日本との交流あり!ユリシーズ・グラントとはどんな人?

どうも、りかちゅうです!明治時代にユリシーズ・シンプソン・グラントという方がいました。おそらく、世界史に詳しくない人からしたら誰だよそいつとなるはずです。まあ、リンカーンやケネディなど有名な大統領というわけでも無いですしね。なのになんでその人の話をしているかと言いますと、実は明治時代になってから大統領を経験した人で日本に来たアメリカ人ってその人が初めてだったんです。それもあって、日本との繋がりはあることにはあります。ですので、この記事にてグラントについて話しますね!

グラントのプロフィール

まず、安定ではありますが、グラントのプロフィールを作りました!

名前 ユリシーズ・シンプソン・グラント

生年月日 1822年4月27日

出身地 アメリカのオハイオ州

没年 1885年7月23日(享年63歳)

備考

アメリカ第18代大統領です。任期は1869年3月4日から1877年3月4日です。軍人としては成功しましたが大統領としては評価はあまり良くなかったそうです。スキャンダルなどが多かったそうです。まあ、そこに関しては後ほど話したいと思います。やはり、軍人で成績良くても大統領としてうまくやれるとは限らないんですね。

グラントの歴史

以上がグラントに関するプロフィールです。では、グラントとはどんな人生を歩んだのか?次はその話をしたいと思います!

1.軍人を目指した人生

1822年、ユリシーズ・グラントはオハイオ州で生まれました。ちなみにグラント父親は製革業者でした。それなのにもかかわらず、17歳の時に陸軍士官学校へ進学し軍隊としての道を歩んだそうです。進んだ後も功績もある人でもありました。実際に父親を含む周囲の大人たちからも強く推薦されるような人物でした。それ故に、戦略に通ずる計算力やカリスマ性を持った人物とも言われています。

そして、1843年に陸軍士官学校を卒業したユグラントはすぐに米墨戦争に従軍することになります。またそれ同時にジュリア・デントと結婚し、後に2人の子どもが出来ました。米墨戦争ではモリノ・デル・レイの戦いで功績を挙げたことから中尉そして中佐へと昇進したそうです。

2.グラントのピンチ

米墨戦争終結後はカリフォルニア州での勤務になりました。ただ、その際に問題を起こしてしまいました。なんと、多量に飲酒したことから事件を起こしました。それ故に軍を辞職しました。その後は、農場の経営や不動産仲介業に手を出します。とは言えどもいずれも失敗し、最終的には父親が経営していた皮革店の経理助手として生計を立てていったそうです。しごできだったけどそんなことがあるとは…。ちなみにグラント飲酒癖は厄介な問題だったそうです。

3.南北戦争での活躍

た、そんな時に転機がありました。南北戦争の際にグラントはイリノイ州のスプリングフィールドで志願兵を募り、リチャード・イェイツ知事に北軍として参戦すると言いました。そして、イリノイ州の歩兵隊、そしてミズーリ州の鉄道を守る任務を任され、軍の統制力や戦略力の高さで昇進をしました。軍人としてしごできなのは間違い無いですね。

そして、1864年にエイブラハム・リンカーンの耳に留まり、グラントが北軍総司令官に任命されました。グラントは最終的に南軍のリー将軍を追い込み南北戦争を事実上の終結させました。

4.大統領に就任する

1868年、ユリシーズ・グラントは共和党候補として満場一致で選出され大統領になりました。南北戦争での活躍や英雄としての名声は大きな人気を生んだことから期待されていました。ですが、大統領になってからは不評でした。なんか、政治的な能力は発揮できないままで上院に操られるばかりだったそうです。しかも、スキャンダルや汚職事件に苦しんでいたそうです。

具体例としては妹の夫に賄賂を送った問題や1鉄道建設会社ユニオン・パシフィック社の株式売買で便宜を図っていたことなどです。特にウイスキー汚職事件は有名だそうです。ウィスキー事件は後ほど話します!このような事件の影響で人気はダダ下がりで史上最悪の大統領と言われるようになりました。

5.大統領終了後

字数の関係ではしょりますが大統領終了後は日本に来日したり、回顧録を書いたりしていました。そして、1885年7月23日にいなくなりました。

グラントの評価

たしかに、軍人としてはしごできでしたが大統領としてはどうだったか振り返ってみましょう!

