光る君へ!紫式部とはどんな人?

どうも、りかちゅうです!2024年の大河ドラマは光る君へですね。紫式部が主人公です。なんで紫式部なのと思いますけどね?正直なこと言いますが乗り気ないです。乗り気ないのにハマるなんてことあるのと思うくらいに乗り気ないです。ただ、そうは言っていますがいざ紫式部のことを調べると彼女の知らない一面はあるなと思いました。藤原道長との関係性はやはりそうだったのかと思いましたね。婚姻関係でもないのに距離が近いからあれれと思いまして。このように、ドラマのことは抜きにして新たな発見はできたのかなと。ですので、この記事にて紫式部がどんな人なのかについて話しますね!

紫式部のプロフィール

紫式部っていつ生まれていついなくなったかなど分からない方もあるのかなと思われます。ですので、まずは彼女のプロフィールから見ていきましょう!

名前 本名未詳。

藤式部が通称です。紫式部と呼ばれているのは源氏物語の最大のヒロインこと紫の上にちなんで「紫式部」と呼ばれました。

生年月日 978年説がある?

出身地 不明

没年 1019年説がある?

(享年は42歳と言われています)

備考

源氏物語を書いた人です。一般の人からしたらそれ以外のことあるのかよと思うはずです。私もそんなもんです。

紫式部の人生

以上が紫式部のプロフィールです。では、彼女はどのような人生を歩んだのか?

1.生い立ち

生没年は性格なことはわかっていません。一応978年ごろに誕生し1019年ごろに没したとも言われています。今では紫式部とは言われていますがその当時は藤式部と呼ばれていたそうです。理由はお父さんの官職「式部大丞」から式部省の判官四人の総称として藤式部と呼ばれたそうです。

ちなみに、紫式部は藤原為時の娘で藤原冬嗣の流れを汲む藤原北家の名門出身です。

ただ、傍流の受領階級(中級貴族)でした。

家系は学才のある人物を多く輩出しており、彼女も父親から漢学、音楽、和歌の教えを受けて才能を発揮しました。

 

2.文才揃いの家庭

紫式部のお父さんは文才のある人で直訴の文中の織り込んだ詩句に帝が感慨を受け越前守に任ぜられたという逸話があります。また、弟のも和歌の名手であったり、お父さん方のおじいちゃんも歌人として名を馳せ、三十六歌仙の一人に選ばれてお「小倉百人一首」にも歌が入っています。このような家庭状況ならば紫式部も文才があること間違いなしですね。

3.藤原宣孝との結婚

紫式部は20歳以上も年上の藤原宣孝と結婚しました。いとこではあったものの年の差がすごいですね。しかも既に何人もの妻を持ち紫式部と同世代の子どもまでいた。それなのに、なぜ結婚をしたのか?実は紫式部は結婚時27歳前後だったと言われています。当時としてはかなりの晩婚です。ですが、年上で包容力のある藤原宣孝だけが紫式部を面白い女と感じ気に入ったそうです。そのため、藤原宣孝は何度も恋文を贈って求婚していました。ですが、紫式部はそのたびに強く拒否していたものの交際に発展し結婚します。とは言えども、2年後に死別します。

4.源氏物語の作成

源氏物語は藤原宣孝の死後書き始められました。詳細としては1007年頃に中宮彰子に出仕し、翌年には物語の大部分が完成していました。源氏物語がヒットした理由は心理描写がまるで実在の人物を描いたかのようなリアリティで圧倒する設定が見事だったからだそうです。また、源氏物語は女の女による女のための文学であります。なぜなら、女が理想の男性を作り上げ願望を託した文学だからです。

※源氏物語は主語が少ない文学のため現代人が古文として読むには難しいと言われています。もちろん、入試問題にしたら難易度は高いこと間違いなしです。

5.晩年

紫式部の死因については記録が全く残っていません。諸説ありますが1019年に
42歳頃に亡くなったと言われています。

 

紫式部の性格

源氏物語という色恋話を書いた紫式部ってどんな性格だったのと思いますよね?ですので、性格についても話しますね!

1.内向的でネガティヴ

彼女は内向的だったそうです。なんか月を見ながら、ネガティブ思考な物思いに
陥ってしまうような傾向があったようです。それは文面に書いているそうです。また、紫式部は宮中で仕えるようになったため男性にも顔を見せて働くようになりました。その際にそんな環境に慣れていくのを厚かましいみたいなことを思っていたそうです。せっかくのチャンスでも内向的だからマイナスに思ってしまうんですね。

2.女好きで男嫌い

紫式部は「紫式部日記」や「紫式部集」で多くの和歌を残していますが男性よりは女性との間で和歌を多く詠んでいたそうです。なんか紫式部日記の中では同僚の女房の服装や容姿、振る舞いなどが細かく書かれているそうです。また、源氏物語の中では光源氏など男に翻弄されて苦労する女の姿が描かれているそうです。このように、紫式部は女の人への情は厚いです。おそらく社会的弱者である女性に対して同情したり愛情を感じやすいものの、男性に対しては淡白な態度をとる人なのかと思われます。ただ、紫式部は結婚経験もあったり愛人はいたりなど恋愛経験はあります。

紫式部のエピソード

紫式部は有名だったからこそエピソードはあることにはあります。ですので、彼女のエピソードについても話しますね!

1.清少納言のことが嫌い

紫式部と清少納言の性格は正反対です。清少納言は明るくて男好きな性格と思えばいいです。それもあってなのか清少納言は紫式部日記にて清少納言のことをひどく得意顔に偉そうにしていた人や絶対に不幸になるなどボロクソに言っていたそうです。だからって2人は宮仕えの時期が違うので実際に会ったことはないはずです。ですが、清少納言が枕草子を書いたということで清少納言の人物像や作品の評価については紫式部の耳にも入っていたと思います。そのため、自分とは性格の違う清少納言を理解できず毛嫌いしていたのかと思われます。

2.藤原道長とは愛人関係?

大河ドラマでも藤原道長とは結婚もしていないのに不思議な関係って感じですよね?実は2人は愛人関係だったそうです。馴れ初めとしては紫式部が旦那と死別してからです。源氏物語が貴族間で話題になっていたため紫式部は藤原道長にお願いされて、中宮彰子の家庭教師として宮仕えを始めます。そして、藤原道長の愛人になったのではないかという説があるのです。ちなみに、紫式部日記には紫式部の寝泊まりしている渡殿の戸を道長が一晩中叩き続けたエピソードについても書かれています。

3.頭が良かった!

紫式部は幼い頃に弟が漢籍を習っていたのを近くで聞いていただけなのに簡単に漢籍を習得してしまいました。記憶力がすごいですね。一方で弟はすぐ忘れてしまうそうです。なのになぜか紫式部は才気があり不思議と覚えるのが早かったようです。そのため、紫式部のお父さんは紫式部が男だったら良かったのにと残念がっていたそうです。もし男だったら違う人生だったかもしれませんね。

まとめ

思ったよりも書けてしまいましたね。正直なことを言うと女性のことを書くのはそれほどなんです。データーが少ないのはもちろんのこと戦関係の話が少ないため刺激がないなと思ってしまって。あと平安時代もそんなに好きでもないから尚更のことです。ですが、いざ書いてみると家のことや和歌のことなどを含め知らないことが多かったため書きがいはあったなと思います。ですので、ドラマは楽しめるかは今後とも別として新たな気づきを増やせたらいいなとは思っています。以上です!最後まで読んでいただきありがとうございました。

りかちゅう