義経に愛された愛妾!静御前とはどんな人?

どうも、りかちゅうです!義経には愛人がいました。正室からしたら不快な話かもしれませんが昔の時代は男性は複数の女性と関係を持っていてもおかしくないです。まあ、義経の女事情なんて頼朝の女癖よりかはマシだと割り切ればなんとでもなりますよwwwwwww  wwwwww。てか、お前はなんでこんな話をしているのかって?実は義経の愛人は悲劇のヒロインなんです。その名は静御前といいます。この方は義経と愛人関係はあったものの、殺されることはなかったんです。ですが、愛する人も息子も失う羽目になりました。それ故に悲劇のヒロインとも言われています。では、静御前とはどんな人なのか?この記事にて話したいと思います!

静御前のプロフィール

静御前についてのデータはあまりないですが最低限のプロフィール内容を載せますね。

名前 静御前

出身地 不明

生年月日 1165年

没年 不明

備考

義経の正室ではないです。愛妾と言って今でいう愛人というポジションです。ですが、義経にとって最愛の人だったそうです。この事実は正室にとっては複雑な心境ではありますけどね…。

静御前の人生

以上が静御前のプロフィールです。では、静御前はどのような人生を歩んでいたのか?

1.静御前は白拍子

静御前は平安時代後期から鎌倉時代初期に生きた女性です。1165年に生まれたと言われています。静御前とはどんな人かというと白拍子です。白拍子とは男装姿で舞う人のことです。頭に烏帽子をかぶって水干という装束を着るだけでなく、太刀を腰につけるそうです。写真のような感じだと思えばいいです。ちなみに白拍子舞をはじめたと言われる女性こと磯禅師は静御前の母親です。

2.義経の愛妾となる

義経と出会った経緯は具体的な時期は不明です。一応義経が平家打倒の際に京に昇った時に出会ったとは言われているそうです。ただ、静御前は義経に非常に愛されました。また、静御前はとても頭のいい人だったそうです。その証拠として義経が京都で頼朝の刺客に襲われたときに難を逃れたのも静御前の機転によるものだったとされます。

3.義経と離れ離れになる

1185年に頼朝と義経はバトル関係になります。もちろん、義経側が不利です。それ故に義経は京を離れます。その際にもちろん義経の側には静御前がいました。ですが、1186年に大和国(今でいう奈良県)吉野山の山中で、静御前は義経と別れます。義経に身の安全を配慮されたためとは言われています。それで、静御前は京に戻ることになりました。だからって、静御前はにげきれまけんでした。なんと、従者に裏切られて持ち物を奪われ吉野にいる山僧に捕まってしまいました。そして、京にいた北条時政によって妊娠していた静御前と母・磯禅師は鎌倉に送られました。

4.鶴岡八幡宮で舞をする

捕らえられたものの、すぐに殺されはしなかったです。なんと、頼朝は鎌倉に来た静御前に舞わせようとします。静御前はそれを断り続けます。ですが、1186年4月8日に
八幡大菩薩に献舞するということで説得され、鶴岡八幡宮の若宮の回廊で舞を披露することとなります。あまりに舞がうまかったことから参列した者のほとんどが心を動かされたそうです。そして、舞の時にこんなことを歌ったそうです。

 

吉野山 峰の白雪 ふみわけて 入りにし人の 跡ぞ恋しき(吉野山の白雪を踏み分けて山深くお入りになってしまった義経様が恋しい )

しづやしづ しづのをだまき くり返し 昔を今に なすよしもがな(静、静と繰り返し私の名を呼んだあの人の輝かしかった頃にもう一度戻りたい)

もちろん、頼朝はこの詠の内容に怒りましたよ?ですが、政子が「自分も同じ立場なら同じようなことをする」と言ったことで命を助けられました。

5.赤ちゃんが殺される

静御前は義経の子を妊娠していました。そして、1186年7月29日に出産します。頼朝は生まれた子供が女の子なら救う。でも、男の子なら将来の子孫を残さないために殺すと言ったそうです。残念なことに生まれてきたのは男の子でした。静御前は大泣きして離さない態度を取っていました。ですが、お母さんの磯禅師に取り上げられ頼朝の家来の手に渡った赤ちゃんは鎌倉の由比ヶ浜に沈められました。

6.その後の静御前

生まれてきた子供がいなくなったから1カ月半ほど後に静御前はお母さんとともに京へ帰されます。その際に政子が静御前を憐れみたくさんの宝物を持たせたといいます。ただ、その後の静御前がどうなったのかの記録は何も残っていません。義経を追って東北に向かったものの、その途中に息絶えた説もあるそうです。

静御前とドラえもん

いきなりドラえもん?何があったと思う方もいるかもしれません。実はドラえもんに登場するしずかちゃんは静御前から名付けられたそうです。しずかちゃんの名字は「源」です。となると、藤子不二雄Fは時を越えて義経の正室となったみたいな意図はあってもおかしくないですね。まあ、こればかりは本人のみぞ知るですけどね。ただ、少なくとも言えるのがしずかちゃんがまさかの静御前になるという話があります。一部の画像ですがこんな感じです。

詳しいことは「ドラドラ源平合戦~しずかちゃん御前を救え!~」と検索したらわかります!まさかこんな繋がりがあるなんて思ってもなかったです。また、フィクションとは言えども藤子不二雄Fが静御前の夢を叶えてくれたことはなんか嬉しいと思います。

義経の正室は誰?

静御前はあくまで愛人です。では、正室は誰なのか?それは河越重頼の娘の郷御前です。また、郷御前のお母さんは頼朝の乳母こと比企尼の次女です。ちなみに二人は政略結婚です。静御前との出会いとはまた違いますね。

その後の結婚生活は割愛しますが義経と頼朝がバトル関係になった時は郷御前は義経と共に同行し奥州藤原氏の元で一緒に暮らしました。正室で比企家との関係もあるからいざという時に使えるため同行させたんでしょうね?そして、義経が頼朝との戦いに勝ち目がなく持仏堂で自害した時に義経と共に郷御前と4歳の娘と共に自害しました。郷御前の享年は22歳です。これは静御前と同様に悲劇のヒロインですね。

まとめ

私的には捕らえられてから殺されるなんてことがなくて良かったと思っています。そっちの方が悲劇そのものですからね。そういう意味では救われたと思います。あと政子のフォローはありがたかったですね。同じ女として言えたことなのかなと思います。ですが、義経と苦い形で別れてしまったことや生まれてきた子供が男の子だったから失ってしまったことに関しては悲劇でしかないです。少なくとも子供に関しては助けてやれよと思います…。このようなことを踏まえてもどんなに命は救われたとしても悲劇は悲劇だと思います。以上です!最後まで読んでいただきありがとうございました。

りかちゅう