鎌倉初期の源氏僧侶!阿野全成とはどんな人?

どうも、りかちゅうです!頼朝には沢山の兄弟がいたことがご存知かと思われます。もちろん、頼朝がお兄さんポジションですけどね。ただ、大半の兄弟が頼朝がいなくなる前に死んでいきました。理由は謀反、バトル、戦死など色々あります。なんか、自分が年上なのに自分よりも早くいなくなるなんて切ないものですよね。それが鎌倉初期というものです。みんなが思うよりも残酷な時代です。ただ、その中でも頼朝の死後も生きた兄弟がいます。その名は阿野全成という僧侶です。実衣ちゃんの旦那さんですね。私は何気なく好きですよ。あのキャラ。ですので、今から全成について話したいと思います!

阿野全成のプロフィール

まあ、安定の流れではありますがまずは全成のプロフィールから見たいと思います!

名前 阿野全成

源を名乗っていないのは理由があります。

生年月日 1153年

出身地 京都

没年 1203年8月1日(享年51歳)

平安時代末期、鎌倉時代初期の僧侶です。京都・醍醐寺の悪禅師と呼ばれていたそうです。源平合戦で頼朝の助けとなりその後は御家人として駿河国(今で言う静岡県)阿野荘を治めたそうです。

阿野全成の人生

以上が全成のプロフィールです。では、彼はどのような人生を歩んだのか?

1.全成生まれる!

1153年に阿野全成は源氏の棟梁こと源義朝の七男として生まれました。幼名は今若丸です。ちなみにお母さんは絶世の美女といわれた側室の常盤御前でした。義経も常盤御前の子です。ただ、全成が7歳のころ、義朝は平治の乱で平家と対立したことで敗死しました。その際に全成は京都の醍醐寺へ出家することとなりました。だから、源を名乗っていないんです。

2.型にハマらない僧侶

僧となったことを契機に全成へと改名しました。その際に約20年間を醍醐寺という寺で過ごしていました。20年間はファンキーに生きていたそうです。それもあって、「醍醐の悪禅師」と呼ばれていたそうです。別に彼は悪党ではないです。平安時代は悪とはついてても悪党ではないこともあります。ただ、荒くれ者だったとされていた全成は豪快な立ち居振る舞いがあったのかもしれません。見かけによらずファンキーですね。それ故に悪禅師と呼ばれるようになったのかと思われます。大河ドラマではそういう描写がないので新鮮です。

3.早く頼朝に駆けつける

20年間は僧侶の生活をしていましたがある転機がありました。それは1180年に以仁王が平家討伐のために令旨を出しました。それ故に頼朝は挙兵をすることになりました。全成はこのことを知った時に修行を装って関東へ急ぎます。その際に全成は佐々木定綱らとともに平家側の武将・渋谷国重によって匿われることになりました。え?平家側なのに大丈夫なのって?実は渋谷は平治の乱では源氏の武将として従軍した人物で孫たちが旧恩を大事にしたいから源氏に従うことを止める筋合いはないという考えがありました。このような助けもあったことで全成は、下総国鷺沼(今で言う千葉県習志野市)にて頼朝と再会しました。

頼朝は兄弟で誰よりも早く駆け付けた全成武蔵国の長尾寺(今で言う川崎市妙楽寺)、駿河国阿野荘を領地として与えました。ちなみに阿野という苗字は、このときに賜った領地にちなんで付けられたものです。ただ、頼朝が亡くなったあとに波乱が待ち受けていたのです。

4.源頼家との対立

1199年に源頼朝がいなくなるとその嫡男源頼家が二代将軍に就任することとなりました。ただ、源頼家は頼家は当時18歳と若かったため13人の合議制が敷かれることになりました。もちろん、源頼家はお飾り将軍で13人が色々決めてました。その際に有力御家人が北条家と比企家が権力を争って対立しました。理由は後継です。比企は源頼家とつながりの深い一族でした。そこで北条は源頼家の弟こと実朝を擁立する形で対抗しようとします。この争いに全成も巻き込まれることとなるのです。理由は全成の妻です。全成の妻こと阿波局は政子の妹です。その縁から実朝の乳母となり、全成はその養育係を務めていました。それ故に全成は北条と手を結び実朝を将軍にするべく動いていくのです。

ただ、そのせいで1203年に源頼家から謀反人とされ全成が捕縛されてしまいます。その後全成は常陸国(今の茨城県)へ流され八田知家によって誅殺されることになりました。享年51歳です。その際に源頼家は阿波局も引き渡すように命じたそうです。ですが、政子が味方についたことで何とかなりました。

全成がいなくなってから源氏は途絶えた?

全成が亡くなってから源頼家は北条によって暗殺され実朝が三代将軍に就任しました。自分の息子を陥れる政子もなかなかですね。でふが、1219年には、この実朝も公暁によって暗殺されました。その際に公暁をそそのかしたのは義時だという説もあります。このような状況を踏まえても北条は最初から実朝に実権を握らせるつもりはなかったんでしょうね。むしろ、幕府を乗っ取る気しかなかったと思います。

そして、実朝がいなくなったことを知って動いたのが、全成の嫡男こと時元です。北条を討つべく挙兵しました。しかし返り討ちにあってしまい、源氏はわずか三代で潰れました。

まとめ

歴史上ではマイナーな人物です。武功って武功もそこまでないですしね。私も鎌倉殿を見ていなかったら知らない人物でした。ですが、鎌倉殿に出てくる全成はなんかハマります。理由はないんですがあのキャラは好きです。鎌倉殿には必要な人物だと思っています。また、実衣ちゃんとの夫婦仲は微笑ましかったです。それもあって、全成のロスは悲しいです。ただ、史実なのでこのロスは受け入れるしかないと思っています。以上です!最後まで読んでいただきありがとうございました。

りかちゅう