アヘン戦争とは何かと日本への影響

どうも、りかちゅうです!覚えているかどうかは別として幕末の時に起きたアヘン戦争(今でいう中国とイギリスとの戦い)というものを学校などで習ったはずです。逆に習っていなかったら事件です。なんでそこまで煽ってるのかよって?実はこの戦争って日本での出来事では幕末には大きな影響を与えたんですよ。どう影響を与えたかと言うとその当時日本は外国を拒否する感じはありました。ですが、アヘン戦争によってその考えを改めようみたいになりました。では、なぜ日本はアヘン戦争の影響で考えを変えるようになったのか?アヘン戦争の内容を踏まえなが話したいと思います!

アヘンとは何か?アヘン戦争とは何か?

てかさ、アヘンってなんだよ?何語?それって美味しいなって思いますよね。また、アヘン戦争のことなんて忘れちゃったからどんなのかもう一度教えてってなっている方もいることでしょう。ですので、アヘンとはどういうものかやアヘン戦争の概要について話したい尊います。

アヘンとは何か?

アヘンは端的に麻薬です。ちなみに、ケシの果実から取れる麻薬らしいです。こんな感じのものです。

別に印象もないような植物ですよね。ただ、アヘンって相当やばい麻薬なんですよ。どう言うことかと言いますと、アヘンは古代ギリシャから鎮痛剤として使われており、麻薬としては使われてはなかったんですよ。ですが、アヘンはモルヒネなどの強い依存性がある成分が入っている植物です。そのため、使いすぎると最終的には禁断症状が出るような恐ろしいものでした。このようなことを考えると鎮痛剤などを摂取し過ぎるのは良くないのかもしれませんね。

アヘン戦争の概要

アヘン戦争とは1840年にアヘンの密貿易をめぐってイギリスと清国(今でいう中国)が戦った戦争です。要はアヘンによって起こった戦争だからアヘン戦争なんです。てか、麻薬を密貿易ってアウトだよね?アウトですよ。なのに行われていたんです。どうしてそんなことをした関しては後ほど話しますね。それで、イギリスはアヘンによって儲かったものの、清国はアヘンによって病気を患う人が増えるなどが色々乱れてしまいました。そこで、清国はイギリスからのアヘンを取り締まり廃棄をしてたんですがそれが原因によって戦争が起きてしまいました。結果てしてはイギリスが勝ったため、清国は多額の損害賠償を請求されただけでなく欧米諸国の言いなりになる状況になってしまいました。

アヘン戦争が起きた原因

先ほども述べたようにアヘン戦争のきっかけってイギリスが清国との貿易を上手くいかなかったからではあります。では、どういう感じで上手くいかなかったのか?詳しく話したいと思います!

1.貿易赤字

その経緯としてはアヘン戦争が始まる前に清国は広州のみを貿易港とし、公行(こほん)という特権商人のみに貿易を扱わせていました。それ故にイギリスは清国殿貿易で思うように利益を上げられませんでした。そこで、イギリスは植民地であるインドに麻薬のアヘンを製造させ清国に密輸しました。これによって清国ではアヘン患者が急増するだけでなく大量の銀がイギリスに流出してしまいました。イギリスにとってはウハウハでも清国には打撃ですね。

2.紅茶の大流行

イギリスは産業革命が起きたことで急激に近代化するようになりました。ですが、それと同時に衛生環境や民衆の生活は酷くなってしまいました。そこで、民衆が飲んだのが紅茶です(今でもティータイムとかありますよね)。紅茶を飲んでいた理由は紅茶には眠気を覚ます成分であるカフェインが入っているだけでなく、砂糖を入れると疲れが取れるようになっていたからだそうです。それ故にイギリスでは紅茶を飲むことが大流行するようになりました。

うん?紅茶とアヘンって何の関係性があるのって。実はイギリスって寒いんですよ。だから紅茶を育てることはできなくて…。そこで、当時紅茶の一大産地であった清国と貿易を始めました。ですが、清国はその当時はそんなに近代化していないし、人口が多いため大体のものが自給自足出来るためイギリスの商品をあまり買いませんでした。それ故に先ほど述べたようにイギリスは貿易赤字になったんです。

