たいという欲は強かったと思われます。

2.江戸に行く

そんな家庭環境だったものの、20歳の時、奥宮慥斎という人のお供として、江戸へ遊学するチャンスを得ることができました。家は貧しかったものの、実は学問をする環境には恵まれていました。江戸へ出た岩崎弥太郎は見山塾という私塾に入って非常に熱心に勉強したそうです。ただ、一年余りを過ぎた頃お父さんがやらかして帰国しないといけなくなりました。

3.投獄生活

お父さんのやらかしって何となりますよね。実は岩崎弥太郎のお父さんが酒の席で庄屋とケンカをし、ボコボコにされ投獄されてしまいました。その際に岩崎弥太郎にも知らせが来ました。その際にお父さんの冤罪を訴えました。ですが、上手くいかず捕まってしまいました。ただ、獄中でも同房だった商人から算術や商法などを教えてもらい勉強していたそうです。ストイックですね。

4.土佐藩士になる

獄中生活が終わった後岩崎弥太郎ご縁があって吉田東洋という人の私塾・少林塾で学びます。その際に目をかけられ土佐藩の役人となりました。その後開成館長崎商会という土佐藩の商組織の主任にもなりました。その際に弥太郎は、トーマス・グラバーなどの外国人商人との取引などを経験をします。また、坂本龍馬率いる海援隊の経理を担当していたそうです。この話は後ほど詳しく話すので覚えておいてください。

5.三菱を創業

土佐藩士たちは時代の変化を読み、明治新政府が藩の事業を禁止する前に私的な商社を作りました。また、今までの藩の事業を引き継がせようと考えました。その際に岩崎弥太郎は九十九商会(つくもしょうかい)という海運会社を設立し監督する立場となりました。ただ、1871年に廃藩置県が行われると、岩崎弥太郎もそれまで就いていた藩での地位を失いました。そこで、九十九商会の経営を引き受けることにしました。その後三川商会に改称。さらに「三菱商会」と名前をかえました。

 

6.海運業界でも活躍

三菱商会のトップとなった岩崎弥太郎は海運業界での地位を確立しました。特に西南戦争下では政府側の軍事輸送を引き受け、三菱の財政基盤を強くすることができました。

もちろん、その時の利益のおかげで三菱は他の事業に投資を行い、一大産業資本を形成していきました。ただ、それを面白く思わない人もいました。そんな中、岩崎弥太郎は胃がんによっていなくなりました。酒好きだった影響で長生きはしなかったそうです。

岩崎弥太郎の黒歴史

先ほどの話はあくまで表向きの話です。ここからが本題です。岩崎弥太郎には黒歴史があります。複数ありますので順番に話しますね。

1.闇組織が作った財閥

三菱財閥を作ったのは岩崎弥太郎であるのは間違いないです。ただ、バックにトーマス・グラバーという方がいました。その方は闇組織の1人です。闇組織の名前は分かる人には分かります。それで、岩崎弥太郎はグラバーと親密な関係でした。きっかけは坂本龍馬の手引きです。どういうことかというと、岩崎弥太郎は土佐商会で武器や船の輸入を担当していてグラバーと仲良くなった感じです。まあ、そんな感じの出会いから岩崎弥太郎は1885年にグラバーを相談役として就任させました。

それがどうしたんだよって?だから、三菱がデカい財閥となったのはグラバーがいたからってことでもありかつ三菱は闇組織の財閥でもあるってことです。また、岩崎弥太郎は闇組織からしたら捨て駒みたいな感じではあるとは思いますよ?これは坂本龍馬も同じです。

2.ロスチャイルド思考の人

ロスチャイルドの闇組織の界隈です。ロスチャイルド思考とは戦争が起きるように国家を動かしその戦争で利益を得るという思考です。戊辰戦争もそんなもんでした。簡単に言えば、幕府軍と新政府軍の両方に武器を売りつけたりお金を貸したりして儲けた感じです。もちろん、新政府軍を勝たせるように仕向けました。それで、岩崎弥太郎はその思考を持ってることから三菱は戦争が起きた時局会社の立場になって双方に武器と食糧を売りつけ儲けた感じです。きっと西南戦争の時もその思考はあったんでしょうね?だから、周りが悲惨になってようとどうでもいいんです。岩崎弥太郎が儲かればいいんです。そして、その指南役はグラバーです。

3.売春に加担していた!

どういうことだよって?説明しますね。実は三菱会社と共同運輸会社の合併で1885年に日本郵船が設立されました。その際の大株主が三菱財閥と天皇家でした。別にそれの何が問題だよって?ここからが本題です。実は日本郵船って売春してた会社なんですよじゃあ、天皇家って真っ黒だよねって?もちろん、今も昔も真っ黒です。

背景としてはマセソン商会という海外の会社が日本を弱体化するためにアヘンを売ろうとしたんです。でも、日本では売れなかったから売春ビジネスをしようということになりました。それに絡んでいたのが諭吉と天皇です。その話は順調に進み売春ビジネスをしました。え?女性を海外に売り飛ばすってことだよねって?もちろんそうですよ。その際に岩崎弥太郎は日本郵船の船で女性達を海外に運びました。ひどい話ですね。

まとめ

初めて岩崎弥太郎の存在を知ったのは昔の大河ドラマこと龍馬伝の頃です。となると、私が中2の頃ですかね?その時の印象は貧乏人なのによく這い上がったなとは思いました。まあ、今でもあのハングリー精神はすごいなとは思いますけどね?元からのボンボンじゃ無理な話です。ですが、最近になって調べてみたらまさかの闇組織との絡みがあったり、売春に加担したりしてるだなんて思ってもなかったです。まあ、岩崎弥太郎だけでなく他の人達も黒歴史はあるとは思いますけどね?ただ、岩崎弥太郎はその1人でもあるということだけは分かってくれると嬉しいです。以上です!最後まで読んでいただきありがとうございました。

りかちゅう