なぜ本能寺の変が謎なのか?

どうも、りかちゅうです!戦国一の謎といえば本能寺の変ですね。まあ、謎とは言えども、少なくとも言えることとしては1582年に本能寺の変が起きたことで信長はこの世を去り、秀吉が光秀を討った後に秀吉に政権が交代されたのだけは分かります(死んだのかすらも読めないんですけどね)。えっ?待てよ。かっこの所に信長は死んだのかすら分からないって書いてるけどどういうことって?実は死んだ証拠がないことが謎の要因でもあります。ということで、この記事ではなぜ本能寺の変が謎と言われているのかについて話したいと思います!

本能寺の変な概要と起きた理由

まずは本能寺の変とはどういうものかなついてから話しますね。本能寺の変とは1582年6月2日に本能寺にいる信長を明智光秀が倒した事件です。皆さんお分かりですが光秀は信長の家臣です。となるとこれは立派な謀反です。

それで、なぜ本能寺の変が起きたか?それが謎なんです。光秀自身が何かしら恨んでいる点があるという説があれば、自分が天下取りたいという野望がある説もあれば、黒幕説があるという説もあればもうついていけません。まあ、いくつかの説に関してはこちらに書いてます!

なんで?本能寺の変が起きた理由

信長と十兵衛の関係

十兵衛って光秀のこと?そうです!光秀の通称は十兵衛です(ここからは十兵衛と呼びますね)。2020年の大河ドラマ「麒麟がくる」でも信長は十兵衛と呼んでいます。ちなみに2人の関係今でいうと信長が社長ならば十兵衛は2番手です。このように密の深い関係の中で2人はお互いのことをどう思っていたのか?

信長の場合

信長は十兵衛のことを信頼していました。それは十兵衛の仕事の出来る姿と性格ですね。まず信長は成果主義の人間ですから仕事ができる人はとことん評価します。十兵衛もその1人です。やはり的を得た知識を持っている人だからこそ信長は気に入ったんでしょうね。また、冷静な性格であるためその冷静さに落ち着いたのかもしれませんね。信長は感情ジェットコースターだからこそ。

十兵衛の場合

十兵衛も十兵衛で信長のことを感謝していました。実は十兵衛、斎藤道三がいなくなってからは浪人生活だったんですよ。一応朝倉義景なら元にはいましたがその時はパッとした人生を歩んでいるわけではありませんでした。それ以降足利義昭にも仕えていましたが足利義昭は武将としては強くはないためどんなに評価されていてもという感じでした。そんな中、信長は十兵衛の実力を認めたことで信長界隈の中でも2番手のポジションへと出世しました。中途入社でここまでなるのはすごいことです。それ故に信長は恩人とみなしていました。

なぜ本能寺の変は謎なのか?

2人の思いを見ても本能寺の変はなんか謎だなと察することができるはずです。両思いなのにってね?恋愛みたいにいうのはキモいって?BL持ち込むなと。ごめんなさい。ただ、それ以外にも本能寺の変が謎だと言える理由があるんです。一体どのような理由があるのか?

1.信頼関係があったから

先ほどの話を見てもお互い信頼はしていましたよね。まあ、最後らへんに関しては喧嘩も絶えなくて十兵衛が限界来ている可能性はありますが。だからって恩人に対してそこまでできるかというとそうでもないですよね。私なら殺すまでには至りません。おそらく、殺したいけど殺せないと日々嘆いているかもしれません。それなのに、あっさりと裏切るということは謎ではあるかと思われます。まあ、これは本人にしか知らない気持ちですね。当時の十兵衛に会いたいものです。

2.遺体がないから

実は遺体が見つからずに終わったのが本能寺の変なんです。というか遺体がないから謎な事件と言われています。やはり、死んだというからには証拠が必要です。その証拠が骨です。それなのにないとなると本当に死んだのかよってなりますよね?まあ、そのおかげで秀吉は信長は生きていると唱えて十兵衛を不利にさせたんですけどね。だからって、秀吉側が調査しても骨は見つかりませんでした。一体信長ってどうなったんですかね?生きているのか死んでいるのか。これはあの時代のみぞ知るです。

3.敵が多いから

本能寺の変は黒幕説とは言われています。要は十兵衛のバックには誰かしらがいたということですね。ただ、その黒幕が誰なのかに値する人がたくさんいるのは事実です。朝廷説、足利義昭説、秀吉説、家康説、他にも色々ありますが。特に足利義昭なんて信長へのヘイトはしぶとくありましたからね。追放後も対抗心ありましたから。あれには笑ってはいけないけど笑ってしまいます。だって追放後信長は足利義昭なんて眼中にないんですから。まあ、その話はさておき、ここまで恨まれているとなると本能寺の変の時に誰がどうなんて探すに探せないのかと思われます。誰が黒幕であってもおかしくない。さすがは戦国時代ですね。

十兵衛が本能寺の変を実行できた理由

これを見ても謎ですよね。私は本能寺の変はもう迷宮あり扱いにしました。にしてもなんで、こんな謎な時間を十兵衛が実行できたんだと思いますよね?実はそれには理由があるんです。どういう理由かというと十兵衛のポジションです。

十兵衛は2番手でありつつも調略というポジションでもありました。調略とは反勢力の弱みや状況をしるために情報をゲットしてトップに報告するという職務です。いわゆるスパイみたいな感じですね。このポジションは信頼していないとできるものではありません。アンチと繋がっているということは裏切る可能性もでますからね。ちなみに、話は逸れますが真田家は武田家の調略ポジションでした。

これを踏まえても十兵衛は相当信頼されていたということが分かります。ただ、十兵衛は反信長とも親しい一面もあります。足利義昭がその例です。それもあってすぐに寝返れる立場であったのかと思われます。調略ポジションの人が突然裏切るということは怖いですね。信頼していたのにまさかみたいな感じでしかありません。これが戦国の世の中です。裏切りなんて上等なんです。

まとめ

私は本能寺の変に関してはもう迷宮入りにしています。こんな無責任なこと言えるのは私は歴史家ではないからかもしれませんが。歴史家なら迷宮入りなんて言ったら失格ですからね?彼らは研究して判明することが目的ですから。ですが、素人からしたらこの事件は追ってもキリがないとは思っています。少なくとも言えることとしては信長敵が多いなとびっくりするくらいで。あとは、十兵衛とは最後らへんは意見が食い違って色々あったのかもくらいで。

ですが、色々調べてもこの事件は残念だとは思います。両思いな関係性なのに色々なすれ違いや黒幕の影響で関係が崩れ事件になってしまったからこそ。実際にもし、2人がすれ違うなんてことがなかったらどんな人生だったのかと思っています。2人とも最期は表の世界からは消えましたからね。本音を言うならば信長は生きて欲しかったです。もし生きていたら日本はいい意味で変わっていたかもしれません。あの性格で長生きできるかはちょっと分かりませんけどwwwww。

ただ、こんなことを今嘆いていたとしてもその時代を変えることなんて絶対にできません。ただの夢物語です。だからこそ、私は迷宮入りの事件ではあるもののその結果論をどう思うかに焦点を当てていきたいと思います。以上です!最後まで読んでいただきありがとうございました。

りかちゅう