3.アヘンの処分

イギリスが清国にアヘンを輸出したのはその当時清国ではアヘンの吸引の風習が広まっていたからです。これを知ったイギリスは先ほども述べたように植民地のインドで栽培したアヘンを輸出して貿易赤字を解消しようしました。その結果、清国ではアヘンが大流行しました。人口が多かったのもあるのか民衆は政府からの重い税金で自暴自棄になっていたのかと思われます。それ故にアヘンの輸入量増加によりイギリスが黒字となり、清国は貿易赤字に転落しました。

これは清国にはピンチですよね。そこで政府は林則徐という人を欽差大臣(臨時の官僚の最高職。皇帝代理とも言える)を貿易広州に派遣しました。ちなみに林則徐はとても清廉潔白な人でアヘンを売っていた商人からアヘンに対する取り締まりを行いました。それもあって、1839年にアヘン商人たちに「今後、一切アヘンを清国国内に持ち込まない」という内容の誓約書の提出するように圧力をかけました。また、もし逆らったら死刑にすると脅しました。さらに、清国に広まっていたアヘンを全て没収して、没収したアヘンを全部海で処分しました。これを知ったイギリスは戦争を起こしました。

アヘン戦争の流れ

以上がアヘン戦争の原因です。では、どう流れでアヘン戦争はおきたのか?

1.イギリスの決断

林則徐のアヘンの取り締まりに関してはイギリスにとっては不都合です。このままではまた、イギリスが貿易赤字になってしまうと。そこでイギリスは戦争を仕掛けます。その当時はこっちが仕向けなければ滅ぼされるという恐怖の時代だったからこそ。ただ、清国は眠れぬ獅子と恐れられている巨大国家でもあります。となると負けるリスクもあります。ですが、会議では僅差で可決。イギリスはイギリス東洋艦隊という艦隊を作って清国に向かいました。

2.イギリスが優勢となる

イギリスが戦争を起こしたことにびっくりした当時の清国の皇帝である道光帝は、林則徐を田舎に左遷してイギリスと交渉します。ですが、イギリスは交渉にドタキャンしたことを理由に英国艦隊は厦門、寧波などの地域の沿岸を次々と占領しました。陸戦では清国が圧倒していましたが、海戦ではイギリスが鉄製の蒸気船なのに対して清は昔の木の帆船だイギリスが優勢となりました。それ故に清国は長江沿岸や首都北京近くの天津に上陸され清国は力を尽きてしまいました。

3.イギリスの勝利南京条約

清国は力が尽きてるので仕方なく敗北。南京条約を結ぶことになりました。内容としては特定の商人しか貿易できない制度を廃止して誰とでも貿易できる自由貿易に変え、これまで開かれていた広州・厦門・寧波の3港に加えて福州・上海を加えた5港を開港させました。さらに、さらに清国は2180万ドルという莫大な賠償金と香港をイギリスに割譲するなどを決めました。清国はもう立場はないですね。

アヘン戦争の影響

アヘン戦争の衝撃は日本にも伝わります。日本はアヘン戦争が始まる前は異国船打払令という外国の怪しい船を見かけたら、大砲をぶっ放して追い払うという方針でした。モリソン号事件がまさにそれです。ですが、アヘン戦争で清がボロ負けしたことを知って天保の薪水給与令という外国の船を見かけたら燃料と食料を与えるという方針に変更しました。やはり、イギリスなどの強い国にやられたくないという気持ちが強くなったのかなと思われます。

まとめ

アヘン戦争に関してはなぜか印象に残っていました。やはり、麻薬関係だったからなのかなと思われます。まあ、これを見て思うこととしては日本も何か逆らったり喧嘩を売ったりしたらやられるという危機感はあったのかなと思われます。実際にその当時は日本よりも他国の方が発展してましたからね?要は幕末に関しては日本は他国に乗っ取られる何かはあるかもしれないみたいな危機感はあったのかなと思われます。以上です!最後まで読んでいただきありがとうございました。

りかちゅう