清少納言の作品!枕草子とは何か?

どうも、りかちゅうです!平安時代といえば誰もが名前を聞くであろう有名な2つの文学作品がありますね。1つ目は「光る君へ」の主人公こと紫式部が書いた「源氏物語」です。あれ原文だと主語が少ない文章なため激ムズなんですよね。2つ目は紫式部のライバルこと清少納言の書いた「枕草子」です。内容は随筆でその当時の宮中のお話が書かれています。日本三大随筆の一つでもありますね。いきなり話してきたねって?実はどっちかのことを話そうと思いまして。どっちなのって?「枕草子」です。理由は「光る君へ」の流れの影響です。見てる人は察せるはずです。そんな前置きはここまでにして今から色々話しますね。

清少納言とは何者?

清少納言という名前は受験勉強をしていたら聞くかと思われます。枕草子の人だろって?そうです。ただ、本当はそれだけの人ではないです。ですので、まずは清少納言とは何者なのかを話しますね。

何者

清少納言は本名ではないです。清原家の小納言だから清少納言みたいな言われ方をしているだけです。ちなみに本名は清原諾子という名前だったと言われていますが確実ではないです。また、この方の職業は作家ではないです。元は一条天皇の最愛の人こと定子さまの元で女房として仕事をしていました。ただ、清少納言は定子さまはお兄さんたちのやらかしのせいで出家をしてから表舞台から引退をし枕草子の執筆に励んだそうです(996年から1001年の間に書いた説があります)。要するに、元は宮中の人間ってことです。まあ、彼女のことを話すと長くなるので詳細はこちらを見てください!

文才は親の影響

清少納言が枕草子で成功したのは親の影響もあるのかなと思われます。まず清少納言のお父さんこと父と清原元輔は有名な歌人で天皇の命を受けて「万葉集」の解読や「後撰和歌集」の編纂などをおこなっていたそうです。さらに、ひいおじいちゃんは「古今和歌集」の代表的歌人こと清原深養父です。これは申し分ない環境ですね。

枕草子の内容

以上が清少納言の概要です。家の人間の文才がすごいですね。となれば、清少納言の書き方もなかなかかと思われます。では一体どのような内容だったのか?

内容

「枕草子」は、平安時代中期に中宮定子に仕えていた清少納言によって書かれた随筆です。自然について、宮中の出来事についてなど、さまざまな事柄に対して独自の鋭い視点で書き綴っているそうです。また、文章は平仮名を中心とした和文で、短編が多いことが特徴的です。このように、自身の体験を踏まえて書いている作品であるため「清少納言記」、「清少納言抄」などと呼ばれることもあります。

ちなみに、枕草子は約300の章段に分けられました。その章段は、類聚段、日記段
、随想段大きく以下の3つに分類されます。1つ目の類聚段とは「山とは」などそこに掲げられた1つのテーマについて書かれた章段です。2つ目の日記段には清少納言が日常生活で感じたことや定子さまとの思い出などが書かれています。3つ目の随想段はどちらにも当てはまらず自然や人間関係についてつづられたものです。清少納言はこうした事柄について繊細かつ鋭い見解を枕草子に書き留めました。

書いたきっかけ

要するに、枕草子は宮中の内容が書かれた随筆文です。こりゃ史料として使えますよね。そのようなものを書いたのはただ体験談を書いたわけではないです。定子さまのためです。清少納言は定子さまに仕えていました。その定子さまは一条天皇の正妻でした。一条天皇は定子さまのことが大好きでした。ですが、一天皇にはもう一人正妻がいました。それが紫式部の仕えていた彰子です。彰子道長の娘でした。そのため、政治的な争いから定子さまは周りからさまざまな嫌がらせを受けていたようです。これを見た清少納言は定子さまのために清少納言が書いたのが枕草子です。

史料としても使われる「枕草子」

それもそうですね。宮中のことを書いているならば史料として使われますね。特に定子さまのことや道隆ファミリーのことは色々書かれているのかと思われます。それもあって、清少納言が関わってきた人たちのことをネットで調べると枕草子が参考史料として使われていますね。そりゃ、清少納言は直接関わっているからこそ使われますよ縁。このように、枕草子はだたの文学作品ではなく歴史的なことでも使われるものでもあります。

有名な内容

その中でも有名なものって何と思いますよね?その話を今からしますね。

1.類聚的章段の場合

「心ときめきするもの」、「すさまじきもの」、「山は」、「歌の題は」が有名ではあります。「すさまじきもの」に関しては私は古文の授業でやったことがあります。ただ、どんな内容だったかの記憶はございません。ちなみにこの章段は清少納言の主観的な解説があるそうです。

2.随想的章段の場合

清少納言が自然や人間社会の出来事)を観察して思ったことを自由に書く章段です。その中でも有名な「春はあけぼの」ですね。学校で暗記させられた人とかいるのかなと思われます。あの有名な章段なんですが春夏秋冬それぞれに風情を感じる瞬間について独特な感性で鋭く表現したものではあります。それぞれの季節はどの時間帯が1番趣があるのかを書いていますね。

その他にも、別れ際における恋人のあるべき姿を描いた「暁に帰らむ人は」の段や他人の噂話や陰口を言う人への痛快で新しい意見を述べた「人の上言ふを腹立つ人こそ」の段などがあります。噂話や陰口のことは定子さまに仕えていたから書いたものでしょうね。

3.日記的章段の場合

清少納言が仕えた定子さまの後宮での出来事を、回想風に記録した章段です。一条天皇と定子さまを初めて間近に仰ぎ見た時のときめきや初宮仕えの不安を書き留めた「宮に初めて参りたるころ」の段などは定子さまとの穏やかな日々や宮中の儀式や貴族達との交流が記されているそうです。この章段は藤原定子賛美がメインだそうです。ただ、それだけではないからこそ歴史的な史料として使われるのかもしれませんね。

※これら3つの内容とも軽妙な筆致で書かれた簡潔な文章です。また、各章段の長さも短いため現代の人的には比較的読みやすい内容だそうです。激ムズな源氏物語とは逆ですね。

内容としては定子側のひいきにはなりかねないと思う

清少納言は定子の元で仕事をしていました。となると、定子の家の人のことは好きでいたと思います。それもあって、定子のお兄さんこと伊周のことをイケメン過ぎるなんて褒めていたのかなと。1番のイケメン扱いしてましたからね?それもあって、伊周は周りからはマイナスな評価を受けててもプラスなネタは入っています。伊周は見かけなどはいいですからね…。このように、定子周りの人たちなことは好きだからそちら側のひいきありきな点はあると思います。

これは鎌倉時代の史料こと吾妻鏡と同じようなものですね。あれって北条の人間が書いた作品なので北条ひいきになるような内容が多めです。

道長が「枕草子」を潰さなかった理由

ここは大きいですよね。清少納言は定子さま側の人間です。となると、平安時代全盛期で権力を得た道長からしたらライバルです。平安時代のことが分からない人からしたらよく分からないですよね?簡単に言うと定子さまのお兄さんこと伊周と隆家は道長と権力争いしていたんです。となれば、道長は清少納言の作品に何かするかもしれないですのね?それが何もありませんでした。そこに関しては謎ではあります。

まとめ

なんか書きがいがありましたね。理由って理由はないですが。私的には春はあけぼのくらいしか分かってなかったんですよ。それくらい平安時代は疎いんです。ですが、定子さまに仕えていたという話を知ってからは現場にいたからこそかける何かはあるのかなと思いました。それだから、歴史の参考史料となりますからね。要するに、思ったよりもすごいものってことをより把握しました。以上です!最後まで読んでいただきありがとうございました。