1.黒歴史だらけの大統領

さっきチラッと話しましたが黒歴史パラダイスですね。ウィスキー汚職事件に関しては酒類税は酒代の8倍にまで上がっていたため、多くの酒造メーカーは国税庁や共和党員に賄賂を贈って支払いを免除してもらったそうです。それを知ったグラントは全員を逮捕する命令を出しました。ですが、事件に関わった中にはグラントの秘書や長男、弟までも含まれていました。それ故に問題視されていました。このように、色々事件に巻き込まれたことから政策どころではなく史上最悪の大統領として言われるようになってしまいました。

2.インディアンからも不人気

グラントは先住民族のインディアンを現在のオクラホマ州に強制移動させることに積極的でした。ただ、白人とインディアンの衝突を避けるためにインディアンの代表者をインディアン問題の管轄トップにするなどの施策を立てていました。ですが、グラントが計画した和平案は白人が無視するんじゃ無いかと問題視され、インディアンからは大きな反感を買うことになりました。

 

日本との関わり

グラントは日本との関わりがある人です。時代で言うならば明治時代の初期です。ですので、そかに関しても話したいと思います!

1.岩倉使節団に携わる

グラントは1872年に岩倉使節団一行と接見した大統領としても知られています。その当時、グラントはキリスト教を禁止していた日本政府のやり方を非難していました。キリスト教を監視していたのは理由があるんですけどね。ただ、明治には解禁されました。ですが、岩倉使節団をもてなすための5万ドルの特別予算を出し、議会を説得した一面もあります。

余談なんですが岩倉使節団ってなんで海外回ったか分かりますかね?建前は海外の勉強をするためです。ですが、裏は裏組織の入会の洗礼です。まあ、幕末あたりから会員の人達もいたんですけどね。実際に岩倉使節団はワシントンD.C.に行った時に裏組織のロッジに行きました。しかも、行った時の内容が各々の婦人を同行していないのに舞踏パーティーをしたとか言ってるんですよ?明らかにおかしいですよね。ちなみに、岩倉使節団が海外に寄る際のスケジュールはフルベッキという人が作りました。

2.日本に来日

グラントは大統領職を辞めてから日本に訪問しました。実はアメリカ大統領を経験者で日本に訪れたのはグラントが初めてです。グラントは、日本が本格的な外交を始める時代に友好関係を作ったそうです。これはいいように聞こえますが日本は乗っ取られたのも同然です。なんか、大統領としては評価は低かったのにここの点に関してはきちんと功績を作ったんですね?

裏組織の一員?

これは私自身の憶測ではありますが裏組織の1人だったのかなと思われます。なんでそんなことを言えるのか?それは岩倉使節団の件です。先ほども述べたように岩倉使節団の目的は裏組織関係のことが含まれています。いや、そうとしか言えないです。となると、接見した人が裏組織の一員ではないのはなんかおかしくないですか?それ故に個人的にはそうなのかなと思っています。実際にアメリカ大統領には裏組織の一員の人の確率が高いです。たしか1940年代の調査ではある州の議会は70%がその一員だったそうです。

まとめ

また裏組織ネタになりますがなんと、グラントなんですが最後まで読んでいただきありがとうございました。50ドルに載ったそうです。2004年から発行のですかね?これはもう黒です。日本でもそうですが基本的にお札に載る人って裏組織との関わりがある証拠でもあります。まさかの展開ですね。まあ、グラントをどう思うかは人それぞれではありますが日本を乗っ取った一員でもありかつ裏組織にいた大統領であることは分かってほしいと思います。以上です!最後まで読んでいただきありがとうございました。

りかちゅう