信長の妹!お市の方とはどんな人?

どうも、りかちゅうです!有名な話ではあると思いますが実は信長には妹がいました。しかも美人な妹です。兄妹揃って美形ですね。歴史ヲタクの方ならばご存知かと思われます。そうですお市の方です!大河ドラマでも美人な人がやっているイメージがあります。さっきから美人しか言っていないって?思い当たることと言えばそれしかなくて。嘘です。彼女は悲劇の女性ではありました。家の都合で離縁させられたり、自害せざる得なかったりなどと色々ありました。まさに戦国の世を生きた女性の1人ですね。戦国の女は色々あります。私的には何かを犠牲にするのが戦国の女だと思っています。では、一体どんな人だったのか?この記事にて話したいと思います!

お市の方のプロフィール

まずはお決まりですがお市の方のプロフィールから見ていきたいと思います!

名前 お市の方

生年月日 1547年

出身地 尾張国

死亡日 1583年6月14日(享年36歳)

備考

信長の妹です。戦国の美女と言われていました。政略結婚で浅井長政と結婚したものの死別。その後独り身だったものの信長の死後に柴田勝家と結婚しました。ですが、柴田勝家と秀吉が対立したためお市の方は柴田勝家と自害しました。

お市の方の人生

以上がお市の方のプロフィールです。では彼女は乱世の中どんな人生を歩んだのか?

1.信長の妹として生まれる

お市の方は尾張の織田信秀の娘として生まれました。生まれた年ははっきりとは分かっていません。一応1547年説が濃厚ではあります。信長とは13歳も違かったそうです。ここまで歳の差があるなんて思ってもなかったです。幼少期に関してはこれくらいですね。実は彼女の幼い頃のデーターがないんですよね。女性はそんなもんです。ただ、成長するにつれて絶世の美女と言われるようになりました。また、美しいだけではなく、聡明な女性だったそうです。

2.浅井長政と結婚する

1567年頃にお市の方は近江浅井長政に嫁ぎました。21歳の結婚です。当時からすれば異例なほどの晩婚です。10代で結婚があるあるですからね。美人なのに以外です。もちろん、この結婚は政略結婚です。浅井家は南近江の六角家の傘下にありました。ですが、浅井は独立を図っていたため六角家との関係は決して良くはありませんでした。そこで、浅井は織田と同盟を組むことにしました。そのための結婚です。ちなみに浅井長政はすでに六角の家臣の娘を正室にしていましたのに離縁してまでお市の方と結婚しました。

このように、色々あった感じではありましたが3人の娘に恵まれるなど幸せな日々を送ることができました。戦国時代だからこそ、貴重な時間だったと思われます。

3.浅井長政との別れ

幸せな生活も長くは続きませんでした。なんと織田と浅井が対立することになります。きっかけは1570年にが信長はいきなり朝倉義景を攻め始めたことです。これは浅井長政にとっては衝撃的事実です。なぜなら、織田との同盟の際に信長は朝倉とは戦わないと約束をしていたからです。浅井長政は色々悩んだものの、朝倉義景の味方となりました。

まさかの展開ですね。旦那と兄が敵同士になるなんて。どっちを選ぶか迷ったと思います。それでも、お市の方は信長を選び、信長に朝倉と浅井の挟み撃ちになるよと知らせたそうです。それもあって信長は助かり、姉川の戦いにて浅井・朝倉連合軍を撃破します。そして、1573年に朝倉義景を滅ぼしました。ですが、それだけではありません。浅井の本拠地こと小谷城を包囲し浅井長政を自害においやりました。この事実はお市の方にとっては悲しいことですね。ただ、お市の方は娘と共に救出され織田家に戻ることになったのです。

4.信長の庇護と本能寺の変

浅井長政と死別した後、お市の方と娘たちは約9年間織田信包や織田信次のもとで暮らしていたと言われています。また、信長も4人が不自由なく暮らせるように援助をしていたそうです。きっと浅井長政を失ったことを気にかけているのかと思われます。このように、恵まれていた環境があったことで平和に過ごしていました。ですが、そんな日も9年ほどで終わってしまいました。1582年、京都の本能寺に滞在していた信長が十兵衛に討たれてしまいました。本能寺の変ですね。まあ、これも茶番なんですけどね。信長は政界から身を引いて秀吉に引き継ぎたいためにあえて死んだフリしただけです。じゃなきゃ中国地方からダッシュで戻ることなんてできません。とは言えどもお市の方にとっては波乱なことが起きます。

5.柴田勝家との再婚

信長の死により後継者を決定するための清洲会議が開かれました。その際に信長の孫を推す秀吉と、信長の三男こと織田信孝を推す柴田勝家との間で意見が対立します。結果としては秀吉の方が色々手を打っていたため信長の孫が後継者となりました。もちろん、信長もそれを望んでいました。ただ、お市の方は前々から秀吉のもとにつけと信長に言われていましたが。そうはいきませんでした。なぜなら、お市の方は秀吉の女好きなところが嫌いだったからです。それ故にお市の方は柴田勝家に嫁ぎました。柴田勝家はお市の方と結婚したことに喜びを感じていたそうです。

6.柴田勝家と自害

色々あったものの、柴田勝家はお市の方とその娘達を大事にしていたそうです。大河ドラマでも平和な感じが描かれていますよね。ですが、そんな平和な生活も半年ほどで終わってしまいます。実は1583年に秀吉と柴田勝家が激突してしまったことから賤ヶ岳の戦いが勃発します。実は家康が頑張って柴田勝家を説得させようとしたものの、どうすることもできなかったため仕方なく戦うことになりました。

賤ヶ岳の戦いは初めのうちは柴田勝家の優勢だったそうです。ですが、秀吉の巧みな戦術と寝返りなどにより形成は逆転し柴田勝家は劣勢になっていきました。そして、柴田勝家は自分の本拠地である北ノ庄城へと追い詰められてしまいます。その際にお市の方は柴田勝家と自害することを決意しました。秀吉も家康も戻って来いと言ったもののこの世に未練はないと言い37歳で柴田勝家と共に北ノ庄城で自害しました。

娘達の行く末

お市の方の娘達は秀吉の元に預けられました。特に有名なのは長女の淀殿です。お市の方に似ているという理由で秀吉に寵愛されました。なぜなら、秀吉の初恋相手はお市の方だからです。それ故に淀殿は別妻扱いでした。自分の仇となる人に嫁ぐってどんな気持ちなんですかね?一方、次女の初は京極高次という人と結婚をしました。京極家は関ヶ原の時には東軍につきました。また、三女の江は最終的に徳川秀忠と結婚しました(その前に他の人と2回結婚しました)。となると、淀殿と江は姉妹同士なので最終的には敵になってしまったということですね。このように、娘も色々ありました。ただ、妹の話に関しては話すと長くなるのでここまでにしておきます。

まとめ

お市の方って芯が強いなと思いました。だって秀吉の元にいけば生き延びていたんですよ?信長にすすめられていただけでなく秀吉はお市の方好きでしたし。ですが、秀吉の女好きなところが嫌いだからそうしないで柴田勝家と共にいるのは信念が強いなと思います。しかも、この世に未練がないと言って自害するなんてかっこいいなと思います。そこら辺も踏まえても戦国の女だなと思ってしまいました。以上です!最後まで読んでいただきありがとうございました。

りかちゅう