江戸時代が260年続いた理由:家康の政策

どうも、りかちゅうです!江戸時代はご存知ですよね?いやぁ、常識だろと。てか、そんなこといちいち聞くなって?いや、今回のテーマがなんで江戸時代って260年も続いたがなんですよ。言われてみたらそうだなと思いますよね?てか、なんで260年も江戸時代という名の徳川家が統治していた世の中だったんだろうと。実際に武士が統治していた時代で徳川家が1番長いです。色々グダってましたが。まあ、そんな前置きはさておき、この記事ではなぜ、江戸時代が260年も続いたのかについて話したいと思います!

江戸時代の始まり

おさらいですが江戸時代の始まりから話したいと思います。江戸時代のスタートは家康が関ヶ原の戦いで三成に勝ってからスタートとは思いきや違います。一見関ヶ原で勝ってからスタートなのかなとは思いますよね?家康側が権力を持っているわけですから。実は江戸時代の始まりは1603年です。その時に家康は朝廷から征夷大将軍に任命されました。要は朝廷から将軍として統治する権利があると言われたことから江戸時代がスタートということです。

江戸時代が260年続いた理由

江戸時代のスタートに関しておさらいができたと思うので本題でもあるなぜ江戸時代が長く続いたのかについて話したいと思います!

1.諸大名への厳しい監視

「武家諸法度」の制定、「参勤交代」がまさにそれですね!武家諸法度では全国の武士を厳しく取り締まり、参勤交代などではわざわざ江戸に来させることで諸藩の予算を削らせます。そうすることで諸藩は幕府に立ち向かえることのできる予算は減るので徳川家は安泰な状態で入れるようになります。

2.農民への積極的介入

監視体制については武士だけではありませんでした。農民にも縛りはありました。農民に対しては生かさず殺さずしっかりと年貢を徴収するための制限をおこない米の生産以外に目を向けさせないようにしていました。要は恐怖政治にしておいたことで江戸幕府は長く続いたということです。

3.組織の強化

江戸時代では分断支配をしていました。どういうことかというと組織を細分化してそれぞれに責任者を置き、責任者同士で競争させました。その競争によって組織を活性化させたということですね。それの具体例が大名をまず譜代大名と外様大名に分けたことですね。

簡単にいうなら譜代大名は関ヶ原以前から徳川家と関係のある大名で外様大名は関ヶ原以後に徳川家と関係を持った大名です。家康は関ヶ原以後についた大名を信用してませんでした。それもあり、外様大名は政策の担当はできませんでした。

なぜ滅亡したの?

260年は続いていたものの江戸時代は滅亡した方のは事実です。一体なぜなのか?先ほども述べた様に徹底した管理のあった江戸時代でした。ですが、5代目将軍の徳川綱吉から徳川家はグダグタのオンパレードになりました。まあ、後ほど話しますが3代目以降から色々陰りはありましたけどね。

1.年貢制度の崩壊

まず、年貢を基本としていた体制だったが貨幣制度は存在していたのもあって農業中心から商業中心の世の中に対応できませんでした。それもあって金銭的に余裕がなくなって不満を募る農民が増えて一揆が発生しました。徳川家側も色々頑張っても成功はしませんでした。

2.海外との交わり

そんな最中にペリーが浦賀に登場しました。ペリーは軍事的圧力をもとに1854年に「日米和親条約」を締結。さらに、1856年にその当時の大老・井伊直弼は朝廷の許可なしに「日米修好通商条約」を結びました。

これにより幕府の権力が薄くなります。家康が鎖国をしたのも徳川家の力を弱くしないためでしたからね?まず諸外国との貿易が盛んになると安い海外の製品が入り、幕府の財政は悪化しました。それもあって市民たちもなんとかしろと攘夷運動はするものの、相手は列強の大国なのもありそう簡単にはいきません。それ故に開国して朝廷と協調するべきという薩摩藩の「公武合体派」と干渉する諸外国を排除しようとする長州藩の「尊皇攘夷派」の大きくふたつに分かれ、何度も衝突しました。結果は両方とも諸外国の軍事力に痛感して攘夷は不可能となりみんなが知ってる薩長同盟を行いました。

3.大政奉還

薩長同盟の後徳川慶喜(よしのぶ)は政権を朝廷に返し、朝廷の下で慶喜も加えた諸藩による連立政権をするという名の「大政奉還」を宣言しました。ですが、その後は徳川家抜きで新政府樹立のため「王政復古の大号令」が発せられてしまいました。これが江戸幕府の終了で明治の

これにより長く続いた徳川による江戸幕府は幕を閉じ、明治の世が始まったのです。

 

3代目以降はグダッていた

ぶっちゃけことを言うと3代目以降はグダッていました。言い換えると徳川家康、徳川秀忠時は全盛期で、徳川家光から下降線みたいな感じですね。家光の時はまだ良かったですが4代目以降はグダグダです。名ばかり将軍で代わりに違う人が政務をするなんてことありましたから。あとは跡継ぎが親子関係ではなく親戚関係に移行していたこともありますからね。8代目の徳川吉宗がまさにそれです。

要はなんだかんだグダリながら260年続いていた感じですね。そうなった要因は徳川家光は生まれながらの将軍だからです。徳川家康、徳川秀忠は天下を取るための下積みは沢山あります。ですが、家光は生まれた時から将軍という名の坊ちゃんです。それもあって下積みはありません。その影響で徳川家光以降からグダりスタートなのかと思われます。てか、これは徳川家に限った話ではありません。どの家が治めようとも生まれながらの将軍になった瞬間グダります。

組織の強さが長続きした

色々グダってたのは事実です。ですが、なんだかんだ続いたのは組織の強さかと思われます。それぞれの組織に責任者を置くなり、親藩・譜代・外様と自分と親しい人間は家康の近くにいさせ、親しくない人は遠くに置く。さらに言うなら参勤交代で傘下の家の力を失くすなど。家康が徹底的にあれこれした影響でグダッていても長続きしたのかと思われます。また、家康が賢かったのはもちろんですがサポートする人間も賢かったのもあり他の幕府よりも長続きしたのかと思われます。

まとめ

江戸時代が長く続いた要因を見ると会社の組織にも参考にできる点ってあるのかなと思います。会社とはチームワークです。そんな時に組織が壊れるような感じでしたら会社としては潰れてしまいます。徳川家が長続きしたのも組織力の強さがありますし。まあ、徳川家のように監視しすぎるとワンマン企業みたいになってしまいますけどね。私だったら農民みたいな生活出来やしませんね。

ただ家康が幕府を開いたことによって今の日本があるのは過言ではないです。もし、家康がここまで組織体制を整えてなかったら明治時代に入る前に誰かしらが乗っ取っていて今の日本でなかったかもしれません。これはどの時代にも言えることかもしれませんが家康が天下を取り、ここまでの組織体制があり長続きしたという歴史は影響力が相当大きいです。それ故に徳川家から学べるものは何かあると私は思っています。本音を言うなら家康は最低とは思ってますが。まあ、個人的な感情はさておき、この記事は歴史ネタではありますが、この記事を通して現代に参考になる点がもし見つけられたら嬉しいなと思います!以上です!最後まで読んでいただきありがとうございました。

りかちゅう