実は茶番だった!本能寺の変の真相とは?

どうも、りかちゅうです!本能寺の変とはどのような印象を持ちますか?まずは十兵衛が信長を裏切ったという印象は持つことでしょうね。それが史実として伝えられていますから。あとは信長の遺体が見つからなかたから実は生きている説があれば遺骨が燃えたなどたくさんの説があります。その影響で戦国1の謎事件なんて言われています。戦国時代なんてたくさんの戦争や事件があったのに謎ランキング1位ですよ?まあ、そうなるのも無理ないです。だってあれ茶番劇なんですから。どういうことって?信長の意図のために作られた事件です。ですので、この記事にて話したいと思います!

※この記事は「新日本列島から日本人が消える日」と「縄文を作った男たち」を参考にしました。

本能寺の変が謎な理由

謎な理由はまず信長の骨がないことです。戦国時代だと写真も何もないので死んでるかどうかなんて骨で確認するしかないんです。その骨がないんです。となると、ワンチャン燃えている中隙を狙って逃げたって説はあります。また、討ったのは十兵衛ですが黒幕がいたなんて説もあります。足利義昭、家康、秀吉など。それ以外にも十兵衛を討った秀吉があの速さで中国地方から京都に戻るなんて無茶振りです。このように、色々めちゃくちゃな所があります。それ故に謎に包まれています!詳しいことはこちらを見てください!

なぜ本能寺の変が謎なのか?

本能寺の真相

このように、本能寺の変は謎だらけです。もうどの説取ればいいんだよって感じです。ここまで来るとどれ取ってもしっくり来なくなります。では真相はなんだったのか?本能寺の変は天下を上手く納めるための芝居です。信長は元から縄文時代のように平和になれるような世の中を作ろうとしていました。きっかけは農民の友達が身分の影響で理不尽な形で斬られたことです。それが許せなくて身分などない縄文時代のような暮らしを作ろうとしてました(信長は縄文時代の生活を知っていました)。その際に最後の一歩は他の人に天下を取ってもらいたいと思っていました。その他の人は後で分かります。理由は天下を取るのは自分ではないと思っていたからです。そこで、引っ込むためにあえて自分が殺されたことになる事件(芝居なので生きています)を起こしました。

なんでそんなことををしたのか?

信長がこんな茶番劇をしたのには理由があります。ですので、その理由を話したいと思います!

1.世襲制を嫌っていた

信長は世襲制を嫌っていました。なぜなら、その家の嫡男または息子ならば後を継ぐことができるとなると実力が伴っていない人でも後を継げるからです。肩書きでなんとかなると思えばいいですかね?実際に立ち上げもしていないで生まれてから後継ぎが確定している人はポンコツです。なぜなら、立ち上げるための経験をしていないからです。信長の息子達も信長ほどでないそうです。それを信長は分かっていました。それ故に息子に後を継がせないためにわざと死ぬ(名前だけ殺すだけですが)ような茶番劇を起こしました。

2.庶民の気持ちのわかる人に継がせたかったから

先ほどの理由のように信長は息子には継がせたくないという考えはありました。では誰に継がせるんだよと思いますよね?それは秀吉です。秀吉は農民出身で庶民の気持ちを知っているからです。信長は自分が天下を取ってはいけないと思ってました。なぜなら、信長は縄文時代のような平和で平等な国を作ろうとしていました。そこで、農民出身の秀吉ならば当事者だったからこそ色々わかると思いバトンタッチしました。もちろん、秀吉もその計画を実行するために専念しました。

茶番劇の経緯

このような理由から信長は表世界から引っ込みたいと思っていました。ではどうやって引っ込んだんだよと思いますよね?ですので、その経緯を話しますね!

1.謀反を起こす役を決める

まず信長が死んだってことにするには誰が謀反を起こすのってなりますよね。信長の計画こと平和な国作りのメンバーは秀吉、家康、十兵衛、帰蝶様、ねね(秀吉の正室)です。この誰かでないといけません。信長は十兵衛を推薦しました。もし十兵衛が嫌ならば信長は計画を変えようとしたそうですが十兵衛はその役目を受け入れました。それ故に本能寺の変の首謀者は十兵衛なんです。

2.理由なく十兵衛を嫌うということにする

十兵衛が悪くないというようにすることで十兵衛に同情の目を向けるようにしました。そうすることで信長を討ったのも無理ないって考えを作れるのはもちろんのこと十兵衛を討つに討てないと思える人が発生します。そうすることで秀吉が十兵衛を討つという茶番劇を作りやすくなります。それ故に信長が十兵衛に対して理不尽な当たりをします。家康を接待する時がまさにそうですね。

3.信長が討たれる場所決め

安土城で信長を討つなんて無理があります。そこで、信長は茶会のために本能寺に向かうという設定をしました。また、秀吉は毛利攻めがあったためその時は中国地方に遠征しています。では十兵衛はどうするか?秀吉が毛利攻めに困っているから助けに行くということにしました。ですが、それはせずに十兵衛は本能寺に向かいます。そこで、信長を討ったふりをしました。信長は本能寺が燃えている隙に逃げました。

4.秀吉が十兵衛を討つ

秀吉はこのくだりを知っていたため前々から京都に戻る準備はできていました。それだから、他の家臣よりも一歩早い行動ができました。その際に起きるのが山崎の戦いです。十兵衛が秀吉に討たれる戦いですね。これももちろん茶番劇です。十兵衛はひたすら逃げていただけでした。それで秀吉も十兵衛を討ったふりしました。その後十兵衛は名前を変えて生きることになります。

その後はどうしてたの?

その後信長は長野で帰蝶様とこっそりと暮らしていたそうです。だからって隠居していたわけでもないです。その後自分が引っ込んでからどのような状況なのかを聞いていたそうです。その際に情報を送っていたのは十兵衛です(秀吉や家康も情報を送っていましたが)。十兵衛は秀吉に討たれたふりをして天海という和尚になっていました。理由は和尚というポジションの方が周りを偵察することができるからだそうです。このように、十兵衛の力を借りて今後どうするかなどの助言はしていたそうです。

そんなの信じられるの?

信じる要因としては2つです。1つ目は信長と十兵衛の関係です。信長と十兵衛は仲良く信頼関係がありました。それ故に信長の計画を十兵衛は知っていました。また、信長の正室こと帰蝶様と十兵衛は従兄弟関係です。このように、関係はちゃんとしていました。それなのに、いきなり信長ぎキレて揉めるって設定が不自然なんですよね。それ故に本能寺の変は芝居かなと思えまして。2つ目は江戸時代です。江戸時代は教科書では徳川万歳って感じで書かれています。実は違います。あれは明治を良いようにしたいために編纂したものです。実は識字率も高く、イクメンが多いなど庶民は平和に暮らしていました。詳しいことはまた話せたらいいですが。要するに、信長が描いた時代でした。このように、江戸時代が平和ということは信長の計画が反映されているということを示しているのかなと思われます。

まとめ

私はこのくだりを知って衝撃が走りましたね。色々説があるからなにが正しいのかと思っていましたし。ですが、江戸時代が平和なことを知るとこれはおかしくないのかなと思います。まあ、信じがたいを思う方もいると思うので説として捉えてくれればいいと思います。以上です!最後まで読んでいただきありがとうございました。

りかちゅう