集団馬鹿な状態が怖いと思える瞬間

どうも、りかちゅうです!集団馬鹿というワードはあります。太平洋戦争の国民性なんかがまさにそうですね。日本史の先生があれは集団馬鹿だったと言っていました。私自身あの状況はツッコミどころ満載だと思ってますからね。ただ、集団馬鹿なんて太平洋戦争に限った話ではないです。むしろ、どんな時でも集団馬鹿なんてあるあるです。きっとみんなが思うよりも集団馬鹿はあると思っておいた方がいいです。これは大規模でも小規模でもあります。それだからこそ、集団馬鹿な状態って怖いなと思うことは多々あります。ですので、この記事にてその話をしたいと思います!

集団になると馬鹿になる理由

集団になると馬鹿になるなんて発言を聞いたことはあるかと思われます。実際にヒトラーは大衆は間違えるということを言っています。そして、その真理を利用したんですけどね。では、なんでそうなるのか?

まず他の記事でも何度も言っていますが考えなくていいからです。集団だと上の人間が基本的にルールを決めます。そして、そのルールに従えばいいです。友達のグループとかでもそんな感じだと思います。ただそのルールはその人都合です。それなのにそのルールが正しいなんていう考えになります。誰も疑わないこともありますからね?

そして、逆らう勇気すらなくなります。逆らうということは上の人を怒らせることになりますからね?国単位ならば殺されるなんてこともあります。それ故にダメだと思っても抵抗する力も無くなります。私的には最近リリースしたネット漫画「キョロ充に花束を」という漫画の主人公がそんな感じだと思っています。気になる方はマンガmeeで検索してみてください!女子ならばなんか共感すると思います。

※このネタの詳細はこちらの記事に書かれています!

なぜ人は集団になると馬鹿になるのか?

集団馬鹿の事例

まあ、集団になると馬鹿になるとはこういうことです。そして、集団馬鹿だなと思える事例はあります。ですので、今から話しますね!

1.太平洋戦争の国民性

太平洋戦争は本当は日本が勝ったやら、初めから日本が負けることが前提(天皇が負けるように約束した説)など色々あります。日本がどこかの国の植民地とされている国を解放したのかもしれませんが個人的には出来レース戦争だったのかなとは思っていますけどね。

まあ、現場に関しては色々説があるのでここであれこれ言うと話が逸れるのでここまでにしますが少なくとも国民性はどうかしてましたね。欲しがりません勝つまではといい倹約を強要されたり、戦争に行くことが正義だみたいなノリが強かったりなど集団馬鹿そのものだと思います。そんな雰囲気の中で負けるように約束したらしいよなんて言ったらぶっ殺されること間違いなしです。あの時代は反対意見があったら聞く耳持たず拒否な気がします。

2.コロナ禍

コロナ禍も太平洋戦争時代と似たようなもの?いや、それ以上に酷いのかもしれませんね。別によくよく考えたら何ともないものなのにもかかわらずあれこれ騒ぎます。また、何にもないのにコロナが落ち着いたらみたいな発言をしたり、マスクやワクチンをしたりするような文化になりました。そういう姿を見ると色々調べたのかなとツッコミを入れたくなります。おそらく、何も調べてないみたいな反応すること間違いなしです。いやいや、調べてからしろよと思います。

そして、人によってはマスク警察や自粛警察など強要する人もいます。そこまで他人に興味を持てる余裕があるならばコロナはそんなにやばいものではないこと確定ですね。

3.いじめ

いじめも一種の集団バカなのかなと思います。まあ、いじめって色々種類もありますし一括りには出来ないです。ですが、物によってはターゲットが毎回変わっているようなものもあります。よくあるのがいじめのリーダーが次はいじめられるやつですね。これって良くないことではあるのは一目瞭然です。ですが、いじめを楽しんでいる人達はその感覚がないです。また、ダメだよみたいな発言をしたら次はその人がいじめられます。きっとみんないじめをすることで欲望処理してるんでしょうね。

集団馬鹿が怖いなと思える瞬間

集団馬鹿の事例を見てもいい物ではないですよね?コロナ脳からしたらコロナの事例はうざいと思いますけどね…。ただ、こればかりは事実なので書きました。そして、集団馬鹿は怖いなと思える瞬間はあります。ですので、今から話しますね!

1.正論言っても通じない

いじめの件もそうですよね。ターゲットが誰でもいいいじめなんてあってはいけないのにダメだと言えない環境ってなかなかだと思います。また、コロナ禍だってゴミ検査の実態やマスクの危険性を話しても何も響かないです。むしろ、屁理屈ばかり言う人もいます。他にも色々あると思います。このように、正論なのにもかかわらず通じないのが集団馬鹿です。

2.多数派が正しい

本来ならば正しいのかどうかを検証するものです。数学で言うならば答えが合ってるかを吟味する感じですかね?方程式ならばすぐにできると思います。それなのにもかかわらず、集団馬鹿な状況はそれをしません。なんと、多数派が言っていることは全て正しいんだとなります。それ故にどんなに少数派が正しい内容に対しての根拠などを示したとしても通用しません。むしろ、それならば何で多数派はやらないのみたいな反応になります。

3.目覚めようとしない

最終的にはこれに尽きます。きっと集団で楽しんでいる渦中やそういうものだと思っている時ほど目覚めようとしないです。むしろ、目覚めさせるような発言をしようとすると反発するかと思われます。おそらく、自分の考えが間違っていると言われている感じがして嫌気を指しているのかもしれませんね。別にこのままでいるならばそれまでです。ですが、メリットなんてないからこそ後から後悔することになると思いますよ?また、人によっては間違いだと分かった瞬間叫ぶはずです。

集団でいるのもほどほどに

別に集団であることを100%否定はしません。ずっと個人で生きるなんて無理ですからね。友達や趣味関係のコミュニティだって一種の集団です。そういった時間は楽しめばいいと思います。私だってコミュニティというものはありますしね。ですが、そこにずっといるのはどうかと思います。どんな時でも集団の意見に染まること間違いなしです。人によっては自分の意見を持たないなんてことが起きてもおかしくないです。また、世間という大きな集団の言っていることが正しいとは限らないのに正しいと思い込むことにもなります。このようなことを踏まえても個人の時間は必要だと思います。その際に、集団の常識を疑うのもいいかもしれませんね。

まとめ

集団の常識世間の常識でないです。また、世の中で常識と言われているものが正しいとは限らないです。むしろ、間違っていることは普通にあります。コロナ禍のマスクがそうですよね。あんなので感染対策にはならないです。それどころか汚い布を口元に付けている時点で体に悪影響しかないです。それなのに集団馬鹿なのか何も疑わないでつけている人もいます。また、つけていないとやっていけないみたいな雰囲気もあります。これはマスクネタに限った話ではないです。世の中の習慣など振り返ってみるとあれってものは普通にあると思います。ですので、集団の常識は疑うことをするといいと思います。以上です!最後まで読んでいただきありがとうございました。

りかちゅう