日本の資本主義の父こと渋沢栄一の功績

どうも、りかちゅうです!渋沢栄一には数え切れないくらいに功績があります。まあ、もちろん女遊びが激しかったなど色々な黒歴史はありますけどねwwwwwwww。とは言えども仕事は出来たのは間違いないんです(面食いな私からしたらあの顔で遊び人はドン引きです)。そうじゃないとここまで有名にはなりません。それだからこそ、今回は渋沢栄一の功績について話したいんです。とは言えども、表向きの功績だけではないです。裏側ももちろんあります。お決まりの幕切れです。明治時代に活躍している人は黒い部分は付き物です。岩崎弥太郎、伊藤博文を見れば分かります。ですので、この記事にて色々話したいと思います!

渋沢栄一とはどんな人?

渋沢栄一とは簡単に言えば実業家です。経歴としては農商家の子として育ち、何かしらのご縁で幕臣となり、明治座代になってからは政府として活躍した後に実業家になった感じですね。雑に言えばそんな感じです。それで、渋沢栄一は現在有名な企業と言われているような所に携わっています。具体例はみずほ銀行ですね。あれは渋沢栄一が作りました。また、日本にとって初めての銀行です。銀行を作った事実は後ほどの話に繋がっていくので覚えてください。また、一橋大学、東京経済大学などの大学も設立しました。

※話切れないので詳しいことはこちらの記事を見てください!

資本主義の父!渋沢栄一の人生!

渋沢栄一の功績

以上が渋沢栄一に関する概要です。では、本題でもある渋沢栄一にはどんな功績があるのか?

※多すぎるので全ては言えません。

1.銀行と保険

1873年に明治政府で渋沢栄一の直属の上司となった井上馨や外交官のアレクサンダー・フォン・シーボルトなどの協力を得て、渋沢栄一は第一国立銀行総監役に就任しました。また、保険分野においては今でいう東京海上日動火災保険やニッセイ同和損害保険など大手の保険会社の設立にもかかわりました。ちなみに、渋沢栄一が関与した銀行・保険会社は47社にも上り、時価総額に換算するとその額は29兆1,600億円だそうです。こんなに数多くの会社に携わるとは相当ですね。

2.放送・通信

渋沢栄一はNHKにも関与しています。詳細としてはNHKの設立当初は「社団法人」として運営されていました。それで、日本放送協会の顧問に渋沢栄一が就任していました。ちなみに亡くなるまで顧問をしていたそうです。まさかの闇の会社の顧問だったとは…。また、電通の前身でもある電報通信社の誕生にも貢献していたそうです。電通も闇組織に染まっている会社です。そんな会社に携わっている人でもあったということですよ?

3.福祉・医療

実は渋沢栄一なんですが福祉や医療にも携わっていました。詳細としては東京都板橋区には東京都健康長寿医療センターがあります。それで、その前身となる養育院の運営に関わっていました。養育院はもともと、生活困窮者、病人、孤児、老人・障がい者などを保護するための施設として開設された施設です。ちなみに、江戸時代に設立された無料の医療施設「小石川養生所」をもとにして作られた養育所です。それで、渋沢栄一は貧民救済などに割り当てた積金政策の管理を担当していました。そして、1876年に養育院事務長に就任しました。

4.教育

先ほども述べたように数々の大学を作りました。ただ、その中でも女子教育にも尽力しています。このときに渋沢栄一は女性の社会進出のために女子教育に力をいれたわけではないです。家庭を支える良妻賢母を増やしたいという思いがありました。その当時日本の女性は高等教育を受けずに生きていました。それ故に女性の識字率も低かったです。となると、子供に教えることができません。それ故に女子教育の推進に前向きでした。

銀行の成り立ち

渋沢栄一の功績はこんな感じです。まあ、私的にこの話はしたいなと思ってるんですよ。どの話って?渋沢栄一と銀行です。そこに渋沢栄一の裏があります。ただ、それを話すには銀行の成り立ちを話さないとピンときません。ですので、銀行の成り立ちについて話しますね!

1.お金の歴史

銀行といえばお金です。ただ、大昔はお金なんてなかったです。縄文時代とか物々交換ですしね。でも、物々交換ではわざわざ物を用意するのがめんどくさいちゃめんどくさいです。荷物になることもありますしね。そこで、金貨が作られました。なんで金属の中で金なのか?レプティリアンが欲しがっていた金属だからです。レプティリアンとはなんなのかは個人的に調べてください。それで、人間達もその影響で金を特別な物だと思いました。そして、人々は金を持とうと必死になりました。ただ、貴重な物であるからこそ盗まれたくないという気持ちが働きました。これが銀行の始まりです。

2.銀行ができた理由

盗まれたくない欲求が銀行に繋がるのって?そうなんですよ。実はその頃ロスチャイルド家が頑丈な倉庫を持っていました。ロスチャイルドって戊辰戦争の時にも登場しましたね。まあ、そんなことはさて置き、ロスチャイルドが自分の持っている倉庫で金を預かりますよと話を持ちかけました。その倉庫は丈夫だし見張りもいると。そして、金をたくさん持ってる人らその話に乗りました。初めのうちはたくさんの人が毎日のように預けたり引き出したりしました。その際に何枚金貨を預かって何枚引き出したかの証書を発行してました。

でも、これってめんどくさいですよね?運んでる途中に盗まれるリスクもありますし。そこで、もう証書をもらった人は倉庫に行って引き出してもいいし引き出さなくてもその証書を使っても良いということになりました。それ故に引き出す人が少なくなりました。これが紙幣の始まりです。

3.銀行の在り方

紙幣が流行るようになってからロスチャイルドは悪巧みをしました。どうせ誰も金を引き取りに来ないから貸し出してもいいんじゃないのかと。まあ、一応引き出すにも預かるにも手数料は取ってはいたんですよ。でも、もっと儲けたいからって誰かに貸して利子をもらえばもっと稼げると考えました。でも、実際に金をかしてないです。貸し出した証書と共に預かり証を渡しました。もちらん、証書に利子つけてますからね?要するに、人のお金で利子を得てるということです。今の銀行なんてまさにそうです。

渋沢栄一の裏

以上が銀行の成り立ちです。それで、銀行のシステムって裏組織が取り入れたかったシステムなんですよ。そして、日本にそれを導入したかったんです。そうすることで、日本を経済的に占領することができるんです。まあ、そうですよね。銀行の在り方の大元はロスチャイルドなんですから。じゃあ、銀行を初めて作った人って?あれ?渋沢栄一ですね。これが答えです。要するに、彼も黒ってことです。実業家として有名だけどロスチャイルドに売国した1人でもあります。

まとめ

最後の最後で衝撃を受けた人はいそうですね。でも、事実ですから。しょうがないです。別に渋沢栄一だけじゃないですよ。何度も言いますが明治時代の有名人物は何かあると思ってください。そして、歴史なんて権力者の都合のいいように編纂されています。また、人によって見方が違ってきます。ということは、権力者側からしたらいいように見えていたとしても他の人からしたら悪いように見えることだってあるということです。それが歴史のからくりです。ですので、歴史を学ぶ際は誰にとって良いように見えるかを考えて学びましょう!以上です!最後まで読んでいただきありがとうございました。

りかちゅう