なぜ常識を疑うことが大切なのか?

どうも、りかちゅうです!世の中にはいろんな常識があるかと思われます。なんか私自身、色々ありすぎるから具体例を出したくても出せないこの頃です。ただ、そこに関して思うことがあります。常識に従うのもいいけど一旦疑ってみなよと思うことがあります。なぜなら、常識というものは時には都合よく作られていることがあるからです。また、その常識は時には間違っているのにもかかわらずまかり通っていることがあるからです。ですので、ここら辺の話を今から詳しく話したいと思います!

常識とは何か?

というか、常識がとか言われてますがどういう定義か考えたことありますか?おそらく、考えてないで言ってる人もいるかといると思います。ですので、常識とは何かや常識の成り立ちなどについて話したいと思います!

定義

今の定義としては、ある社会のある時期において、一般の人々が何も反省することなく当然のことととして認めている意見や判断のことです。また、客観的に見て当たり前と思われる行為です。例えば、逆らうことなく同調して生きるなどがそうですのね。こればかりは日本の常識ではありますが。また、常識とは社会の歴史のなかから自然に形成されるものです。ですので、常識というのもは時代の流れによって変わっていきます。

成り立ち

以上が常識の定義です。なんか、時代によって変わっていくなど漠然としてますね。また、いつから常識なんて用語があるんだよと思いますよね?ですので常識の成り立ちについても話しますね。常識の原義に関しては通常の人間なら誰しもが共通にもっている感覚のことです。ですので、社会のある時期を限定するというかんがえはないため少し定義がズレます。

そして原義に近い考え方で常識に注目している哲学者がいました。それはバークリーという人が論じた主観的観念論やヒュームの懐疑論反対した18世紀イギリスのトマス・リードです。リードは、通常の理解力のある人間ならば、自明なものとして認めるいくつかの根本原理があると考え、諸科学の基礎としてこれらの原理をみいだそうとした。そして、リードを中心としたJ・ビーティ、J・O・オズワルドらの一派は常識学派と呼ばれ、ドイツ、フランスの啓蒙哲学に影響を与えたたそうです。また、19世紀アメリカの哲学者パースという方も常識は誰もが持つ一種の本能のようなものと考える考え方をさいようしているそうです。なんか言っていることは間違ってないですよね。

常識に従う理由

以上が常識の定義です。まさか、哲学から来てるだなんて思ってもなかったです。これを見ても常識の定義って曖昧ですよね?それなのに、なぜ常識に従う人が多いのか?

1.その方が楽だから

社会的なものであっても、人間的な本能なものであっても従っている方が楽ではあります。逆に合わせていないと色々仕打ちがあります。分かりやすい例で言うならば戦中に戦争反対みたいなノリをしたら非国民みたいな扱いになる感じですね。そう考えると合わせられる子ばかり幸せを手にするとはそういうことですね。このように、常識という流れに乗っている方が何かしら咎められなくて済みます。それ故に従えば良いみたいな考えはあるのかもしれませんね。

2.それが当たり前だから

ルールに従うのが当たり前みたいな思考ですね。おそらく、ここら辺のノリはコロナ禍で露呈したかと思われます。マスクだって本当は逆効果なのにもかかわらずルールだからつけろみたいな感じですよね。また、ワクチンだって毒物があるのにもかかわらず、ワクチンだから打つみたいな意味分からない思考回路が生まれています。まあ、こういう思想はコロナ前からあるかと思われます。日常生活で言うならば会社で理不尽なルールがあっても上の言うことを従っていないと良い思いができないとかがまさにそうですよね。

3.浮くのが嫌だから

常識に従わないということは周りから浮くことになります。常識というものが普通みたいな考えになっていますしね。となると、たとえこれはおかしいと思っていたとしても常識に逆らったら非常識な奴みたいな扱いをされてもおかしくないです。それ故に、従わないといけないかみたいな思考になる人はいるのかと思われます。気持ちは分からなくもないですけどね。

常識を疑った方が良い理由

このように、大半の人が常識を疑わない感じではあります。ですが、何度も言っていますが常識は疑った方が良いです。では、なぜ疑った方が良いのか?

1.都合よく作られているから

まさにそうなんですよね。これが顕著に表れているのが歴史です。歴史なんて基本的に権力者の都合の良いように編纂されています。フランス革命なんて本当は権力者が乗っとるためにマリーアントアネットなどを陥れた感じですからね?また、江戸時代だってかなりの脚色されています。もちろん、悪い意味ですが。このように、常識は都合よく作られているものです。なんかなと思う点がありますがこれが現実です。

2.お偉いさんの思う壺になるから

これがまさにそうなんですよね。コロナ関係とかがそうではあります。例えば、ワクチンは人口削減のためにあるものです。それもあって副反応はすごいんですけどね。ですが、大半の人はワクチンを打つことが常識となっているからそんなことを気にせずに打ちます。いや、その話をしたらそんなの違うなんて言う人がほとんどです。また、知りたくもないとなる人もいることでしょう。

それ以外にも労働者が奴隷説なのにもかかわらず、労働者になることが常識となっているのもどうかとは私は思います。

りかちゅうさんは常識疑ってる?

疑っているというよりかは従わないって感じですね。まず、常識なんて人それぞれな点は多いかと思われます。それなのに、常識がなんていちいち言っていたらキリがなくなる気しかしないです。ですので、自分が生きやすいように生きています←。また、先ほども述べたように常識に従っているとお偉いさんの思う壺になることなんてたくさんあります。だって常識なんてお偉いさん都合で作られているものじゃないですか?ここら辺は歴史のリアルを知れば分かります。要するに、闇組織の思う壺なんて私はごめんだと思っています。それ故に常識に従いません!

集団になると馬鹿になる

補足ではありますが、人は集団になると馬鹿になります。なぜなら、何も考えなくてもなんとでもなるのはもちろんのこと、自分の力で何かをする力がなくなるからです。となると、社会の常識に従ってばかりいると思考停止してしまうのは間違いないです。みんながやっているからやるやら、社会的なルールだから従うみたいな発言とかまさにそうですよね。もし、そのルールが間違っていたらどうするのかなど考えていないんでしょうね?

まとめ

常識ってなんなんだろうなと思いますよね。社会によって左右されることもあれば人によって常識の概念は違います。このように、よくよく考えれば常識って難しいんです。ただ、私的には世間のルールやら世の中が正しいと言われていることが本当にいいことなのかということは吟味した方が良いと思います。なぜならば、大衆は間違えるということは常識も間違っていることでもあるからです。このようなことを踏まえると何も疑わないで常識のままに生きるのもどうなのかと思います。以上です!最後まで読んでいただきありがとうございました。

りかちゅう