鎌倉の女武士!巴御前とはどんな人?

どうも、りかちゅうです!鎌倉殿にはベストカップルがたくさんいますね。私が好きなのは実衣ちゃんと全成です。恋愛したカップルだから好きです。あの、タイトルと話の内容違うよって?本題はここからです。確かに一番好きなベストカップルは実衣ちゃんと全成です。ですが、巴御前と義盛のカップルも好きです。個人的には義仲といる時の巴御前は勇ましかったですが義盛といる時は見かけも中身も可愛くなったなと思います。いい人に出会えて良かったですね。。また、巴御前は義盛のボケを拾ってくれるから微笑ましいと思っています。このように、鎌倉殿では巴御前の存在は何気なく目立っています。ですので、この記事にて話したいと思います!

巴御前のプロフィール

女性なのでデータは少ないです。なぜなら、後ほど話しますが実在するかどうかも明確ではないからです。ですが、鎌倉殿では目立っている人の中の1人なので巴御前のプロフィールを書きますね!

名前 巴御前

生年月日 不明

没年 不明

※義盛がいなくなってからも91歳まで生きていたという話もあります。

備考

鎌倉の女武士です。容姿はは美しいけど心は武者同然と言われていたそうです。義仲といた時の巴御前はそんな感じでしたね。

巴御前は実在したの?

鎌倉殿では巴御前の存在がいるということになっていますね。義盛がいなくなるまで登場してくれているのがなんか嬉しいです。ただ、肝心なのは史実では存在していたのかということなのかなと思います。結論としては微妙だそうです。とりあえず、平家物語には登場します。平家物語では義仲が滅びる時に登場しました。詳細としては義仲に落ち延びよと何度も言われるから最後のご奉公として敵方の武士の首を切り東国に落ち延びると書かれているそうです。そして、それ以降のことは書かれていません。

ですが、「源平盛衰記」には東国に落ち延びた巴御前は義盛の妻となったと書かれています。とは言えども、矛盾点はあります。どういうことかと言いいますと義仲が敗死したのは1184年なのに巴御前と義盛の子こと義秀が生まれたのは1176年と時期が合わないことです。また、巴御前が女武者だったという話も創作とも言われていることから実在しているかに関しては微妙なラインだそうです。でも、なんで巴御前は登場するのか?それは実際の義仲軍のなかにも、勇猛な女武者がいたのではないかという推測があるからだそうです。女性の存在って本当に曖昧な形で終わりますよね。

義仲といた時の巴御前

今となっては義盛の奥さんというイメージが強いかもしれません。あのカップルお似合いですしね。私は好きですよ。ただ、最初は義仲と一緒にいました。ですので、義仲といた時のことを話しますね!

1.義仲との関係性

義仲と隣にいるのは巴御前とは言われています。ですが、妻ではありません。ポジションとして愛妾や便女と言われています。愛妾は愛人というのは分かりますね。頼朝で言うならば亀の前みたいな人です。ただ、巴御前の場合は愛妾かつ便女でありました(平家物語では便女とみなされています)。便女とは美女や武士の周りを世話する女性です。巴御前は女武士だったからそのようにみなせられていたのかもしれません。ちなみに、女なのに男性並みに強かったことから平家物語ではこのように書かれています。

「強弓精兵、一人当千の兵者」として活躍したという。 「色白く髪長く容顔まことに優れたり」

顔も美しくて強いって何者なんだと思ってしまいます。このように、巴御前は義仲の愛人というポジションだけでなく共に戦ってきた女性であることが分かります。

2.首を捩じ切る?

残酷な項目を作らなよって?実はこれ巴御前の伝説です。義仲がもう勝ち目のない時の出来事です。壊滅的な打撃を受けた義仲には味方は僅か五騎のみという状態です。その中に巴御前はいました。もちろん、巴御前は義仲に着いていくと決心します。ですが、義仲には「最期まで女連れであったと言われたくない」という考えがあったので離れ離れになって生き延びよと巴御前に言いました。

だからこそ、最後の最後に奉公しようと決心しました。なんと、敵将の恩田八郎を乗る馬の前輪に押し付けて少しも身動きをさせず首をねじ切ったそうです。なかなか強いことをしますね。そのようなエピソードから巴御前は武芸に長けているからこそ義仲には愛されていたんだろうという話が上がっていきます。

義盛といた時の巴御前

義仲とは悲しい別れ方をしたものの、義盛が巴御前を助けてくれました。そのおかげで長く生きることができました。ですので、義盛との話もしますね。

義盛が巴御前を救う

正直なことを言うと義盛と巴の関係は逸話から来ています。元ネタは「源平盛衰記」です。信濃へ逃亡した巴御前は頼朝から鎌倉に出頭するように指示されました。もちろん、巴御前は向かいます。その際に頼朝は巴御前を処刑しようとしました。対抗されると思ったんでしょうね。これを聞いた義盛は巴御前の身柄を預かりたいと訴えました。もちろん、頼朝はすぐに許しませんよ?自分を討つかもしれないという恐怖もありますし。ですが、義盛は諦めませんでした。義盛は自分達一族が忠節を尽くしたのだから巴御前を預かっても問題が生じないと訴えました。その姿勢に頼朝は折れ、義盛の申し出を許可しました。そして、義盛と巴御前は結ばれ、2人の間に誕生しました(先ほども述べたように時系列がめちゃくちゃなので嘘という説もありますが)。その名前は朝比奈義秀です。3男だったそうです。その後はきっと鎌倉殿に描いているような生活だったのかなと思われます。

ですが、1213年5月に和田合戦で和田一族は滅亡し義盛とは死別しました。平和な時が壊されましたね。ただ、それ以降は巴御前は越中に逃亡し出家し91歳まで生きていたと言われています。

まとめ

2人も死別するなんて波瀾万丈にも程があります。その後新しい人ができたかは分からないですが少なくとも大切な人を失う苦しさは人一倍味わってきたと思います。他の女性でもそういう人はいると思います。ただ、巴御前の場合は2回とも女武士として戦ったからこそまた違う苦しみはあると思います。だからこそ、それ以降の巴ことは分からないですが平和に生きていたと信じたいです。以上です!最後まで読んでいただきありがとうございました。

りかちゅう