みんなの尼将軍!北条政子とはどんな人?

どうも、りかちゅうです!女性が仏門に入ったら尼と呼ばれる立場になります。女性の出家と思えばいいです。もちろん、女性だって髪を剃ります。そして、尼となったら政治に関わることなんてほぼないです。いや、基本的にありなのと思われる可能性の方が高いです。ですが、例外がいました。その女性とは北条政子です。頼朝がいなくなってからは尼となったのに尼将軍と言われるくらいに政治には携わっていました。そして、承久の乱では御家人の士気を上げさせる演説をしたことによって上皇を負かすことができました。このように、女性でありながらも政治的な活躍のある女性の1人でした。ですので、この記事にて色々話したいと思います!

北条政子のプロフィール

まずは政子のプロフィールから見ていきたいと思います!

名前 北条政子

生年月日 1157年

出身地 伊豆

没年 1225年7月11日(享年69歳)

備考

頼朝の正室です。苗字が北条のままなのはその当時は別姓でも許されていたからです。また、頼朝の死後は尼になったものの、尼将軍として政治に携わっていました。

なんで尼将軍だったの?

いい質問ですね。それには理由があります。実は3代将軍に就いた実朝が暗殺されてしまいました。そして、実朝暗殺事件の犯人こと公暁も殺されます。実朝には息子がいなかったためこれでは後継がいない状況です。そこで、政子は必死に探します。結果としては有力者である藤原家から2歳の子供を迎え入れることにしました。2歳で政治ができるわけないですよね?そこで、政子が実権を握りますそれ故に「尼将軍」と呼ばれるようになりました。義時と政子が実験を握ったと思えばいいです。

政子の人生

以上は政子のプロフィールです。頼朝の妻であり尼将軍でもあった政子はどういった人生を歩んでいったのか?

1.頼朝の妻となる

政子は伊豆に生まれました。北条とは伊豆の豪族です。政子が生まれた時はまだ平家の家来でした。それ故に北条は流罪となった頼朝の監視係でした。それなのに、政子は頼朝に恋してしまいます。初めは反対されました。ですが、政子は反対を押し切って頼朝の妻となりました。そこから北条は源氏側になりました。まず頼朝は1180年に平氏打倒のために挙兵します。その際に政子は頼朝と共に鎌倉入りをしました。そして、政子は御台所というポジションで鎌倉幕府の基盤造りに貢献しました。この頃から政治に携わっていたんですね。女性でその実績があるのは優秀です。また、2代将軍頼家と3代将軍実朝、大姫を出産しました。

2.尼御台になる

娘の大姫が20歳でいなくなりました。それを機に政子は頼家が2代目将軍になってから出家し尼になりました。将軍頼家の後見役として執政に関与します。それ故に尼御と呼ばれるようになりました。尼御台になってからは色々ありました。まずは比企との対立と頼家を幽閉です。比企を追いやるだけでなく息子を幽閉するって相当のことです。そしてそれで終わりかと思いきや時政の追放や実朝の暗殺など身内での争いは絶え間なかったです。なんか尼御台になってからの方が波乱万丈だなと思ってしまいます。ここに関しては話が長くなってしまうので各自で調べてください。

 

3.尼将軍と承久の乱

実朝がいなくなってからは尼御台として活躍しました。そんな時あるピンチが起きます。それは後鳥羽上皇が義時を追討せよという宣旨を全国に出しました。宣旨の威力はすごいです。なんと対象とされた人は一度も勝ったことないんです。それ故に大騒動です。ですが、政子はピンチだったからこそ演説しました。どんな演説かを載せたいとは思っていましたが長くなるのでまた各自で調べてください。簡単に言えばかつては平家の番犬だったけど頼朝のおかげで武士として地位が高められたということを言いました。頼朝の正室だったから響くことが言えたんでしょうね。その演説にみんなが感動しみんなで後鳥羽上皇を倒しました。

4.最後の争い

義時がいなくなり後継ぎ問題が勃発しました。義時の嫡男は泰時です。ですので、そのまま泰時が後継ぎになるのが普通です。ですが、義時の最後の妻こと伊賀の方が自分の息子こと北条政村の擁立を画策します。これでは北条の力が弱まります。そこで、平六の力を借りて伊賀の方を伊豆に追放させ泰時を3代目執権とさせました。そして、泰時が就任した直後にいなくなりました。

政子の面白いエピソード

政子の人生はこんな感じです。波乱万丈でしたね。いや、権力者の妻は波乱万丈であるのが当然です。また、それもあって政子には面白いエピソードがあります。ですので、その話もしたいと思います!

1.波乱万丈な恋

政子と頼朝の恋は禁断の恋でした。それはそうです。北条は頼朝の監視係なんですから。それなのに政子は頼朝に恋した気持ちを殺すことはできませんでした。それもあってお父さんの時政に頼朝との関係がバレてしまいます。もちろん、時政は反対し。政子を政子を強引に頼朝から引き離し、縁談を進めていた山木兼隆の元へ送ります。政子はそんなことで諦めませんでした。なんと、夜中に旅路からこっそり脱走し頼朝のところへ戻りました。どうやら山の夜道を1人で歩いたそうです。破天荒ですね。そんな政子も好きですが。これを見た時政は2人の交際を認めたそうです。

2.亀の前事件

みんな大好き亀の前事件です。事件の内容としては頼朝が妊娠中に亀の前に浮気をし、その事実に政子がブチ切れるという事件です。え?あの時は一夫多妻制だから頼朝が他の女性と関係を持っても良くないって?それはそうです。高貴な家柄の人ならそんなのあるあるです。ですが、政子は嫉妬に狂ってしまい亀の前に嫌がらせを始めます。内容としては亀の前の家を壊しました。亀の前は一目散に逃げたそうです。頼朝はもちろんこの事実に激怒しました。この話は長くなるのでこちらを見てください!

頼朝の浮気相手?亀の前と政子と大事件

 

悪人とは言われているけど

政子は悪人だという声もあります。実はこれは江戸時代以降の評価だそうです。儒学が広まってきた時期だと思えばいいです。儒学がどう関係しているのかに関してはよく分からないんですけどね。女性が前に出る所や亀の前の仕打ちが良くないとは言われています。ただ、少なくとも言えるのが自分の子供が全員失っているという悲しみは大きい人であるのは事実です。しかも自分よりも早く命を落としていますからね。鎌倉殿でもメンタルがやられているシーンがありますが無理もないです。このようなことを踏まえるとだたの悪人とはいいにくいなと思ってしまいます。むしろ、悲劇の女性と言っても過言ではありません。

※政子役が小池栄子だから余計にそう思うのかもしれません。

まとめ

女性の中ではなかなかのしごできだなと思います。記事を書きながら家康が寵愛した阿茶の局の存在を思い出すくらいにしごできだと思っています。阿茶の局も女性なのに政治に関わっていましたからね。詳しいことは「真田丸」を見てください。このようなことを踏まえると頼朝って見る目があったなと思いました。確かに、政子からアタックしたのは事実です。ですが、頼朝がそれに乗っかったのは政子がしごできだと見抜いていたからなのかなとは思っています。頼朝の見る目はすごいですがこれは政子の実力です。ですので、私は政子のことは評価しています。以上です。最後まで読んでいただきありがとうございました。

りかちゅう