柿と三成:三成の最期と性格

どうも、りかちゅうです!石田三成の最期にとある逸話があります。それは処刑の時に柿を渡されても食べなかった話です。なぜだなかった中に関しては後ほど話したいと思いますが実はこの逸話に関しては歴ヲタ内では有名話でもあります。理由は関ヶ原の戦いで負けてからの処刑とインパクトのある場面だからかと思われますね。だからって世間的に考えてみてももう死ぬことは分かっているんだから柿を食べることを拒んだんだよってなりますよね?ですので、この記事では三成が処刑前に柿を断ったことやそこから見える三成の人間性について話したいと思います!

三成ってどんな人?

まず、柿の話と言われても、三成とはどんな人であるかが分からない方もいらっしゃるかと思われますのでまずは三成とはどんな人かについて話したいと思います!三成は1560年今の滋賀県でもある近江国で生まれ、その後秀吉にスカウトされてから秀吉の側近として働いていた者です。秀吉がいなくなってからは豊臣家を存続するために尽力を尽くしていました。それ故に家康と関ヶ原の戦いにて戦ったんですけどね。ただ、勝つことはなく負けてしまい最終的には処刑されてしまいました。詳細に関してはこちらの記事に書かれています!

家康と戦った!石田三成の人生

なぜ西軍が負けたのか?

処刑の話をする前におさらいです。三成は豊臣家のために家康と戦ったものの負けてしまいました。理由は三成の人望のなさや組織力の弱さですね。三成は曲げられない性格でもあり一部の人からかなり嫌がられてました。特に加藤清正や福島政則などの武断派はトラブル等含め三成のことを恨んでましたね。それもあって自分を味方をしてくれる人を集められないのはもちろんのこと関ヶ原の戦い当日うらぎりもありした。また、チームワークに関しても当日計画通りに事が進まないなどがありゴダゴダ状態でしたね。他にも漁れば色々ありますがキリがないので割愛します。もし詳細を知りたい方はこちらの記事を見てください!

なぜ関ヶ原の戦いで西軍が負けたのか

西軍が負けた時の三成

このように三成は関ヶ原で負けてしまいました。では、負けた後三成場どのような行動を取ったのか?

逃亡生活

戦国時代って戦に負けた側は切腹など死を選びますよね?ですが、三成場違いました。なんと逃亡を決心しました。なぜ三成ご逃亡を選んだのかと言いますと最後まで命を粗末にしたくないからだそうです。三成らしいですね。生き延びるのが筋という考えは。また、無茶振りですが再起を図りたかったそうです。ちなみに三成は自分の城でもある佐和山城を目的地として向かったそうです。ただ、すぐに向かうのではなく一旦佐和山城より北にある法華寺三珠院(さんじゅいん)というお寺に行ったそうです。

逃亡生活ではお寺の人や農民からの支援はあったそうです。理由としてはお寺に関しては昔お世話になったからかと思われます。三成は小さい頃お寺での生活をしていましたし。また、農民に関しては三成の政策のおかげで助かったことから農民場そのご恩で助けたそうです。

三成捕まる

逃亡生活だけあって上手くはいきませんでした。家康はカンカンに怒っていましたからね。色々な噂の影響で三成が逃亡している居場所が分かってしまいました。その際にもし、三成をかくまったらその人達も処分するという風に言われました。そこで、三成は自分から外に出ることを決意しました。なぜなら、助けてくれた人に被害を与えたくなかったからです。自分がボロボロだというのに相手を思う心は義理堅いですよね。その際に三成を捕まえたのが田中吉政という人でした。三成の逃亡生活はわずか6日間です。

六条河原で処刑

三成は捕まったあと牢屋にいられました。あたりまえですね。そして、旧暦1600年10月1日に京都の六条河原で処刑されました。新暦の場合は11月6日です。負けたからには避けられない話ですが誰一人として助命嘆願しなかったそうです。したとしてどうなるかは読めないですけどね。関ヶ原で事実上仕切ってたわけですし。というか、むしろ三成を嫌っていた人に罵られていました。そこら辺の描写は大河ドラマなどを見れば分かります!

処刑の時と柿

以上が三成についてと負けてしまった時の経緯です。では、本題でもある三成と柿はどのような関係性があるのか?

処刑前の話

実は処刑前にこのような逸話があります。三成は処刑される直前に喉が渇いたから白湯が欲しいと言います。ですが、処刑場には白湯がありませんでしたが柿がありました。そこで処刑係の人が柿がある。それを食べればいいと言いました。ですが、三成は断りました。理由は柿を食べたらお腹を痛めることと痰が出てしまうからだそうです。確かに、柿は食物繊維は多いですしお腹痛めますよね。しかも三成はお腹が弱いので余計にダメージを食らうことでしょう。また、柿は身体を冷やしてしまうことから痰が出てしまう元だそうです。死ぬのにこのようなマインドがあるのは不思議ですよね。ただ、三成的には死ぬ時まででも潔白な身体でいたいという信念がありました。

その発言に対するみんなの反応

みんなの反応はもちろんのこと笑っていましたね。もう死ぬのに何を言っているんだよと。特に三成のアンチはそのような思いを馳せていましたね。ですが、三成はどんなに周りが何を言おうとぶれない軸を持っていました。ここまで義が強いのはすごいですね。尊敬しますし三成が好きな人の気持ちも分からなくもないです。

人生には終わりはあるとしても

人生には終わりはあります。不死の人間などいません。だとしても三成場人生の最期の所にまでこだわっていた人物でした。どうせ処刑されるから適当にしようという気持ちはなく人生の最後の最後まで身体潔白にするという信念を貫き通しました。これは自分の信念を曲げずに力を尽くすということの象徴でもありますね。このような姿に三成の人間性が表れていきます。確かに、融通が利かない性格があります。ですが、それと同時に真っ直ぐとした軸のある人ではあるかと思われます。そう考えると長所をアピールできていない残念な人でもありますよね。

まとめ

この記事を書いていてふと思ったことがあります。それは人生最後の最後まで粗末にしてはいけないということです。この記事を書く前の私はもし柿を貰ったら食べているかもしれません。どうせ死ぬんだからという意味で。ですが、この記事を書いて改めて思ったのが人生の最期でどうせ死ぬんだからという精神は良くないのかなと思いました。もし、私が三成で柿を食べるかどうかは別ですけどね。ただ、人生の最期だからっていい加減に生きるのではなく人生の最期まで全力で生きることはしていこうとなりました。要は一度きりの人生を台無しにはしたくないということです。

また、この記事を通して皆さんに三成の良さを知ってもらいたい気持ちもあります。確かに、融通利かないし、素直じゃないしリーダーとしては不適切ではあります。ですが、義の強さや真っ直ぐさに関しては何かしら響くものがあります。それもあって私は三成のことを嫌いにはなれないですね。むしろ、切ない武将だと思っています。最期は関ヶ原に負けて嫌われて終わってしまったという意味で。だからって。過去を変えることはできません。ですが、イメージを変えることはできるので私はブログを通して三成の良さについて今後とも広めていきたいと思っています。以上です!最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

りかちゅう