一体何者?三成の性格とは?

どうも、りかちゅうです!みなさん関ヶ原の戦いというのを学校で習う時とある人物の名前を見たことありませんか?徳川家康のこと?まあ、確かに家康も登場しますがその人じゃないです?誰だよって。石田三成(以下三成)です。ああ、家康と戦って負けた人ねと思い浮かぶかと思われます。それでなぜこの話をしているかと言うと三成って教科書ではたったこれだけしか出なくて存在感が薄くてもったいないからネタにしたいなと思ったからです。ということでこの記事では三成のことを知ってもらうために三成とはどんな人かについて話したいと思います!

三成って何者なの?

三成って何者かと思いますよね?なんで家康と戦ったのかもよく分からないですし。三成とは秀吉の側近の人間でした。理由は幼い頃にご縁あって秀吉の側近となりました。それで、家康が豊臣家に不都合な行為(他にもさまざまな要因がありますが)をしていたのを止めるために家康と戦うことを決意しました。詳しいことに関してはこちらの記事に書いてあるので是非見てください!

家康と戦った!石田三成の人生

三成の性格:長所

三成とは何者かについては分かったかと思われるので次に三成とはどんな人かについて話したいと思います!まずは三成の長所から!

1.大切な人を思いやる心

三成には大切な人を思いやる心があります。エピソードとして今でも残ってるのは三成の親友大谷吉継です。ちなみに大谷吉継は三成と共に関ヶ原で戦いました。関ヶ原の話はさておき、2人にはどんなエピソードがあったのか?それはお茶の話です。ある日、秀吉が大阪城にてお茶会を開きました。お茶会の内容はたてられたお茶をみんなで飲み回す感じです。その際に大谷吉継が飲んだ時に膿がお茶碗の中に落てしまいました。理由は大谷吉継はハンセン病という感染症に患っていたからです。

感染症だけあって大谷吉継以降の人達はそのお茶を飲むことを嫌がり、飲まずに回してました。しかし、三成は膿があろうとも気にせずにお茶を飲み干しました。親友が気まずい思いをしているからこそ三成は大谷吉継を思いやってみんなが飲まないお茶を飲む姿は優しい心を持っていた証拠ですね。

2.義理堅い心

三成は義理堅い人ですね。エピソードとしては2つあります。1つ目は島左近との話です。島左近は三成の家臣です。島左近は勇猛でかつ戦術にも長けていました。そのため、島左近はスカウトは沢山ありました。それなのに島左近はスカウトを断っていました。三成もスカウトした中の1人で断られていました。まあ、スカウトした当時のまだ三成には4万石しかなかったですからね。それでも、三成は諦めません。そこで、三成は2万石を与えるという提案をします。ただでさえ少ない石数なのに半分もあげるなんて熱意がすごいですね。島左近はこの姿を見て三成の家臣になることを決意しました。

2つ目は渡辺勘兵衛とのエピソードです。渡辺勘兵衛は島左近同様優秀な武将です。渡辺勘兵衛は2万石でのスカウトでも断る人間です。なんと10万石でないと受け入れないという人です。ではどうやって三成は渡辺勘兵衛を家臣にすることが出来たのか?それは三成の当時の給料500石を全てあげるという約束をしました。これでは渡辺勘兵衛にならないと三成は生活出来ません。ですが、三成は将来給料が100万石になったら、10万石を与えるとまで約束しました。この話を聞いて渡辺勘兵衛は三成の家臣となりました。

しかも、これで話はおしまいではありません。三成が佐和山城主になった時、彼の給料も増やそうとしました。ですが、彼は100万石になるまで500石でいいと言いました。残念ながら三成が三成が100万石になることはありませんでした。

そのため、関ヶ原ではこんなエピソードがあります。渡辺勘兵衛は自害する前に三成に会いに行きました。すると、三成は10万石の約束を果たせないことに謝りました。それにたいして渡辺勘兵衛はこれまでの義に感謝したそうです。義理堅い性格だからこそ感謝されていたのかもしれませんね。

