義時の盟友かつ親友!三浦義村とはどんな人?

どうも、りかちゅうです!緊急で書きました。誰のことを書いたんだよって?平六のことです。なんで書いたかというとTwitterで話題になっていたからです。裏切りマスターだからこそ話題になっているんですけどね←。でも、何がどうあれ個人的には嬉しいです。なぜなら、平六は私にとって最高な推しだからです。正直なことを言いますと推し以上の感情を持ってしまうこともありました。もちろん、抑えられる能力はあるので抑えています。なんでそんなに好きなのかについては後ほど話しますね。まあ、とにかく、ダッシュで書きましたが嬉しい気持ちしかないです。ですので、この記事にて色々話したいと思います!

三浦義村のプロフィール

とりあえず、平六くんのプロフィールから見ていきましょう!肖像画がなかったので鎌倉殿の写真にしますね!

名前 三浦義村

出身地 相模国(今でいう神奈川県です)

生年月日 不詳

死亡年月日 1239年12月5日

補足

相模国を基盤とする鎌倉幕府の御家人です。通称はへいろくで義時くんの親友です。裏切りマスターではあるものの、義時だけは裏切りませんでした。また、評定衆にも選ばれ「御成敗式目」の制定に関与しました。

三浦義村の人生

平六に関するプロフィールはこんな感じです。では平六くんはどんな人生を歩んだのか?今から話したいと思います!

1.源平合戦の活躍

平六は三浦義澄の次男です。後を継いだのは平六です実は兄に三浦友澄という方がいましたが1221年の承久の乱で討死してから平六が嫡男としての扱いになったそうです。そこら辺は義時と同じような感じですね。まあ、兄のことに関しては鎌倉殿では登場していないですけどね。そんな事はさておき、母親は伊東祐親の娘です。生い立ちはこんな感じです。

生年月日が不明なためそれ以外はわかりませんが少なくとも源平合戦では活躍していました。一ノ谷の戦い、壇ノ浦の戦い、奥州征伐ではお父さんと共に戦功を挙げて頼朝に尽くします。とは言えども、他の武将みたいなデータがないのが残念です。個人的には石橋山の戦いで色々あって義時と合流するのが遅れたシーンが印象に残っています。

2.鎌倉を支える

鎌倉幕府が設立後は御家人としてお父さんと共に幕府に仕えました。そして、頼朝の死後頼家が第2代将軍となってからはお父さんが13人の合議制のメンバーとなりました。義時のように親子で参加というわけではなかったんです。ただ、お父さんが13人の合議制が設立されてからすぐにいなくなったので実質平六が代わりにいるような感じにはなったのかなと思われます。そして、和田や畠山など有力者たちを裏切りながら、北条にひたすら仕え出世していったのでした。

3.兄弟を裏切る?

1221年に承久の乱が起きました。これは北条と後鳥羽上皇のバトルです。それで、平六の弟の三浦胤義は上皇の近臣でした。となると、上皇方につくよねとなりますよね?まあ、はじめは義時の追討の共謀を誘います。ですが、ここで裏切ります。なんと、胤義からの使者を追い返し詳細を義時にチクりました。いわゆるスパイですね。さらに、平六は鎌倉幕府の討伐軍の大将として戦いました。結果は平六が勝ち胤義は自刃しました。兄弟であろうとあっさり裏切るって怖いです。そこまで北条に見込みがあると思えるのも相当です。

4.幕府の実力者となる

1225年に大江広元や政子なも鎌倉幕府の中枢の権力者たちがいなくなってしまいました。そこで、同年に泰時の元め合議制政治をするために評定衆という機関が誕生しました。その際に平六は義村は宿老として就任しています。となると、平六は北条家の次に高い地位となりました。要するに、平六は三浦家の最盛期を築いたのです。また、1232年には泰時を中心に武家政権のための法令「御成敗式目」が制定した時には平六は評定衆として署名しています。そして、平六は1239年に死没しました。

三浦義村の性格

鎌倉殿の平六はキャラが濃いですよね?では、実際はどうだったのか?今から話したいと思います!

1.裏切りマスター

これは見れば分かりますよね?公暁の時も見事に裏切っています。鎌倉殿になれると煽っといて裏切るわけですから相当タチ悪いなと思います。あと、義盛の時なんて裏切らないって約束の文面を書いたのにあっさり裏切ります。唯一裏切っていないのは義時のことだけです。にしてもなんでここまで裏切れるのと思いますよね?平六は損得勘定で動くような性格だったそうです。だから、自分にとって得なものには協力したとしても得にならなければあっさり切るのかなと思われます。そう考えると平六は北条が栄えると見込んでいたということでもありますよね。

2.賢い男!

北条が栄えると見込んでいただけあります。賢い男です。「明月記」にはこのように書かれています。

八難六奇の謀略、不可思議の者か。

「八難」は張良で「六奇」は陳平という意味があひます。どちらも前漢の劉邦に仕えた軍師という意味があります。要するに、この2人に匹敵するほどの策略家として恐れられていたそうです。相手を巧みに欺いていたところなんてまさにそうですよね。

三浦義村の魅力

私の推しが平六というのは皆さんご存知かと思われます。私自身、大河ドラマでここまでの推しができたことは初めてです。リアルに平六みたいな性格の人がいたら恋しています。脱がなくていいのに脱ぐ所も長時間待たせておいてドヤ顔で「待たせたな」とか言うところも。図々しいところも。うざいくらいに賢いところも(異性を見る目がありすぎてゾッとしています)。とにかく、外面いいのに変人なところが好きです。私も変人なので変人じゃないと本気になれないです←。ただ、平六に関しては敵に回したら終わりかと思われます。持ち上げといて裏切られるとか恐怖でしかないです。

※現実の世界で平六みたいなキャラを求めています。外見は重忠のような誠実系なイケメンがよろしいです。

※言葉でうまく説明できなくてすいません。

まとめ

やっと書けました。ずっと平六のことは書かないと思っていたんですよ。だって平六って最終回まで残るじゃないですか?義時がいなくなっても生きているわけですし。だから、書けるタイミングがないと思っていました。ですが、あの鶴岡八幡宮の事件の前に書けるなんて思ってもなかったです。とりあえず、推しのことを書けるなんて嬉しいです。そんな平六に対して思うこととしては最終回まで変人キャラでいて欲しいなと思っています。あと女好きでも変人すぎて干される平六であって欲しいと思っています。以上です!最後まで読んでいただきありがとうございました。

りかちゅう