優秀で笑いが絶えない男!藤原道隆とはどんな人?

どうも、りかちゅうです!道長には2人の兄がいます。それくらい光る君へを見ていたら分かることでしょう。道長は昔は道兼にディスられていましたよね。ですが、今回話すのは道兼ではないです。彼に関しては既に書いていますからね。そうです。残りの道隆です。道隆に関してはそんな荒れている性格ではありませんでした。むしろ、冗談をよく言って周りを和ませるようなことをことをしていたそうです。ですが、糖尿病のせいで早くいなくなってしまいました。それもあって、マイナーではあります。ただ、話しがいはあったのでこの記事にて話したいと思います!

藤原道隆のプロフィール

道隆ってどんな人かわからない方は多いかと思われます。出世はしたものの、早くいなくなってしまったため史料が少ないんですよね。ですので、まずはプロフィールから見ていきましょう!

名前 藤原道隆

生年月日 953年

没年 995年5月12日(享年43歳)

備考

平安時代中期の貴族です。道長の兄でもあり兼家の長男でもあります。そのため、天皇の外祖父として政界を牛耳っていた兼家のよって、異例の出世を遂げることとなりました。

藤原道隆の人生

以上が道隆のプロフィールです。では彼はどのような人生を歩んだのか?

1.生い立ち

藤原道隆は953年に藤原兼家と時姫の嫡男として生まれました。兼家はライバルである兼通と勢力争いを続けていたため自分の跡継ぎとなる息子の誕生は好機だったそうです。また、道隆は非常に上品で、顔立ちも整っていたことから兼家は可愛がったとも言われています。

それもあって、986年に兼家が一条天皇を天皇にし外祖父として権勢を振るい始めたことを機に兼家は道隆を権中納言を10日ほどしてないのに道隆を権大納言にさせました。お父さんのおかげで出世する道隆ですね。ですが、兼家は病気をしてため関白職を道隆に譲り出家することになりました。それから道隆は最終的に氏長者になりました。これは相当の権力です。異例の昇進と思えばいいです。

2.定子を一条天皇の正妻にする

関白職に就いた道隆は、娘の定子を一条天皇の正室のようなポジションにつけました。ちなみに定子の清少納言です。ちにみに道隆の家系は「中関白家」と呼ばれていてその家系はもちろん栄華を極めました。ですが、中関白家の全盛期は、長続きしなかったのです。

3.糖尿病でいなくなる

中関白家の最盛期を築き上げた道隆だったものの悲劇が起きます。なんと995年に深酒による糖尿病を患ったそうです。これは死期も近いです。そこで、道隆は関白の座を嫡男の伊周に譲ろうとしましたが伊周は道長との権力争いに負けて実現しませんでした。そして、まもなく道隆は43年の生涯に幕を閉じることとなったのです。ちなみに、辞世の句は見当たらないそうです。その後、弟の道兼が関白に任命されるもすぐに病死してします。からの道長は権力者となります。

仲のいい夫婦だった?

道隆は夫婦仲は良かったです!それは和歌に物語られてます。ですので、その話もしますね!

1.道隆の奥さん、幸せすぎて死んじゃうと言う

藤原道隆の正妻は高階貴子という女性です。彼女は当時から詩歌や漢文に長けていたことが貴族の日記にも書かれています。そのため、後世でも彼女の和歌は「百人一首」や平安初期~鎌倉初期の女性歌人を網羅した鎌倉時代に成立した歌集こと「女房三十六歌仙」に選ばれています。

ただ、いくら才女とはいえ貴子の実家の高階家は本来なら藤原摂関家の嫡男の妻となるには格下だったそうです。ですが、そこを押し通して結婚したということは2人の愛情が深いことが伺えますね。それで、貴子は新婚時代にこのような和歌を詠みました。

忘れじの 行末まではければ 今日を限りの命ともがな

あなたへの愛しさを忘れないよとあなたは言う。だけど、この先ずっとなんてきっと難しいでしょう。あなたがそう言ってくれてとても幸せな今日、このまま命が尽きてしまえばいいのに!

百人一首に採用された和歌です。「このまま命が尽きてしまえばいいのに!」と言ってしまうなんて相当好きなんですね。

2.妾のいることへの嫉妬

いくら仲がいいとは言えども、道隆は上流貴族です。となれば、正妻の他にも妾がいるのも当たり前です。そのため、貴子はある秋の日に夜明けまで長く感じたという内容をある和歌を詠みました。

ひとりぬる 人や知るらむ秋の夜を 長しと誰か君につげつる

一人で寝たこともないモテモテのあなたが秋の夜の長さなんて知っているの?誰が「秋の夜は長い」なんてあなたに教えたのかしら?

この和歌は「後拾遺和歌集」に収録されています。貴子が嫉妬してるのが分かりますね。そして、その和歌に対する道隆からの手紙が来ると貴子はこのような和歌を書きました。

夢とのみ 思ひなりにし世の中を なに今さらに おどろかすらむ

あなたの事はもう夢の中の出来事だったと思っていた。でも、なんで今更「夢じゃないよ、まだ愛してるよ」なんて言うのよ!目が覚めるぐらいに驚いたじゃない!

こちらは「拾遺和歌集」に収められた和歌です。なんだかんだで仲が良い2人ですね。実際に二人の間には3男4女、7人もの子宝に恵まれました。

笑いが絶えない人材

道隆は糖尿病で若くしてなくなってしまぅたあめ父の兼家や道長と比べると史料は少なくなるかもしれません。ただ、清少納言が書いた枕草子には道隆は一日中冗談ばかり言っていたから彼の周りでは笑い声が絶えなかったと書いてあったそうです。このような性格ならば好かれること間違いないですね。一緒にいたら楽しいですし。また、本人も愛する人や子供たちもいて幸せなものだったのではないのかなと思われます。

まとめ

道兼とは違いますね。なんか書いてていい人だなと思ってしまいました。それもあってなのか道長とは対立はなかったそうですね。ですが、病気のせいでたくさん活躍できなかったのは残念には思います。自分の嫡男まで追いやられてしまいましたからね。ただ、マイナーでも出世はしていたのは事実ではあると思います。以上です!最後まで読んでいただきありがとうございました。

りかちゅう