3.裏切りを悪とする真っ直ぐな心

三成は真っ直ぐな心を持っている人です。それが分かるのは関ヶ原の戦いの時。三成は小早川秀秋に裏切られて負けてしまいました。三成にとっては痛手な話です。そこで、そのような経験をを踏まえて三成はこのような発言をしました。(あくまで逸話ですが)

汝に二心あるを知らざりしは愚かなり。されど、義を捨て人を欺きて、裏切したるは、武将の恥辱、末の世までも語り伝へて笑うべし

忠義心持つ心と裏切る心を知らないのは愚である。だけど忠義心を捨てて裏切る人は武士の恥ゆえに一生笑われるべきという意味です。三成は豊臣家が揺らぎようとも一途に秀吉に忠義心を持って生きていました。このように真っ直ぐに義を通せる心があったからこそ、裏切りを悪と考えていたかと思われます。また、戦国時代はずる賢く生きないと死ぬ世の中なのに真っ直ぐでいれるということは本当に義が強い証拠とも言えますね。

三成の性格:短所

三成の長所は分かったと思いますが実は短所もあるんです。いや、短所があるから彼の人生は困難でした。どんな短所があったのか?これから説明したいと思います!

1.融通が利かない

三成の短所は融通が利かないことでしょう。何事にも真面目すぎて臨機応変な対応ができません。武断派とのバトルになったのも融通が利かず現場の意見に耳を傾けることが出来なかったからです。他にも毛利家が秀吉に桃をあげた時も秀吉に万が一身体を壊したら良くないと返上しました。好意を持って行ったことが台無しですね。確かに三成は型にハマったことに関しては得意かもしれませんが人間関係や急きょ起こった事故など理屈では解決出来ないものに関しては融通が利かず反感を買っていたのかと思います。

2.真面目すぎる

三成は義は強いです。ですが、真面目すぎで汚いことを嫌います。それが顕著に現れたのは朝鮮出兵の時です。朝鮮出兵では加藤清正(以下清正さん)が大活躍しました。ただ苦戦したのは事実です。それ故に三成は組織が乱れたし無駄に兵が損失したと思いました。それで三成は秀吉に清正さんが朝鮮との和睦を妨げてると報告しました。こんな報告を聞いて秀吉はいい思いはしません。秀吉は清正さんを謹慎処分にしました。これが決定打で清正さんは三成を深く怨むことになりました。

真面目に仕事に取り組んでいるものの人が頑張っている姿を読めない点は真面目ですね。真面目すぎて人が寄れないんです。冗談1つや2つ言えた方が面白いのに言えないんですから。一方、家康のように他の家と縁談を組むという悪事をしていたとしても情をつぎ込めるからこそ人は寄りました。

 

短所が強く反映された人間

三成って思いやりもあって義理堅く、真っ直ぐな心があったのは事実です。ですが、融通が利かない性格の故に人間関係を良好に形成することが出来ずに関ヶ原では裏切り者が発生したり、日々誰かしらとバトルをしたりしていたのかと思われます。せっかくの長所も融通が利かなすぎると台無しになってしまうと考えさせられますね。

まとめ

三成を見ていると今の時代も同じだなと思う点はありますね。私は現代の人で昔の時代を遠目で見ているからまだ三成の良さというものは分かります。ですが、リアルで会ったら真面目で融通利かなすぎるって思うかもしれません。ただ今遠目で見ている私からするとせっかくいい所があるのに生かせてなくてもったいないという点はあります。おそらく、こういう性格は誰かを挟んで話せば分かることもあるんだろうなと思っています。だから私含めて皆さんに伝えたいことは長所を生かして短所は隠したらいい人生送れるかと思います!要は三成の逆のことをすればいいということです。それが人生の秘訣かもしれません。以上がまとめです最後まで読んでいただきありがとうございました。

りかちゅう