なぜ常識を疑わないといけないのか?

どうも、りかちゅうです!世の中には常識というものがあります。それは常識だからとか、非常識な人など何気に常識という言葉を出すことはあります。私的には世の中は常識という軸を基準に色々決められていると言っても過言ではないと思っています。もちろん、その軸は時代によって変化していきます。それで、この事実に対して思うことがあります。それは常識を疑う必要はあるんじゃないのかなということです。時代によって変わるということは誰かしらの都合で変化されている気しかしません。となると、100%正しいとは言えないです。ですので、この記事にて常識を疑う必要がある理由を話しますね。

常識って誰が決めたんだろうね?

常識とは何かをネットで調べるとこのように出てきます。

ある社会のある時期において、一般の人々がとくに反省することなく当然のこととして共通に認めている意見や判断のことであり、その社会の歴史のなかから自然に形成される。

この文面を読んでも間違いないと思うはずです。ただ、よく考えてみてください!共通に認められている意見や判断って誰が決めているんですかね?そう問われると戸惑う人はいるかと思われます。私も戸惑います。会社や学校などのコミュニティならばルールを作った人なんですかね?また、社会的な常識だとその場の流れで決まるんですかね?このように、考えれば考えるほど訳がわからなくなります。また、人の価値観によって常識と思われる内容は違う気がします。

常識を疑わないといけない理由

このように常識って言葉と本気で向き合うと色々違和感を感じることはあるかと思われます。だからこそ、常識を疑わないといけません。では、なぜそうと言えるのか?

1.正しいわけではないから

常識と言われているもの全てが正しいわけないです。たしかに100%おかしいなんてことはないです。ですが、間違っているものが常識となっているものだって沢山あります。コロナ禍の在り方とかが典型的な具体例な気がします。いや、コロナ前から正社員でいることが安定だやら資本主義な社会が1番など私的には間違っているのにまかり通っている常識なんてたくさんあると思っています。なんかもうキリがないくらいあります。それなのに常識だからと片付けられることが多いです。

2.価値観によって違うから

常識なんて価値観によります。例えば日本だと遅刻してはいけないって概念が強いですよね?ですが、他国がそうかと言われるとそうでもないです。時間にルーズな国もあります。他にも中国は食事をあえて残すのが文化です。食事を残すという形でお腹いっぱいであることを表現するそうです。日本ではそういうのを見かける確率って低いはずです。むしろ、残したら怒られることもあります。これは国単位の具体例ですが時代単位で考えても面白いかもしれません。このように、価値観によって常識って違ってきます。それ故に今ある常識が良いことなのかや他のコミュニティではどう捉えるのかななど考えてみるといいと思います。

3.自分に合わないこともあるから

自分に合わないこともあるかと思われます。あくまで具体例ですが働き蟻のように働くことが向いていない人もいます。反対にのびのびとする社会は嫌だという人もいます。このように、結局は人によって世間的な常識に馴染めるかなんてわからないです。だからこそ、その常識は正しいのかと考えることも大切なのかと思われます。もし、違和感を感じていることがある人ほど疑ってみるチャンスはあると思いますよ!

なぜ疑う人が少ないのか?

上記の理由から常識は疑った方がいいこともあるのかなと思われます。ですが、そんなことを言ったとしても常識を疑う人って少ないんじゃないのかと思います。ではなぜなのか?

1.長いものに巻かれているから

まあ、大半の人がそうなんじゃないのかなと思います。長いものに巻かれておけばなんとでもなるみたいになっているのかもしれませんね。また、世間的にまかり通っている常識は正しいんだと思い込んでいる人は強いのかもしれません。そんなことはないんですけどね。常識なんて都合よく作ろうと思えば作れます。世間的なルールがまさにそうじゃないですか?それなのに正しいと思っちゃうことが私的にはおかしいと思います。

2.検証しないから

ビジネス用語を使うならPDCAが回っていないってことですね。本来ならばその常識が正しいのかどうかを検証します。そして、問題があったり違うなと思ったりしたら改善をします。もちろん、検証して正しければそれまでです。このようなことをしないと世の中はどんどん劣化していきます。現状維持は堕落の元と言いますしね。それなのにもかかわらず、検証という検証をしないことはあるあるかと思われます。ワクチン打って感染者が減っていない現象とか当てはまる気がします。

※ビジネスではPDCA を回せる人でも世の中に関しては回せない人もいそうな気がします。

3.他の人や時代の常識に目を向けないから

先ほどは国によって常識が違うことを話したので次は時代による常識の違いついて話しますね。大昔ならば裸で生活するなんてことはあったかと思われます。縄文時代も裸まではいかなくても今のような洋服ではなかったかと思われます。動物の皮で作ってるんですかね?まあ、詳しくは分かりませんが今の時代で動物の皮の服を着たら引かれますよね?でも、反対に縄文時代に今の時代の服装を着ていたらどうしたんだと思われる気しかしないです。このように、時代によって常識って違うんです。そこら辺を考えないで今ある常識が正しいってなっていることがどうかしています。

常識って怖いね

やはり、常識って怖いですね。どんなに間違っているものでも常識だと言えば正しいもののなってしまいます。時には検証とかもしないですからね。また、最悪の場合従わなかったら避難されます。常識と思われているものが正しいと思っている人ほどより攻撃するような気がします。マスク警察、自粛警察とかがまさにそうな気がします。そして、常識なんて作った人の都合よく作っているものです。今の社会の仕組みもそうです。長年人類を支配し続けた奴らが仕組んでいます。このように、常識には都合の良く動いている一面があるからこそ常識って言葉が時には気持ち悪く感じることがあります。

※常識の怖さに関する詳細はこちらに書かれています!

常識が怖いと思える理由とその事例

 

まとめ

常識に従えちゃう人ってある意味柔軟性があるのかなと思います。日々変わりゆく常識に馴染めると言えばいいんですかね?上手く表現できなくてすいません。きっとそういう人ほどこだわりとか少ない気がします。そうじゃないとすぐに馴染めるわけないです。一方で常識を疑う人ほどおかしいと思える常識には馴染まない気がします。ちなみに、私は後者ですね。このようなことを踏まえても、常識に従う人と従わない人って両極端だなと思います。どっちがいいかと言われるとなかなか難しいところですが…。

ただ、少なくとも言えるのがあまりに柔軟すぎて何も疑わないで生きているのは問題なのかなと思います。なぜならば、先ほども述べたように世の中の常識なんて100%正解とは限らないからです。いや、不正解だらけな気がします。だからこそ、柔軟に対応するだけでなくそれで本当にいいのかを考えることも大切だと思います。以上です!最後まで読んでいただきありがとうございました。

りかちゅう