時政追放!牧氏の変とは何か?

どうも、りかちゅうです!畠山重忠の乱は非常に理不尽ですよね。だってどう考えても畠山家は悪くないんですから。というか、たかが口論でここまで発展するって相当だと思います。きっと平賀が何か仕組んだに違いないです。だからこそ、畠山重忠の乱に関してはよく思っていない人もいました。それもあってその乱を実行した人たちはご制裁されました。ただ、すぐに制裁されたわけではないです。とある変が起きたから制裁されました。その乱の名は「牧氏の変」です。あの変でご制裁されるのは当然です。特に平賀はそうですね。ですので、この記事にて話したいと思います!

牧氏の変とは何か?

とりあえず、まずは牧氏の変とはどういう変だったのかについてから話したいと思います!「牧氏の変」とは、鎌倉幕府初代執権である北条時政の後妻ことりくさんが3代将軍の実朝を殺害し新たな将軍を立てようとしたものの失敗した事件です。後ほど詳しく話しますが時政とりくさんは畠山重忠の乱以降は表に出られない状況でした。そこで、なんとしてでもということでりくさんの娘婿こと平賀朝雅を将軍にさせようとしました。ただ、その夢も儚く終わりましたけどね。

牧氏の変が起こる経緯

まあ、概要としてはこんな感じです。では、どうしてこの変が起きてしまったのか?

1.畠山重忠の乱

畠山重忠の乱のきっかけは畠山重忠の息子の重保が京都守護の平賀朝雅邸で催された酒宴で平賀朝雅と口論となったことです。この口論の影響でりくさんがブチ切れ畠山を潰せとまで言いました。時政も複雑な気持ちもありました。義時や時房など周りの人もなんでだと。ですが、時政はりくさんに甘かったため決行してしまいました。結果としては畠山家は滅亡しました。ただ、畠山家は悪くないということからこの乱を機に時政の評価は落ちてしまいました。まあ、権力を持ちすぎたことで元から嫌だと思っていた人はいたかもしれませんけど…。

2.時政の立場を悪くする

重忠の無実を義時は発信していました。まあ、義時からしたら重忠はいなくなって欲しくないって気持ちはありましたからね。もちろん、その発言の方が評価は高くなりました。そりゃ、畠山家を追いやることをよく思っていない人がいるんですからそうなりますね。しかも、それと同時に政子の存在も大きくなりました。これは時政からしたらやりづらいです。りくさんも黙って見ていられるわけないです。それ故に義時と政子vs時政とりくさんみたいな関係性になっていきました。

牧氏の変の流れ

この流れを見ても立場としては時政は悪くなっていますね。そこで、悪あがきをします。そのせいで牧氏の変が起きました。では、どういう流れだったのか?

1.実朝を殺害する?

1205年7月、りくさんは自分の娘婿である平賀朝雅を新将軍にしようとします。この計画はもちろん時政とりくさんによるものと言われています。ただ、時政はこの計画に100%賛成でもなかったそうです。まあ、何がどうであれ強硬な策に対して政子と義時はそのままにするわけにはいきません。政子からしたらお怒りでしょうね。実朝は自分の子供なんですから。そこで、結城朝光や三浦義村などの御家人らに協力してもらって時政邸から実朝を連れ出し義時邸にて保護しました。これで実朝の命は救われました。

2.ご制裁

この結果に対して時政は兵を集めます。ですが、色々あったことから味方する人はそういないです。なんと、自分の勇士たちも実朝の警護にあたったそうです。もう時政からしたら孤立状態ですね。そこで、その日のうちに出家して翌日には伊豆国の北条郷へ隠退しました。りくさんも共にいたそうです。また、時政の失脚してからは執権職は義時が継ぐこととなりました。義時がトップになるのはこの時ですね。鎌倉殿の見どころは10月中旬からということでもありますね。

ただ、これで終わりではないです。三善康信や安達景盛らが義時邸に集まりました。理由は京都にいる平賀朝雅の制裁です。彼を討ち取る相談をしました。その結果、平賀に兵が差し向けられました。平賀はしばらくは防戦をしました。ですな、防ぎきれずに松坂辺りへ逃亡しました。ですが、逃げきれずそこで射止められたとされます。これで、牧氏の変はおしまいです。

その後の二人

時政とりくさんは伊豆国に追放されました。時政はその後二度と政界に返り咲くことはないです。いなくなるまでは伊豆にいました。ちなみに時政は1215年に腫物のためにいなくなりました。一方で、りくさんは時政がいなくなってからは平賀朝雅に嫁いだ娘が公家と再婚たため娘をたよって娘夫婦を頼って京都へ移住したそうです。なんと、そこではそこで裕福な余生を過ごしたと言われています。りくさんからしたら元の生活に戻れたと言っても過言ではないですね。

りくさんの性格

鎌倉殿に出てくるりくさんは歴史的資料では牧の方と呼ばれています。ドラマでは時政が権力を持つことを嬉しいと思うだけでなくひたすら煽る役柄でもありますね。現実もそうなのかと思いますよね?女性のキャラなんてなんとでもなりますし。なんと、現実でもそうだったそうです。色々調べると勝気で傲慢な人とまで言われていますし。また、吾妻鏡でも傲慢な姿とかは描かれていたそうです。このようなことを踏まえても、鎌倉殿のりくさんは史実通りではあるのかなと思います。元は京育ちだからこそきらびやかでいたい欲はあったのかもしれませんね。

まとめ

りくさんってなかなか難しい人だなと思いました。なんというのかお偉いさんのトップに向いているようで向いていない感じがしちゃうので。出世心を増すのは上手いと思うんですよね。どう見ても。きっとりくさんがいないと時政は上り詰められなかったはずです。ですが、暴走しちゃう癖があるのが難点です。時政パパのようにりくさんを喜ばせたいという気持ちが強すぎると事故るような気しかしません。実際に牧氏の変で事故りましたからね。きっとお嬢様だから暴走しちゃうのかもしれません。このようなことを踏まえても、男側がコントロールしないとりくさんとは上手くやれないのかなと思います。以上です!最後まで読んでいただきありがとうございました。

りかちゅう